感覚を言葉にする

感覚を言葉にすることほど難しいことはない。

今、悩まされているのは、感覚を言葉にすることで、それを読んだ方が、誤った情報として受け取ってしまうこと。

人は自分の経験や知識でしか考えないし、見たもの読んだものを自分のフィルターに通して得ている。そうなると、認識の大きさによっては、理解できずに、思い込みで受け取る可能性がある。

目の前の人が、同じ体験をしてきて、同じ大きさの認識があるとは限らない。

SNSで、感覚を言葉にした場合、コメントをもらうと、ちょっとニュアンスの違う捉え方をしている感じを受ける。「また、理解されてないや。」という事が良くある。

だからといって、そういった意味ではありませんとは言えず、それなりのコメント返しをしているのはけっこうモヤモヤする。

愚痴になっちゃってるかな?

コンピュータに使われる人間

感覚的な文章を読んだ時に、人は、「この人は何を言いたいのだろう?」とは考えないのだろうか?

やはり、考えても【自分に引っかかる部分】でしか考えられないのだろう。

そのあたりは、コンピュータからのメッセージだったら誰でも理解できる。感覚じゃなくて、理論的で画一化的だから、日本語が正しく使えれば、普通に理解できるはず。

感覚な人と、理論的な人では、コミュニケーションの取り方が変わってくる。繊細な心の部分や微妙なニュアンスはどのくらい理解されるのだろうか?

コンピュータな人が増えているのかもしれない。

今は明治じゃないし、人間よりコンピュータの方が馴染みがあるから仕方ない。

言葉にしていく作業

感覚的な人でも、理論的に話す人もいるのは確かです。

だから、ここを乗り越えていきたいと思います。何をどう努力するのか?今模索中ではありますが、やると決めたらやる!

この伸び代は大きい分、乗り越えたときの達成感はすごいと思う。

感覚を言葉に出来る人は少ないから、これが出来たら困ってる人の役に立っていけるし、重要で貴重な人になるはず。

ただ、求める人がどれくらいいるのか?実際にそこまで必要ないと思う人が多数だとは思いますが、そこは無視しましょう。

自分のために頑張ります。

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