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息抜きの息継ぎ:30年後

『30年後あったらいいな』

noteの企画内ではとうに過ぎ去った締め切りをガン無視して
今日はこのテーマでコラム調で好き勝手書いてみたい。


去年の年末に、テレビで放送されていた映画、バックトゥ・ ザ ・フューチャー2(1989制作)の
物語上の30年後(2015年)のシーンをちら、っと見た時に

これは日本のアニメの中では
実現されている世界だな、と感じた。


この流れで、30年後のアニメの可能性を語ってもよいのだけれど

私より熱く語れる方は
ごまんとおられる気がするので

別の誰かさんに任せるとして、


今回は直感的に違う角度から。


例えば近くの商店街のくじ引きで私がいきなり映画監督になる権利を得て

30年先の
少し未来の自国(日本)を舞台にした映像物語を自由に作れるとする。

どんな世界を描きたいか、


2050年少し手前、
現実的に大きく変わっていて欲しい、と私が願うもの


街並み。

これに尽きる。



私は都市設計や建築に全く詳しくはない。
博識でもなんでもない。100をマックスとするなら15位の知識しか、ない。


でもだからこそ
今までの人生で私が体感してきたことをベースに、素直な気持ちを書かせて欲しい。


先日、福岡のギャラリーで
建築士の田根 剛さんの展示を見てきた。


(私の別ブログから簡単な写真付き感想)
https://mayprismmm.amebaownd.com/posts/5827726


田根さんについては、何も知らなかった。

ただ、北欧のエストニア国立博物館の写真を見て心が動き

現在福岡で展示がされている、と知り
足を運ぶことにした。


このエストニア国立博物館の設計がされたのが2006年、
完成年は2016年、

10年かけて造られた博物館なのだそう。


メインの展示は
左右と前方の3面壁をスクリーンとして使ったスライド式の映像だったのだけれど

博物館の建物がその土地の地形に見事に馴染み
澄んだ空気と調和していた。

自然の一部のように違和感がなく、それでいて直線的、現代的で美しい佇まいだった。


1度も足を踏み入れたことのない地域ではあるけれど
私が北欧について以前から感じていることは

空気だけでなく
音楽もとても澄んでいること。

テクノ・エレクトロやロックでさえ、他の国の人間が作るものにはない、(出せない)独特の「澄み感」がある。


それから
ここ十数年のインテリアや物質のデザインが
宇宙レベルで洗練されている、ということ。


山や緑、自然と調和させながら物質を線(直線に限らず、流線や曲線など)で捉え、
素材にも一切ムダがなく洗練された創造をする、


『物質=自然の延長線上にあるもの』として捉えられる
その先進的な感覚、は

人間としてリスペクトすべき部分、だとさえ思っていた。


エストニア国立博物館は
そういう人々の気質に合った素晴らしい建築だと思った。



ここからは、ちょっと主観的な話になる。


スライドの中にある北欧の空の広がり方は
私の育った街、神戸にも少し似ている、と思った。


穏やかな海と安定感ある山の緑に囲まれた
神戸。


山を切り開き、平たくした土地に
いくつかの街をすっぽりときれいに入れこみ、

切り開いた分の土も余すところなく使って
人工島を2つ作った、あの、神戸市だ。

(って後者は主に地元人しか知らないやつ)


ひとくくりに神戸といっても
区により雰囲気も成り立ちも微妙に違うのだけれど、

私の育った地域は

1938年に
当時の市長、野田文一郎という方が
自身が見てきた満州の街づくりからインスピレーションを得て

当時ほとんど何もなかった未開地域に、未来都市をつくろう、
という構想を掲げたところから始まる。


途中戦争が入り、一時計画が完全に頓挫しかけ
宙に浮いたような状態になってしまうものの


その30年後、
70年代に当時の市長がそのバトンを繋ぎ引き継ぎ、
80年代には実現、完成をさせる。


・・という胸が熱くなるような流れを経て
夢が結実された街。


だから、その情熱の恩恵をダイレクトに受け取った1人として、
敬意を払いながら
お礼の意味も込めて

以下は謙遜ゼロで
はっきりと書く。


緑や自然と調和させながら
『憩う』ことを意図して造られた街の
居心地の良さを
私は体感として知っている。


そこで育った自分、を自慢をしたい訳ではない。
(たまたま、親の転勤で人生のほとんどをそこで過ごしただけのこと、)


ただ
そういった体感を得られる場所が
日本各地にもっともっともっと

そこかしこ、右にも左にも、
もう至るところに、あっても良いはず、
と願わずにはいられない。

実は神戸を出て以来、ずっとそう願い続けている。


神戸以外には、
小さい頃に岡山、奈良、
そして現在の福岡、と住んでみた。

どの土地にも良さはある。だけど、

住めば都、という言葉を私はあまり信じていない。


純粋な意図を持って設計された街は
快適で、居心地が良い。

そうではない場所は、シンプルに、そうではない。

日本に楽しく暮らせる場所はいくらでもある。
でも、この違いを感じるのは事実だ。

自分の感覚で実際に感じてきたことに、
嘘はつけない。


土地にまつわる権利だの
不動産にまつわる黒い世界だの
政界とのあれな繋がりだの

現状、古い家ばかり空き家になり
狂ったように似たような新築マンションばかりがいくつも建ちゆく実態の裏側にあるもの、だのは


あえて、そうあえて
すっっっっっとばして、書き進める。


星に願う乙女のような強靭な心と図太さでもって書き進める。



例えば20年前からタイムワープして来た私なら

今の日本を街を見て、
ちょっと残念がるかもしれない。

私の知っている今と、あまり変わりはないんだね、と。


2000と20年目前の今、

神戸より
もっと素晴らしい住み良い都市が3つくらい出来ていても(リニューアルしていても)良さそうなものなのに


その土地の歴史や特性を生かした
より自然と調和が成された

新しくて日本らしい日本、に生まれ変わっていても
良さそうなものなのに

人々には
技術も知恵も
ありあまる位あるはずなのに、

昔より、進化しているはずなのに。


私は建築士でも都市設計士でもない。
政治家でもない。


だからせめて、今後物語の中では
住み心地のよい街、
緑や自然が豊かで美しい街、をイメージし

舞台にし
空想を交えながらその空気感を表現をしていきたい、と思う。


(神戸に限りなく近い街、を舞台にした物語は、過去にひとつ書き、保存している。
春以降、出していく予定。)


これを読んで、「いやいや、私の地元には
あなたが感じられない良さや美しさや情緒や趣がある、

あなたが知らないだけだ、」


と思った方は、ぜひ、そこを舞台にして物語を書いて欲しい。
その感覚を生かしてほしい。


自分の育った国や地域、街から得たものを生かすことは
創作や創造の基本だと思うから。

そこに実際に生きた者、住んだ者にしか出せないものがある。

そこに価値を置いてあげて欲しい。

それはあなたにしか出来ないことだと思うから。



私は、日本らしさ、を基盤にしながら
これから先、もっと快適な未来の街へと変わっていって欲しいと思う。


今回の田根剛さんの展示は、私にとってとても良い刺激になったし

正直に言うと
未来が少し楽しみにもになった。

まだ、願っていても、良いだろうか。


あの素晴らしい博物館を建てるのに、
10年。


アニメや映像の世界の話ではなく

現実の世界でも

あと30年あれば
あるいは、と

少しだけ、期待をしていても
良いだろうか。

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