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「これから30年同じ暮らしが続くこと」を、あなたは許容できますか?

30年。ほぼ僕が生きてきた長さの期間である。


成長・発達・社会的ステータスの変化もめまぐるしくあり、結婚・子の誕生・地方移住などライフイベントにも向き合ってきたこれまでの30年間は、暮らしが数年おき・数か月おきにガラガラと変わる人生だった。


30年間暮らしが変わらないことなんて無い。


そう思う気持ちを一旦脇において、この問に向き合ってみたいと思う。



これから30年を生きて、還暦を越える頃に、僕は何を想い、どんな暮らしをしているだろうか。

以前受けたコーチングセッションの中で、「超長期のビジョンを考えたい」と望み、「30年後の自分」をテーマにしたことがある。


そのときに浮かんできた言葉は「この老人、元気すぎる!」である。


(60歳を老人と呼ばうかどうかの是非は一旦脇に置く。僕の主観で浮かんできたイメージと言葉なのでご容赦願いたい)。


浮かんできた光景は山登りをしている場面である。

20代、30代の友人とともに山を登り、彼らよりも素早く高いところに辿り着き、平気な顔をしてにこやかに在る。

そんな光景だった。


このセッションを経てからしばらくして群馬に移住し、父と共に朝の散歩に出かけたことがある。

父はかなりの健脚で、1時間のうちに6キロも7キロも歩く。ジムに行けば10キロ以上走ってくることもザラだ。

歩調を合わせていこうと思うと小走りにならざるをえず、息が上がってしまったり、脛が痛くなったりした。父は余裕の表情である。


あぁ、30年後のロールモデルはここに居たぞ



「ビジネス人生」という言葉を、コンサルティング時代の社長がよく口にしていた。きっと社会に出て、組織や組織以外の場所で働いていく中で、その時空間で使う命の体験のことを指して話されていたと思う。

その期間が40年。大学卒業して企業に入り、過去の定年年齢を指すものだ。


僕は、学校を卒業して働き始めてからちょうど10年が経つ。この先、30年間を、どう働き、どう暮らしていくのか、というのが冒頭の問であるように思う。



さて、あなたは何を感じただろうか?



「このまま続いていけばいいのに!崩れることが不安」

「このままだったら5年だって気が狂う!」

「今は今で幸せだけれど、変わらない暮らしが続いていく、ということになんだかモヤモヤする」



色々な声があると思う。

あなたの状況、あなたの価値観、あなたの命が望むこと。



10月。僕は新しい形での暮らしに突入した。

妻が復職し、子どもを幼稚園に預け、僕が家事と育児(の一部)を担いつつ、休む日々だ。


9月にはまだ妻も働き始めていなかったし、子どもも慣らし保育だったし、色々と新生活に備えて準備しなければならないことが山積みだったので、休むに休めなかったな、と思う事情もある。


でもこれからは、子どもを8時間なり預かってもらえるわけで、午睡をする時間ももちやすくなったし、僕が休んでいる間「家族の中で」子どもの安全に気をとられ続けることもなくなった。


ようやく、「ちゃんと休めるまとまった時間」をとれるようになったと体感している。



経済的な不安とか、遠くの大きな目標に対する気持ちとか、所属に対する感覚とか、を一旦脇におけば(今日は脇においてばかりだな)、割と理想的な暮らし(時間の使い方)ができそうだな、と感じる部分もある。


もともと妻は働くことに喜びを見出す人だし、僕は子どもと過ごす時間を大切にしたいという願いをもっているし、幼稚園や家族のおかげで夫婦だけで子育ての負担を抱え込む必要も軽減されている。


僕をコーチに選んでくださっている方と創る時間や変化を楽しみにできているし、発信を続けてきたおかげでネットを通じて繋がる人たちがいる。言葉を受け取ってくれる人もいるし、助けてくれる人たちもいる。


足るを知る、という意味合いで在れば、十分すぎるほど満たされている。

そう思う。



そう思うが、「このままの暮らしが30年続けばいいのに!」と口にするとしっくりこない感覚はある。

きっとまだまだ満たされていない願い、後ろめたい想い、果たされていない未完了が列をなして存在していて、僕の命が使われたがっている居場所が十全に叶えられているわけではない、ということなのだろう。



足りているから、望むことに蓋をしようとしている。



そんな心の動きがあるように思う。

そして、



エネルギーを守りたいから、今を「足る」と評価したがっている自分もいるのだろう。



「願いを指針に生きる」ことを選んで僕は、舗装されていない茨道・獣道に分け入ってきた。擦り傷切り傷できようが、立ち止まることが命をすり減らすことを意味する状況では、進み続けるしかなかった。


それがようやく、腰を落とせる開けた場所に辿り着いたように思う。もともと持っていたし、傍に携えていたものではあるのだけれど、それがそう機能するようになるまでには、時間が必要だった。整う年月が必要だった。


何かを得る、ということを、待っていたわけではない。

歯車が噛み合い、回り始めることを、馴染むことを待っていたような気がする。


ここまで書いてきて浮かんだのが、4×100mリレーのことだった。

僕は中学時代、陸上選手で、100m走の第一走を務めていた。

プレッシャーの一番かかるそのポジションを誰もが嫌がった。

でも、僕はそのポジションを愛していた。


スタートを切り、駆け、バトンを託し、辿り着きたい場所に後続が辿り着くよう、声が涸れるまで大声で応援する。祈る。信じる。

そんなポジションだ。


僕は何かのスタートを切った第一走者なのかもしれない。

バトンを渡した相手は妻であり、僕のコーチとしてのお客様であり、子どもである。


そういえば、リトリートで「僕の葬式」をやっているときに、僕は日本中にとまりぎを創り、子どもが世界に拡げることを引き継いだ、という一幕があった。


北欧で暮らしたいな、と望み、語学学習を毎晩している妻。

日本の各地にいるコーチ仲間やラジオ仲間に会いに行きたいなと思う僕。


なんだか、点が線に繋がっていきそうで。

その線を繋いで生きていく暮らしが、30年続いていけばいいなと思う。


変わり続ける暮らし。だが、変わらないその質感の旅路。

ここまで書いてきて、僕の命の望みの輪郭に触れたような気がした。



やっぱり、「書くことは、考えること」だな。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。

労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。

そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。



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