カレー / 「愛と心理療法」-ヴェイユ / 銀杏
涼しくなってきた+そろそろ栄養がほしいなあとおもってカレーにすべく買ってきた材料をさっき仕込んだ。
しばらく肉を食べてなかった感もある+カレーはしばらく食べられるということで肉充すべく手羽元とラム肉を入れる。いまからスロークッカーで寝てるあいだ煮込むので朝に食べる頃には骨まで柔らかくなってるだろう。
肉を少し炒めて出た肉汁に赤ワインを足してグレービーソースをつくって鍋に注ぎつつ「こういう当たり前のテクニックも最近料理関連の本読んでるからだよなあ。。最近地味に料理レベル上がったしなあ。。」とか。派手な料理、手のこんだものじゃなくても「焼く」「煮る」「切る」「蒸す」など基本的なことのやり方と構造がわかってると違ったり。燻製をもうちょっとうまくなりたいなあとかおもう。
ひきつづきスコット・ペック「愛と心理療法」を読んでいて読み終えた。
最終章の「恩寵」の部分の説明でやはりヴェイユを連想する。
ヴェイユの場合はもうちょっと詩的というか、断章というか、断片的な感じでよくわからなかったけど。まああれは元々個人的なノートだったようだし。
「人には恩寵に向かう契機が差し向けられてるのに対してほとんどの人はそれに背を向けている」「恩寵-セレンディピティを得られるのは苦しいことに向き合う回路と同じである」「そこには愛の回路がある」「愛とは、人が自分に閉じこもらず、自分の範囲を広げていくことである」「それはしばしば苦しみを伴う」「その苦しみを支えるために人の愛情がある」「親の愛が足りなくても、あとから人の愛に気づけるようになれば、恩寵は自然と訪れる」
「人はしばしばそういった回路から逃れる - 面倒臭がって/自分を守るために回路を開かないのは怠惰のエントロピーがあるからである」というのはヴェイユが言っていた重力と下降のイメージと同じようにおもった。ヴェイユの場合はこういった説明がなかったけど。
そういった経緯でまたちょっと「重力と恩寵」を見てみたくなり図書館に予約した。「工場日記」を読むのもいまの生活には合ってるように思うのだけど、今回借りたもので手一杯だろうから次回以降に回す。そういえば春頃に読んだ本の著者がヴェイユ関連で視角、あるいは美学的ななにかを書いていたように思うのでそれもそのうち。
最近、詩を読んでないのでちょっと読みたく思う。あるいはキーツについての映画とか。
私生活的には特に何もなく、早めに帰って買い出しに行ってけっこうホクホク。
最近見つけた良い八百屋でスーパーだと1.5から2倍ぐらいの価格がするものが半額ぐらいで質良くあるのでホクホク買う。
銀杏ももうでてたので買った。
三鷹の銀杏だそうな。
ジブリの森の土産みたいだなとかおもいつつハイボールで愉しむ。
レンチン40秒で
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