地に根付き、枝葉つけろ

仕事帰りに梅酒とかりんとうまんじゅうを求めに行って、酒屋はあいてなかったけどまんじゅう屋では恵方巻きをうっていて(´・ω`・)あ、そうかあ、とかおもふ。



歳時記カレンダーというか道教の数秘にちなんだカレンダーがちょっとほしいなとかおもったりする。


歳徳神 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E5%BE%B3%E7%A5%9E


恵方は本来道教由来の数秘学的思想から出てきたものであり、陰陽師がそれを司り宮中の行事的に遊んでいたもの。庶民的にはそんなに普及してなくて、良くて暦師経由だったのではないかと想う。なので恵方巻きに関して江戸の遊郭で若旦那がとかいうのもびみょーだし、それなりに知識のある若旦那がどうこうしてたところで「へぇ」ぐらいのはなし(元は道教→貴族的な行事なので


恵方は干支の数字との関係性で決まる。それによってその年、歳徳神がいる方位がわかる、とされる。

さらに遡れば歳徳神は現在の暦だと11月の終わりから12月の中旬にかけて出雲に向かう。それをもって神送り、神迎えをするのが昔ながらの習俗とされる(そこではごちそう的に餅を飾る)。

ちょうど西欧のハロウィーン→クリスマス前にあたる。つまりワイルドハントの時期。


節分の豆まきにしてもこの時期のカルナバーレ(karna-bareであり「肉よさらば(謝ツ、肉ヲ)」)の原型であるケルトの習俗と対応する。すなわち、冬ごもりの肉のない時期に畑の肉である豆をタンパク源として摂取してこの時期の季節の変化による体調不良に備える。

西欧ではこういったもともとの土俗的な習俗にキリスト教的禁忌観、「キリストの復活までわれわれも肉をたとう」がもっともらしく合わさってカーニヴァルとされるようになった。それが13世紀あたりの中世人口爆発によるプチ繁栄によってイタリアあたりが栄え、あのあたりの金持ち消費→祝祭の需要に応じてだいだい的な祭りへと変化していったのだろう。


もちろんそれ以前にもカーニバルの時期に地元の土俗的な祭り、仮面祭りなどはあっただろうけどそれらをもっと大きな消費的な遊びとして演出し取り込んでいった。そしてそこにキリスト教的なもっともらしい箔をつけて習合した。


そうかんがえるとこれらの祭りの本質は「季節の変化」であり「季節の変わり目に体調が乱れやすくなる」ことにある。日本で夏土用の節分にうなぎを食べるのも本来そういったものだし。ちなみにいうといわゆる節分とされる2月の節分に対応する冬土用は1月に地味に始まっていたがこちらも特に話題にならなかった。

(土用とは本来、木火土金水の五行を各四季にあてまめたとき、「春-木」「夏-火」「秋-金」「冬-水」で余る「土」のエレメントを太陰暦で余ってしまう季節の変わり目的な調整時期にあてはめたもの。なので、四季に土用がある)


はなしがそれたので戻ると、11月の終わりから歳徳神の留守居をめぐる物語は本来ならはじまっている。


11月の終わりに出雲に旅立ち12月の半ばに帰ってきた歳徳神が落ち着く年の変わり目、大晦日の境をもって再び詣でる。このとき歳徳神のいる方向の神社を詣でるのが本来の初詣であり恵方参りとされる。


それからしばらくして土用の始まる頃が最近の習俗としては春の七草を食べる頃。あれを食べるのはハレで浮ついた身体に土の気を取り込むためであるけれど、それは忘れられてる。

そして土用を迎え、土用の区切りとしてとんど焼きを行う。

とんど、すなわち歳徳神を火をもってもてなす。機能的には正月周辺のハレものを火によって浄化する(捨てるに忍びない初詣の絵馬やしめ縄などを火によって還す)を旨とする。


いわゆる節分とはこの流れの冬の季節の締めにあたる。


まあなので道教-中国の流れに従えば節分の鬼とは病を基本とした邪気であり厄災にあたる。


歳徳神もその意味では祟神/荒神であったりもするが、神の性格も常に厄やタタリというわけでもないのだろう。

正しく祀れば祟られないし、また、みょーに祀ればみょーに祟られる。



節分は現在だと3日とされているけれど昔だと末広がりの八日を本来の区切りとする(オコト始め、大眼-ダイマナコ)。

このときに厄災を呼び込まないように身辺をきれいにしておくとよいとかなんとか(特に外から見える所)。


そして中国では旧正月-春節が始まる。「新年hao」である。


「そういうのがないとあなたたちは来れないの?」
「来れませんね、、それはあなた達もそうでしょう?あなたが此岸を離れ、此岸であなたを覚えているものが何もなくなればー――」


「あのヒトたちがこなくなったら厄災はなくなるの?」
「そんな事ァ無いだろ。別の厄神(モノ)が来るだけさ。ただ、やつらと違っていちから付き合い方を考えなおさにゃいかんかもしれん。


生半にはいかんだろうな。悲しみや辛さも大きかろう。


だが、そうした変化はまたおれらが生きてる証でもあるのよ」



境にて儀礼を行い余計な未練を断つ区切りとする


「地に根付き、枝葉つけろ」




庚申信仰 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0

庚申信仰とは http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/koushin-1.html

道祖神 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9E



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