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コミットメントの度合い問題を乗り越えられれば取組みはしなずに済むのか?

この記事はDevLOVE Advent Calendar 2020の2日目の記事です。

何かしらのくくりでやることに対して自分がどれだけ貢献するつもりなのかの意思表示を示すものとして「コミットメント」という言葉をつかってみます。自分のなかのプライオリティが何番目なのかとも言い替えられるかもしれません。

何かをやろうとすると、そのやろうとする取組みに対して「コミットメントの度合いの不一致」が生じます。お互いにその取組みを肯定はしているけど、そこにどれだけのリソースをどのくらいの頻度で突っ込むかの度合いの違いがあるような状況です。

本業もそうですが、本業でないこと(例えば会社のなかの兼務での何かとか会社の外の課外活動やコミュニティ活動みたいなもの)の方が顕著な気がしてます。本業だと純粋なコミットメントの内か外かはわかりませんが「やらねばならぬ」な力が発生しますしね(でもオーナーシップといってしまえば本業でもよくあることか)

もちろん「何かやるなら皆が皆100%その場に貢献せい!」というのはあり得ないとは思うのですが、どのくらいで貢献するつもりなのかが見えないため、何かを成そうと大きくコミットしようとしている人に(精神的)負荷が掛かってしまうような状況が発生しているのが現状で。まあ、それも勝手な負荷なのかもしれませんが。

私個人としては、自分が主だって何か成そうとしている取組みでも、自分がフォロワーとしてかかわろうとしている場でもこの状況を見てきました。そして「何かを成したい」と思っている人やチームの熱が冷めるのも見てきました。それを私は「もったいない」と感じてます。

みなさんはこの問題に対してどういう立場でどう向かい合っているのでしょうか?おそらく、自分で何かをやろうとしている人ほど折り合いのつけ方をもっているのではないかと思います。

もちろん、「何かを成そうと持てる限りコミットする」ではなく「できることをできるタイミングでサステナブルにやる」ことも間違ってはいないと思っています。というかどちらも正しいです。(二極するような言い方はちょっと違うかもしれませんが)

たぶん意思の表明やコミュニケーションの不足(機会とか内容とか深度)によるすれ違いなのかな。

そんなこんなで「何かを成そうとしている人」と「自分なりの貢献の度合いで関わろうとしている人」のお互いの考えや観点やその他もろもろを共有して(理解して)、この世界に生まれたはずの取組みが望まれない死を迎えずに成し遂げられる(可能性が高まる)世界になるために、意識できること、行動できることが見つかればなあと私は思います。

まあそもそもコミットメントを持てるような取組みの中身についての話が一番重要なのかもしれないけど...

みなさんはどう思いますか?

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