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「制約する」ことで、暮らしの全体を整える試み

20:00に部屋を真っ暗闇にした。


今日は子供の慣らし保育2日目。朝型の生活リズムをつくっていこう、ということで、昨日は20時に部屋のあかりも、廊下のあかりも消して、子どもと一緒に暗闇の中で過ごしてみた。

平生、22時をまわっても元気に走り回ったりしていたので、ドラスティックに変えていく挑戦だ。暗くすれば人は寝る。そう信じて。


最初はもぞもぞと暴れまわったり、部屋から出ていこうと画策していたけれど、40分くらい経って寝る前の挙動になり始めたように思う。僕自身も、スマホも見ず、子どもと触れたり、様子を見守ったりしながら暗闇の中でただ過ごす、という時間をもっていた。


「これは初回からうまくいったぞ、いい方法を発明したぞ」なんて思っていたのだけれど、お風呂からあがってきた妻が部屋に戻ってきた瞬間、子どもが跳び起きた。まだエネルギーが有り余っていたのね…とほほ…。


すっかり僕側の寝る準備が整ってしまったので、妻に任せて寝ることにした。ここ数か月は、アイマスクが必需品だ。人の動きで電灯がついてしまったり、室内のウォーターサーバーが明るかったりするので、自分で光を完全に遮断できるアイテムがとってもありがたい。


昨日は午前中に誘導瞑想をしたり、午後に手続きを片付けた後も潔く寝るようにしたり(90分以上は何かの作業をしない、と決めた)。休息自体はたくさんとっていたのだけれど、それでも21:00過ぎにはスコンと眠りに落ちたようである(Ouraリングに就寝記録が残っている。これもありがたい)。



さて、今朝は5:30頃になんとなく目が覚めて、起きようかどうか迷いつつ、妻にひっついたりして朝を過ごしていたのだけれど、有価物回収のためにマットレスを搬出したり、ちょっと動き始めたら目が覚めた。何か活動をするとスイッチが入るらしい。

なんとなく身体は眠い気はするけれど、頭は目覚めてる感じがする。ジャーナリングを終え、手紙の返事を書き終えて、子どもを起こすまでの間にnoteを書くことにいそしんでいる。



朝一番にジャーナリングをする習慣が続いている。コーチングセッションでお互いが揃ったときの初めにチェックインで感情を出し合うウォームアップをするように、僕にとって一日の始まりは書くことから始まる。


頭の中に「あれもやりたい、これも」が浮かんでいると気が散るので、タスクを吐き出しておくことから書き始めることが多い。気持ちや身体に目を向けて、率直な感情や気付きを書き出すことが続く。


自分個人の内面・外面に焦点が当たりやすいので、そこから書き始めることが多い気がしている。そうして書いているうちに、集団の内面・外面からも何かを書き足したくなって、紙が1枚埋まり切るまで描く。

インテグラル理論の4象限のワークショップで学んでから、このフレームワークでジャーナリングをすることがすっかりお気に入りだ。自分自身で盲点に気付きやすくなったり、行動選択の意味に一貫性を持たせられたりして、日々の納得感が高まっている感覚がある。


最近、ジャーナリングをしていて気付くのは、「休む」ことにアンテナを立てて過ごしている今、人生全体・暮らし全体での「リズム」をどう作るか、ということへの願いだ。


とかく、「何をやるべきか」の正解が、世の中に溢れている。でも、それらを寄せ集めて組み立てた「暮らし全体の正解」は、描きづらくなっているように思う。


僕たちは本能的に、「チャンス」や「良いとされているもの」をスルーしづらい構造にある。生存に必要なら、見逃すことができない。スルーすることにをストレスに感じる。だからチャンスっぽいものに飛びついては、自分の限られたリソースに無理をかけてなんとかそれらをこなしていく。


ただ、必要十分なリソース投下ができないから、どれもこれもうまくいかない。僕はそんなことを繰り返してきている。


一面、多動性、アウトプットの多さが目立つから、「よくそんなに活動できるね」「バイタリティに溢れているね」「いつ寝ているの?」と、行動量の多さ、幅の広さに触れた人たちから賞賛を浴びることがある。が、これは薄く広くつまみ食いをしまくっているにすぎない。


一部分に光を当てれば、そこだけを切り取れば、輝かしく見せる(見える)ことはそんなに難しくないんだよな。そして、そこで得られた賞賛の味がまた、自分を「薄く広い多動」へと駆り立てていく。


だが、求めた成果に結びつかないから、しんどくなっていく。成果が出ないから「新しい正解らしきもの」を求め続けて、さらにしんどくなる。


足し算を繰り返す人生は、獲得の山を登り続ける人生は、こういった形で、苦しさを増していく。手段が目的化し、当初の目的を見失い、行為することだけに没頭するマシーンと化していくのだ。


「足し算する人生から、引き算する人生へ。」


僕がコーチングスクールのプロコースを終えて、浮かんできたテーマだ。プロコースの受講を終えてもうすぐ一年が経つが、相変わらず、僕にとってこれがテーマになり続けていて、そして思いっきりこれに向き合うことを突き付けられているように思う。


おかえりシャドウ。君との対話は、ようやく今、準備が整ってきたよ。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。

労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。

そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。



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