2016年7月4日

空は粒を落とす。
季節も変わりない景色のうつろう心のスケッチだった。
つまりは私の心は海だった。
小石を投げてはまた投げ、何度も何度も自問自答していたそれが夜になっても行われた。
手の中はもはや真っ赤だった。だが、未だ答えを求めて投げ続けた。
そしてこれはいつ終わる夢なのだろうと錯覚を起こし狂いそうになった。
しかしこれは現実だった。それをおこなっているという事実そして痛み、人々の遠目からの白い目、それは私の憤りの証である手の中を砂利で汚した。

私は歩きたかった。しかし此処にいるのであった。此処でいつまでも海に向かって小石を投げ続ける。
物語やポエジーは存在するのかと疑問符を浮かべた。
私は解らないのだった人を傷つけること、人に傷つけられている事実。
その憤り。そして辺りが宵闇に夜風の冷たさと心が冷めてきた辺りで放課後は終わるのだった。

帰宅し私は母に黙って自部屋に篭った。
まだ収まらない衝動があり発散が必要だった。自慰と腕を傷つけることだった。電話が震える。
緊張と静寂が闇に近い部屋の間接照明と机の上で暴れていた。
食事は脂の乗ったシャケと煮物だった。味は美味しかった。食べ盛りな事は間違えない。

母は何も言わずまた化粧をしに、鏡のある部屋に向かったようだった。
私は知っていた、母に恋人がいることを。
母はピアノはもう弾かないという事実と同じくらい私には露骨に気づかされる事実だった。母は私が小さいときピアノを弾いてくれた。それだけは。

部屋に帰るとヘッドフォンで鼓膜を静かに振動させ、心高ぶり、五線譜とそれとは違う何かをただよくもわからずドタドタと鳴らす少し昔のロックバンドを聴いていた。そのバンドは
「カリスマ殺したい、だって時代は俺のもの、世界は俺の膣の中で痙攣していく。空は高いぜ ケツの青いガキが俺ら判断するなと」叫び歌っていた。
正直演奏が上手いだとかオシャレとかどうでもよかった。私はボソッと口にするのだった「俺もだ」

そうバンドの名前は「東京タリバン」インディーズで熱狂的なファンがいて、ネットなどを通じて過激なパフォーマンスが評価されていたのだった。彼らはヴォーカル、ギター、ベース、ドラムの四人組でヴォーカルの芸名だけ知っていた。
「ラディン原口」といった。芸人の名前みたい。でもあいつの腹の底見てみたい。なんて己の中に何か確かに熱いもの、震わす是空。堕天使の羽根むしる。むしろお前ら俺の素晴らしさわからないな?と彼らの歌詞が反芻するのだった。
電話が鳴るのも気づかず。メールが来ていた。母からだった12時なので寝なさい、と。

そして彼の1日は終わりに近づいた、当然終わりたくない夜。
眠気と高ぶりの中、片田舎、片親、精神病に近いほど病む思春期病質。
全て壊したい衝動。出て行った父に対する無言の蓄積。母の夜のデート。

私は明日が休日だということでもう今日は独りの部屋になんていたくないなんて気持ちに気付ける訳なく、この退屈な部屋の中で勉強だってしないで石を投げるような気分でないので、音楽を止め、静寂と耳鳴りのロデオを笑うことにした。
やっぱり女の子はおっぱいが大きい方がいいに決まっているということだろう。まあ空だ。眺めろ。
個人的な感想しかないのが月が出ていない時の空だ。みんなが眺める雲も覗く太陽も抽象的な感想文だ。
つまりみんなスケッチしているのと同じで全く同じ空を見ているということはないのだ。
それに比べたら芳しい春も近い涼しげな月と闇。私は語りかけていた。
そして月は頷いていた。それは海に石を投げるのとは、行動を伴っているという処など近い衝動をもっているあたり近いということに気づけなかった。

そんな客観性いらない。ただ穏やかであるという違いがあるじゃないか。
学内の友達だとしたらこんな優しくないし、母のように無口でもなく、先生のようにできない私を、孤立している私に困惑することもないし、つまり母性なのかもしれないのかもしれませんね。

例えば看護婦さんみたいな、優しさ。子供の頃発達障害のある私に優しかったマジ優しいお姉さんみたいな看護婦さん。
雨が降った時石投げは残酷性を強く帯びる。身体は濡れフラッシュバックする、月は雨粒がシャワーのように落ちてくる時月は濡れている。間違えない。私は信じている。
「俺の好きな宮沢賢治はシグナレスを書いている。あのペンと紙に好きな色を塗りたい。それはデザイン的に観て配色の流れと、水彩のドローイングの滲みを帯びた美しい色に違いない。俺は賢治の作品に色を塗りたいんだ。俺の書いた物語を聞いてくれないか?」
私は雑な字で書いた私だけの作品を、ゆっくり不器用な朗読だが始めた。

いつか漂っていた記憶に帰りたいくらいもう戻れない道を歩み疲労している時ってあるだろうか?
明日は未来だ昨日は過去だ希望は見張り台からでも覗けない
空は高いそしてその冷たさは雨の一雫に込められた空の願い 夜になると月は真っ暗な世界で唯一話し相手になってくれる
今日もボクは話しました人形がなくなったことが苦しい 悲しいとおもったのでそのことを伝えました
すると月は言いました
その人形には君の優しさや笑顔 涙 たくさん詰まっていたんだよ でも恐れる必要はないその人形は君と分かち合うために君のもとにやってきたんだ その人形は猫みたいに気まぐれだし君がとぼけてたらあっという間にいなくなっちゃうんだよ
そんなことを思い出していた 私は大人になった今日も歩いて家に帰っている ふと思い出したのだった
この冷たさはあの日と一緒だ きっとあの子はあの人形の代わりにボクの前にやってきたんだ と
ずいぶん長い付き合いになった私は退職して今でも月に語りかける 妻はそうやって月をながめる私の背中を見てどう思っているのだろうか今だにわからず 夜は深い 底に溜まるみたいに
いつかの夜空と変わらず私は語りかけている あの時のことを思い出し いつか死ぬ時を薄ぼんやりと想像しながら 世界の隅で月がたまに相槌を打つのを確認してもう一度同じことを言うのだ
空が青いうちには味わえない私の楽しみなのだ あの時の思い出と安らぎといつかの記憶の内に秘めた思いの中でゆらりゆらりと月夜にゆっくり息をひきとりたい

物語は終わった。いつか書きたいと思っていた続きが自然と出てきた。
それは即興で書き起こしたものでなく途中から即興で言葉と物語ができていた。拍手もないが、心が透明だった。心の苦しい部分がとれた気持ちだった。こんな気持ちは味わったことがないようで味わったことがあるような訳のわからない快感におそわれた。
「それってなんてタイトルだい?」月が初めてこちらから話しかけてきた。私は言った
「月の打ち解けてきた時」と。

私にはじめて月のことを思って話していた。物語を友達に自分の自慢でなく、はじめて相手の気持ちを考えて話せた時だった。
月はニッコリ笑った。
じゃああの自分の海に向けて投げていた小石は小さな憎しみと孤独で怒りなのだと認識したい。自分の物差しで、他者と話すこんなに素晴らしいことはない。きっとそうだ、と私は言った。

この金曜の夜だけは気分を変えられた。そんな夜だった。目が覚めたら私は電話で時刻を確認して、病院の時間までまた東京タリバンを聴こうと思った。
iPodで歩きながら音楽を聴こう。電車の待ち時間、寒さ。風の通り道。
私は詩人になった夜。少し成長した夜。忘れるかもしれないけど、夢だったのかもしれないけど、月曜からは保健室に行こうと思った。それでいいんだ。

空が銀河のエネルギーみたく眩しい。こんな空なんて引き裂いてやる。

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