24歳の焦燥

ふと思いついてInstagramのストーリーズに、今考えているとりとめもないことを書き殴って投稿したところ、思いがけず20人ほどから反応がきて驚いた。同じようなことで悩む同世代が多いことを知り、改めて文章にしてみようと思い立った。

それは、形のはっきりしない不安の話だ。

新卒で今の会社に入ってから、まもなく1年が経とうとしている。

つい最近まではとにかく必死だった。覚えなければならないこと、やらなければならないこと、耐えなければならないこと、慣れなければならないこと。

全てがいっぱいいっぱいで立ち止まる余裕などなかった。

しかし最近になってようやくリズムや要領をつかめてきた感覚がある。少しずつ心を乱さずに仕事をできるようになり、周りを見られるようになってきた。

そこへきて浮上したのが、「このままでいいのか?」という新しい疑問だ。

入社前の自分を思い出す。

幼い頃から変わらない夢を持ち、どうしても叶えたいと躍起になり、ギラついた目で就活をしていた。夢に手が届かないかもしれない、自分はやっぱり平凡な人間かもしれないという不安を無理やり潰しながら、倍率200倍とも300倍とも言われる業界にしがみついた。
私は代わりの効かない、規格外の、唯一無二の存在に近づきたかった。

それでも最終面接で落とされ、あっけなく夢は散った。

幸い、最終的に就職が決まった業界も志望者が多く、世間からみれば「すごいね!」と言われる部類だった。

しかし私はどうしても納得できなかった。

私がたどり着きたかったゴールはここじゃない。ここで終わってたまるか。日本社会の常識に、この会社の常識に染まってたまるか。

もちろん仕事は真摯に、必死に取り組む。1人前になる。でも、ここではないもっと広い世界に目を向けることを諦めない。もがくことをやめない。

そう何度も私は1人自分に誓った。

そうしないと、今までの経験上、目の前のことにいっぱいいっぱいになり、その期間が過ぎれば次第に居心地が良くなり、それまでの熱意や反骨精神などすっかり忘れていつまでもぬるま湯に浸かることをよしとする性格だと自覚しているからだ。

ところがどうだろう。今は予想した通りの有様だ。

様々なことに積極的に挑戦していた学生時代の知人が大きなチャンスを持ってきてくれても、仕事が忙しいから、とか体力がないから、とか言い訳をし、以前のようにYESと即答できなくなっている。

そんな自分が歯痒く、現状に満足しつつある自分が、変わってしまった自分が、一度腰を落ち着けた場所から一歩も踏み出せていない自分が情けなくなる。

そんな不安を、ストーリーズにぶちまけた。

すると、

「これからの人生長いんだから、そんなに生き急がなくてもいいんじゃない?そうやって悩んで考える時間も大切だよ。いつかその時が来るまで気長に待てばいい」とか、

「地に足をつけて目の前の仕事を頑張って着実に成長して、仕事以外のことはいったん休む、ということも大事なのでは?現状に満足しないのは大切だけれど、現状に不満ばかり持って夢を追いかけるだけじゃ結局どちらも中途半端になる」

という言葉をもらった。
その通りだと思う。

だから悩んだ末に敢えて踏み出すのをやめたことも何度もある。実際、現状に大きな不満があるわけではないのだ。毎日学びがあるし、充実している、幸せを感じる瞬間だって多い。

ただ。

今は知ることもない、もっと大きな幸せや喜びを掴むチャンスを、みすみす逃しているのではないか、という恐怖がついて回るのだ。

今は今しかないのだ、という焦りは消えないのだ。

25歳が目前に迫っている。

母親が父に出会って付き合い始めたのが24歳。

結婚して仕事を辞めたのが26歳、出産が30歳。

違う人間なのだし、時代も変わっているから比べるものではないと分かっていても、どうしても気になってしまう。

女性には、タイムリミットがある。

出産は女性にしかできないという事実、歳をとってからの出産はリスクが高いという事実、改善されているとはいえ、出産前と出産後には身体の状態が大きく異なり、それまで通りの生活や仕事をするのに支障が出るという事実。

夫ができたら、子どもができたら、自分のことだけ考えて好き勝手生きることは難しくなる。子どものために、自分のことは二の次になるはずだ。(それも母としての幸せであるのだろうが、子どものいない今は理解できない)

それらを、無視することはできない。

そう考えると、24歳の今、やらなければ手遅れになることが山ほどあるのではないか?と思う。

「仕事は最低3年は頑張ってみろ、3年続かないやつはどこへ行っても続かない」なんて言われるが、それは一体誰が決めたというのだろう。

特に目的や明確な目標がない状態で仕事をしているなら、まずは3年がむしゃらにやってみたら何かが見えるはずだ、という理論なら分かる。

しかし、3年以内に生涯の伴侶を見つけたり、素晴らしいチャンスを掴んだりして勢いよく次のステージに羽ばたいた同世代もいる。それが全ての人に当てはまるとは思わないが、少なくとも彼らは幸せそうだった。

ぬるま湯から飛び出して、厳しい環境の中でも自分が本当にやりたいことを追求している知人はどうしたって眩しいし、猛烈に羨ましい。

今の心地よいぬるま湯に浸かったままで、外へ出る好奇心や新しいスキルを手に入れようとする努力を忘れたままでは、いざチャンスが巡ってきてもその場から動けないではないか。

そう思うからこそ、「私はここにいていいのか!?」という問いを自分の中に持つことは重要なのではないかと思う。

現状に疑問を持ち続けることは苦しい。

「今、自分は幸せだ」「これでいいんだ」と思えた方が前向きで幸せだとも思う。夢ばかり見ていないで地に足をつけることも大切だ。

それでも、 

自分の中に燻る、この得体の知れないモヤモヤとした焦燥感と、向き合わなければいけないと思う。

どうしたら自分は満足できるのか。

自分が一番やりたいことはなんなのか。

せわしない日々の中で見失いやすい自分への問いを、投げ続けなければならない。

いつの日か、平凡ではない、唯一無二の自分になるために。

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