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耐え難い理不尽を経験して、人と自分を比べて生きることを辞めた日

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中学生のとき、僕は常に周りの人と自分を比べて生きていた。部活では一番といっていいほどサッカーが下手くそで、同級生どころか後輩にも逆らえなかった。

弱肉強食の生存競争がゴリゴリに反映された社会。サッカーの上手さですべての序列が決まり、僕は意見は常に飲み込む側の人間。サッカーが下手なやつは発言権がないのだと、心の底から本気で思っていた。

そのかわり勉強だけは誰にも負けない実力を身につけた。せめてもの防衛戦。このままじゃいじめられかねないと思った。好きだからでも、得意だからでもなく、ただただ身を守るために頑張った。

ある日体育館で体育の授業中、理不尽は突然襲いかかってきた。サッカーがかなり上手い同級生が僕の筆箱の消しゴムを奪い去り、向こうへと放り投げた。多分カラカイたかったんだと思う。

もしくはノリ。黙認される「強者」のノリ。弱者の消しゴムは放射線を描き、全く関係のない女の子の左頬にヒットした。その子は突然の顔への鋭い打撃に驚き、すぐさま泣き崩れた。

案の定、すべて僕のせいにされた。勝手に人の消しゴムを投げた当の本人は知らん顔。こいつこいつ。といわんばかりに僕の顔を覗きみてアピールした。ここで初めて心の「スイッチ」が入る音がした。

「おい、ふざけんなよ。お前が投げたんだろ。なんで投げたのか説明しろよ。」詰め寄ってみた。今思っても勇敢な行動。当時の自分を褒めたい。はじめてに近い抵抗だった。

無関係の人を巻き込んでおいて知らんぷりを決め込む態度に何より腹が立った。今回ばかりは抑えきれなかった。

「は?」

・・・

「ごめんね、大丈夫だった?」

結局、謝ったのは僕だ。投げた張本人はその場で1文字だけ発し、「神波が怒った~」と遠くで騒ぎ散らしている。

授業終わりのチャイムが鳴った。

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理不尽への抵抗法を2つ編み出す

この手の理不尽は誰しも一度は経験があるのでは無いかと思います。この日を境に僕は「理不尽に思ったことは素直に相手に伝えること」と「降り掛かった理不尽を深追いしないこと」を決めました。別に嫌われてもいいから積極的に発言することにした。特に一度伝えても話の通じない相手に対しては、もう無視を選択します。僕はもう理不尽を許さない。

人と比べて生きることがそもそも・・・

そもそもこの理不尽を強者が弱者へ行う行為としてある種仕方ないと考えていた自分もいました。これは「サッカーができるできないで自分と他人を比べて、自分は弱者側だと納得していたから」に他ならない。

理不尽は許しちゃいけない。ということはこの他人と比べる序列の考え方そのものが間違っていたのではないかと。気がついたのは19歳。大学に入ってからでした。

東進ハイスクールのアルバイトで圧倒的に生徒指導が上手い同期たち

東進ハイスクール川越校でアルバイトをし始めた4月当初。まず思ったのは「みんなすげえ上手だな」です。電話研修も面談のロープレも本番の生徒指導の様子も雰囲気作りも、なにもかもみんな超上手。これはやばいと思いました。

脳裏に浮かぶのはあの中学の出来事。

自分よりはるか上空を飛行する慶應薬学部の同期たち

時を同じくして慶應薬学部の化学のテストが5,6月あたりにありました。高校時代化学は超得意。自分よりも化学が得意な人なんていないと思えるくらいの自負があった。しかしながら僕の同期たちは僕よりはるか彼方、途方もなく化学が得意だった。こちらでも敗北。

やっぱり脳裏によぎるのはあの記憶。

同じフィールドで戦うことを辞め、自分だけの掛け算を作った

しかし今回はすぐに気が付きました。「あ、また人と比べちゃってるな」って。

大切なのは自分らしい道を見つけることだと思いました。ここで僕が本気で注力したのが「自分だけの掛け算を持つ」ということです。詳しくは明日のnoteでまとめますが、東進では薬学部なのに毎日来てプレゼンも得意で新規の入学をガンガン決める即戦力。学校では薬学はカスだけど別分野ですげえやつを狙って目指しました。理由は他に誰もいなかったからです。

今僕は薬学×ペット×SEO×洗車×EXCELという掛け算を持っています。かぶる人は日本でおそらく誰もいないはず。あのときの理不尽にシェイシェイ。間違いなく今の自信につながっています。


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