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俺とお前と若おかみは小学生vsマンディ 地獄のロード・ウォリアー


はじめに
 先日、ちょっとしたイベント事がありまして、田舎者丸出しのツラ構えで東京に行ってきたのですが、さすがは首都東京、巨大なビル群に人の群れ、高知には存在しない超有名店舗が立ち並ぶ姿に圧倒されました。「あれが松屋!ここが富士そば!養老乃瀧!ゴーゴーカレー!やっぱ東京は違うなぁ」などと焦点の定まらない目でデカい独り言をつぶやきながら渋谷スクランブル交差点のど真ん中にドスンと音を立てて座り込み、風呂敷から取り出した大きなおにぎりを食べて三木のり平っぽいお巡りさんに追いかけられるというお馴染みのアクシデントも交えつつ、イベント事(40を大幅に過ぎた中年が集まって場末の居酒屋でベロベロになるまで酒を飲み、延々と「死神警察署長、死神!!!」と言うだけの本当にどうしようもない飲み会)も滞りなく終わりまして、せっかく都会に出て来たのだから、バーバレラみたいな最先端ファッションに身を包んだサブカル男女が好むシャレオツな単館劇場で私の住んでいる高知県では上映されていないオシャンティーな映画でも鑑賞しようと思い、足りない頭脳をフル回転させて「若おかみは小学生」と「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」を鑑賞した次第であります。

「若おかみは小学生」

 原作は有名な児童小説で、今年に入ってテレビアニメ化されたものと同じアニメ制作会社マッドハウスの作品ではあるものの、TV版とは別の監督(高坂希太郎監督)とスタッフとでオリジナルの要素を踏まえて一本の物語として制作された作品とのことですが、これがまたとても良いというネットの噂を聞いておりまして、私もこれは女房(ボロボロになるまで使い古したオナホール)を質に入れてでも見たいと思ってはいたのですが、地元である高知県の映画館でこれをみるのはちょっと勇気が必要でした。

 私が幼少の折、まだ山口組と一和会が抗争を繰り広げていた頃にはアニメといえば一休さん(テレビ高知)とトムとジェリー(高知放送)が左鉤突きから始まるチェーンコンボの様にエンドレスで再放送されるだけのアニメ不毛の地でしたし私と同世代の親とそのキッズたちで溢れかえる劇場にサムソン高橋さんのアイコンのようなツラ構えの初老の太った男性がおにぎりをモグモグほおばりながらノッシノッシと入っていくところを近所のおしゃべりおばさんたちに見つかって変な噂でも流されたらどうなることでしょうか。

 漫画「空手バカ一代」においてケンカ十段こと芦原英幸先生が高知のお隣である愛媛県でちょっとしたコミュニケーションの擦れ違いによって結果的に粗暴な空手家たちに山狩りをされるというエピソードは皆様もご存知かと思いますが、甘い甘い蜜柑を食べて温泉につかって育ったはずの愛媛の空手家たちでさえあれほど凶暴なのに、毎日毎日朝から晩まで酒を飲み、ぶ厚く切ったスライスニンニクを乗せたカツオのたたきを食べている一領具足の子孫たちが私をあっさり見逃してくれるとは思えません。化粧まわしを付けた屈強な土佐犬の上に跨り「子供に害をなす変態アニメおじさんを吊るせ!坂本竜馬先生像(高知駅前にある巨大な発泡スチロールの像)に脳を供えろ!」などと、松明を振り回して家の周りを取り囲むことだって十分考えられるわけです。屈強で乱暴な一領具足の子孫である浜の漁師たちに取り囲まれ、身ぐるみをはがされ執拗に股間を踏みつけられ、ざらついた砂の感触とゆらゆらと揺れるたいまつに照らされた豊満な肉体を伝う汗が艶めかしい光沢を・・・嗚呼・・・バン(コラン)!などとベッドの上でゴロンゴロンと寝返りを打ちつつ股間から冷却水を漏らしてあわあわしているマルチのようにじたばたしながら苦悩してる間に上映期間はあっさり終り、劇場で観劇する機会を失ってしまったわけなのです。

 永遠に失われた「若おかみ」劇場鑑賞への道。でもここは閉塞的な田舎ではなく、長渕剛が死にたいほど憧れた花の都大東京。氷室京介に言わせればライブハウス武道館。光り輝くイルミネーションの中、若者たちが心を一つにして軽トラを引っくり返す街。大人が堂々とアニメ映画を見ても許されるに違いない!という単純な思考で「若おかみ」を上映している映画館「吉祥寺プラザ」に飛び込みました。この吉祥寺プラザは地元密着型の素敵な映画館のようで、親子連れや孫を連れたご老人たちが並ぶ中、劇場の中央に鎮座した私の周り1ブロックには誰も座らなくて、なんだか照れくさいような悲しような気分になって、ちばてつやの漫画のキャラクターみたいな感じで「へへっ・・・」と口で言いながら人差し指で鼻をこすったりしましたね。

※ここからは両作品の感想の垂れ流しになりますので何の躊躇もなくネタバレをしますし、両作品を未見の方は見ない方がよいと思うのです。

 「若おかみは小学生」を観た感想ですが、いやもう、正直、とても良かったです。理不尽とも思える不慮の事故で両親を失ってしまった主人公のおっこちゃんが祖母の旅館で生活することになるのですが、娘夫婦を失ってしまった祖母、自らが事故で死んだ後も誰とも会話ができない(霊感を持つ人が居ないので)ままで峰子(おっこの祖母)を見守ってきた幽霊の少年ウリ坊、同じく自分が死んだ後に生まれた妹である真月を見守ってきた幽霊の美陽、最近お母さんを失った旅館の客である少年あかね君、仕事を優先したがために恋人と別れることになった占い師グローリー・水領さん(最高の女)などの大切な人を失ってしまった人たちとの出会いと、旅館の仕事をこなしていくうちにお客様に感謝されることを素直な喜びと感じられるようになり、おっこちゃんは次第に笑顔を取り戻していくのですが、幽霊や小鬼が出てくるにも拘らず怪異が物語のメインではなく、おっこちゃんの普段の生活と旅館のおもてなしが物語の軸となっていて、害をなす悪い悪霊が出てきたり謎解きがあるわけでもなく旅館の日常が繰り広げられるというだけなのに明るく優しく楽しいと感じるのですね。

 物語に出てくる人たちは皆とても優しくて温厚です。おっこを見守る2人の幽霊と小鬼、おっこの御祖母さんと旅館の中居さんご夫婦、アタリがきついように見えたピンフリこと真月ちゃんもおっこのことを深く心配してくれるとても良い子だし、我がまま美少年だったあかね君も本当は素直でいい少年でした。もしかしたらこの世界には悪人というものは存在しないのではないか?と思ってしまいそうになるくらいとてもとても優しい世界が続く中、夢とも現実とも分からない感じで亡くなったはずの両親と何気ない会話をするおっこちゃんの姿が挿しはさまれたり、仲良くなったグローリーさん(最高の女)とのドライブで割と大き目なトラウマの発動をさせて未だ心の傷は癒されていないことを見せ、ほんわかした日常話が続く中で少しずつ不安を煽っていきながら、物語の最後の最後で強烈な一撃を打ち込んできます。おっこが心を込めておもてなしをした家族、そのお父さんが「自分の愛する人たちを奪ってしまった人」という強烈な一撃。と同時に続けざまに襲ってくる無意識のうち自らが考えないようにしていた「両親を失っていた現実」、更に「心の支えだった友人たちとの別れ」まで突き付けられるという非常のチェーンコンボ、悲しみのピタゴラスイッチ。優しい人たちに囲まれて誰も悪い人がいない世界でさえ残酷な現実がやってくるわけです。そんな大人でも崩れ落ちそうになる悲しさの中で、皆が自分を思ってくれていることに気づき、旅館の信条とする言葉の真の意味を理解してそれを伝えるおっこちゃんの姿に、私はもう涙が止まらなかったわけです。児童小説の絵柄の可愛い女の子が出てくるアニメ映画なので大人は躊躇してしまいがちですが、これは大人にこそ見てほしい、優しく、強く、愛おしい、赦しと癒しの物語。本当に素晴らしい映画でした。あとグローリーさんは最高!俺のピンチ(あまり考えないようにしていたけど、ふと自分が独身で低所得者の初老の男性だという現実を思い出して度数の高い缶チューハイを飲みながら号泣するときとか)に駆けつけて俺をそっと抱きしめてほしいとも思いました。


「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」

 笑顔の可愛い女の子の優しい映画を見て多幸感に包まれた翌日、調子に乗って赴いたのは新宿シネマカリテ。縦に短く横に長い椅子の並びが特徴的なオシャレな映画館。この映画館で赤犬のロビン前田さんのツイートで存在を知って以来ずっと気になって仕方がなかった、恐らくサブカル不毛の地高知では絶対に上映されない「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」を見たわけです。

 監督はパノス・コスマトス。「ランボー/怒りの脱出」や「コブラ」などの漢気溢れまくる映画で有名なジョージ・P・コスマトス監督のご子息なのですが、親父譲りというか親父を超えた漢気っていうくか狂気をまき散らした凄い映画でした。この映画を見て最初に出てきた私の言葉はただ一言、「暴力・・・(ウットリとして)」という感じでした。最愛の恋人マンディと湖畔(作中でマンディがクリスタルレイクと言うシーンがあったりして笑ってしまった)で暮らすレッドさん(ニコラス・ケイジ)は、ある日カルト宗教の教祖と奇形バイカー軍団という異形な存在に理不尽に襲撃され、最愛の人マンディを生きたまま燃やされてしまいます。とにかく、ニコラス演じるレッドさんが開眼するまでが長い。前半はこのままで終わってしまったらどうしよう・・・いうくらいゆるーっとしたテンポで物語が進んでいきます。中盤まで割と不安でした。あとグッスリ寝てるレッドさんたちを襲撃するのに凶悪バイカー集団を招集する必要は本当にあったのか?とか思ったりしましたが、交換条件として提供された生贄のデブが最高に生贄顔であの日あの時あの場所で生贄にされるために生まれてきた、そんなツラ構えだったので、これはもう仕方がないと思ったわけです。

 とにかく長く感じた前半は、単にレッドさんが開眼するまでの前ふりでしかなかったと強引に解釈しました。ジェットコースターは頂上に着くまでは長く感じるものですが、頂上から下ればあとはもう怒涛の展開です。知らないオカルト教団に恐ろしく屈辱的な目にあわされたうえに愛するマンディを焼き殺されたレッドさん、ショックに打ちのめされて虎のプリント柄のくそダサいトレーナーにブリーフ姿で便座に座り、度数の高いアルコールを号泣しながらラッパ飲み。酒を飲んでいるうちに強烈な怒りが湧いてきてブチ切れたかと思ったら、また号泣→ラッパ飲み→ブチ切れを繰り返していきます。鋼を熱して叩いて冷ましてを繰り返して強度の高い鋭い刃物が生み出すように純度の高い狂人が超高速で錬成されていく様をこれでもか!と見せつけられます。これがもう圧巻のニコラス・ケイジっぷり。凄いとしか言いようがない。怒り狂ったレッドさんは友人からバイカーたちの情報と殺意満点の弓と矢をゲット、これまた殺意満点のオリジナル殺人斧を開発し、バイカー軍団相手に拍手喝さいのはちゃめちゃな大暴れを見せていきます。

 悪人と被害者しかいない発狂した世界の中で、レッドさんは次第におっこちゃんとは逆ベクトルで魅力的な笑顔を取り戻していきます。発狂していくレッドさん、何を言ってるのかよくわからないマンディ、高圧的で不快でムカツク存在でしかないのに別に強くもない情けない教祖ジェレマイア、不快で嫌なババァ、変な女、不快なジェレマイアの腹心、教団の中で唯一役に立ってそうなチェーンソー男、生贄の豚よりも教団に存在する意味がよくわからない車磨きマン、生贄の豚、バイカー三人衆、虎を飼ってる変な爺さん、この手の映画に出てくる助言を与える偏屈な黒人の友人(なんかポリコレ的に怒られるやつ)で構成される狂気と暴力の世界。理不尽な暴力で最愛の人を失ったレッドさんは怒りと狂気を正面から受け入れて突き進みます。殺意満点のアクション、レッドさんの木こりという設定を生かしたカッコいいチェーンソーバトルに大興奮。これは狂気と、暴力と、血塗れの、赦さない怒りの物語。僕たちみたいなボンクラが大はしゃぎしてみる最高の映画だと思いました。最高!


おわりに

 この真逆のベクトルを持った二つの映画を見た感想なのですが、私の気が変になったと思われも仕方がないとは思いますが、私はなぜかこの相反する物語の作りがとても似ていることに気がつきました。愛する人を失ったおっこちゃんとレッドさんはオカルティックな世界の中で異形な者たちとの邂逅を経て悲しみの中で最愛の人を想いながら運命に立ち向かいます。おっこちゃんはあかね君のためにオリジナルスイーツである露天風呂プリンを作ります。そしてレッドさんはオカルト教団とバイカー達のためにオリジナル殺人斧を作ります。共に偏屈な友人の助言のもとに己の信じた道を進み、2人は愛する人の命を奪った人物と直接対峙することになります。「花の湯温泉のお湯は誰もこばまない、どんな人でも受け入れる」と赦しの道を歩んだおっこちゃん。「俺がお前の神だ」と一切の許しを見せなかったレッドさん。過ちを赦すことの美さ。過ちを絶対に赦せない怒り。全く逆のベクトルで展開される物語だけれど、どちらの気持ちもよくわかってしまう。人は相反する気持ちを抱えて生きている生き物だから、そのどちらにも共感できると思うし、状況を想像することができるから、お互いのことを想いあえる。理不尽な事象により愛する人たちを奪われた主人公が、この世の者ならぬ存在を感じながら悲しい運命に立ち向かっていく物語。理不尽な運命の前に打ちのめされて号泣するおっこちゃんとレッドさん。全く真逆のベクトルで展開していくけれどおっこちゃんもレッドさんの選ぶ道のどちらも最高でどちらも本当に素晴らしい映画だったわけです。子供向けアニメだからだとか、血塗れの暴力映画だからだとか、そういう考えは捨てて、これからも色んなものをおやつ感覚で楽しめる、そんな自分でありたいなーと思ったのでした。おしまい。

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豆みつお

瀬戸内海に浮かぶ小さな島、女人島からやって来ました。島民は俺以外全員女だけという夢のような島でしたが女たちは先日、全員老衰で死に絶えましたので、廃墟となった村を捨て漁船で四国にやってきました。心機一転ガンバリます。
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