名称未設定5

【短編小説】ビリーみたいにきれいな青色の髪

私の好きなもの。食パンの上に乗っかったピーナッツバター、パリパリの薄いチョコが入ったチョコミントアイス、可愛い女の子、イケてる雑誌、映画、音楽。そしてビリー。

まだまだいっぱいあるけれど、今はビリーが一番好きかもしれない。ビリーのことが本当に大好き。出会いは一日の日課のYouTube。黒い涙を流しているときも、道路で三輪車に乗っているときも、アニメで怪物になっているときさえも。ビリーは本当にすごくキュート。ダウナーな雰囲気なのに、誰かと話しているときは時々表情が豊かになるギャップとか。もう最高♡。

中でも私のいちばん好きなビリーの仕草は、誰かが傷つきそうなワードを言うときは、一瞬ンフフといって笑うところ。そしてそれからそれを踏まえて、やさしくて、しっかりとした自分の答えをいう。そんなビリーが大好き。ンフフって、可愛い。ンフフ。

私が大好きになったきっかけでもあるんだけど、ビリーが自分を通してなんであんなにみんなの味方をしてくれるかというと、ビリーもまた私と同じように人生のハンディキャップってやつを持っているらしい。ウザいよね、全然個性なんかじゃない。出かける度に、気持ちが悪くなってトイレに駆け込んでドラゴンみたいに吐く毎日。学校に通っていたときなんか本当に最悪だった。ンフフ。だから私もビリーみたいに強くなりたいなってずっと思ってる。なんてね。

最近読み慣れないニュースサイトでビリーのためにインタビュー記事を読んでいると、ビリーは実のお兄さんと音楽を作っていることも知った。幸いなことに、私にも兄がいる。私の兄は私と違ってそれは優秀だ。スポーツも勉強もできて、時々作業服のような服を着たラッパーの友達とともにDJなんかもやっている。そんな兄はつい先日までやっていた部活も引退して、家で受験勉強にもちょいちょいと取りかかっている状況。これはまさしくチャンス。DJとビートメイクは違いそうにも見えるけど、作戦を練ってみる。通信高校に通うこと確定の不登校の妹と、優秀な大学を目指す兄の合間の音楽活動(仮)。ウケるな。

そう決心が決まってから計画を実行に移すまでの時刻はとても早かった。私が兄と一対一で直接話すときは兄は決まって「化石」になってしまう。それはものすごくカチカチに。ようするに、兄に無視されてしまうのだ。化石化が始まったのは、私が学校に行かなくなってから。だからお母さんとお父さんをワンクッションとして挟める機会の夕食どきを狙うしかない。テーブルでは兄に彼女が出来たらしく家族みんなが盛り上がっているが、そんなこと知ったことではない。行くぜビリー。

私は兄を下の名前で呼ぶのだが、ファーストコンタクトは「そうだ、兄となんかやってみたいな」だった。トートツで、意味がわからない。このところ人と話す機会がめっぽう減って、会話が下手になってきているのだが「兄も家にいる時間が長くなったし」と付け足すと食い気味でお父さんとお母さんが「受験がある」と言ってくれる。私という杭が平穏を乱すと決まって兄は優しい兄を演じてくれるので「何を?」と興味ありげに言ってきてくれた。徐々にペースを落ち着かせて「歌手になりたいと思ってて作曲してほしい」という旨を伝えた。兄の彼女の話題のときとはえらく空気の高低差があり過ぎるが(不登校の娘が何を言い出すやら当然である)、兄は華麗にパス回しするように「面白いね」と九割方社交辞令の了承をしてくれた。

嘘っぱちで、自己中で、全然ビリーじゃない。だけど何だかさっきの私たちの会話がビリーとビリーのお兄さんみたいで、ちょっと嬉しかった。ビリーたちの音楽活動のはじまりはどうだったのかな。だけどもし実際に作るとしたら、音楽ってどう作るのだろう。兄が言うには作曲するときはナントカのアプリで作るらしい。順番は作詞が先、作曲が先?。CDでリスニングの勉強をしながら考えていると、やっぱり歌詞は英語がいいなと思った。ビリーと一緒♡。勉強そっちのけでにやにやしている頃には、きれいな英語の再生も終わってふとわれに返る。すると、兄が隣の部屋で誰かと話している声が漏れてきた。通話を通して、暗記問題の出し合いっこをしているよう。時折溢れる兄の聴いたことない甘い笑い声。彼女と話していた。

翌朝。不登校からの不眠もだんだんと強くなっている寝ぼけまなこを連れて洗面台へと向かうと、私の姿がうつる。一カ月毎から数ヶ月毎へ。引きこもっているわけではないけど、自然と家にいることが多くなった私は髪もボサボサになることが多くなってきた。ビリーに影響を受けて歌手になると決めた、私の家にいるアーティストはとてもダサいアーティスト。好きになったときからビリーみたいなきれいな髪になりたいと思っていたけれど、同じ歌手になりたいに変わるとその思いもなんだか増してきた。癖毛混じりの私が銀色にするとおばあちゃんみたいになっちゃうから、やっぱり青色がいいな。

人気者のスーパースターを好きになることはいい。それは何処にでも私と同じように好きな人がいて、いろんなところで音楽を掛けてくれるから。お気に入りのFMラジオで数回、自主的にアルバムで一回♡。今日も勉強しながらルーチンのようにたくさんビリーを聴いている私がいる。ラジオのMCはしきりに毎日ビリーが17歳だということをアピールしていて、年齢ってすごいなって思ったりする。私の二個上であんなに魅力的なんだもんな。そういえばビリーは私と同じ15歳の頃は何をしていたのかな。海外は高校受験とかあるのかな。部活とか何かやっていたのかな。好きな人はいたのかな。15歳といえば通過点。私が朝から夕方まで独りで机で続けているこのお勉強は何の役に立つのだろう。来年に迫る高校生活は通信高校といっても月に一回は学校に行かないと行けないらしい(サイアク)。もしこれから大学を目指すなら、いい偏差値よりトイレの多さを基準にしないといけないや。トイレでできる仕事とかあるのかな。こんなことを考え出すと一瞬で夜になっちゃうからおしまい。

今日の課題も全部終わった。英単語を覚えているときには、ビリーの曲の歌詞にある単語が出てきてちょっと嬉しかった。なんでもビリーと重ねちゃう。外を見たら夜だ。玄関先では何やら騒がしい。兄が例の彼女を連れてきているようだった。お母さんの定期的に発する「可愛いね」や「きれい」がちょっと気になり、覗いてみたいと思ったけどやめておいた。声の雰囲気的にもきれいな人なんだろうなとは思った。しばらく経ったあと、兄と兄の彼女は一足早く外で夕食を済ませているらしく、隣の兄の部屋にいるみたい。私たちの夕食の時間。私とご機嫌のお母さんと、後から帰ってきたお父さんもつられて機嫌が良くなり、ちょっと私まで面白くなってきた。えへへ。いつもと違うテーブルでごはんを早めに済ませて、私は一人部屋に戻った。

作曲担当の兄は彼女といちゃつき中なので、当然作ってなんかないことは分かっていたけど私はお母さんに許可を得て部屋に持ち帰ってきたMacBookでビリーの音楽活動のスタイルについてさらに調べた。最初はSoundCloudという音楽投稿サイトに登録していたみたい。オレンジ色の雲のサイト。私も最初はここに投稿しようかな。待って、英語ばかりでわかんないや。Tumblr、Bandcamp。やっぱり私はYouTubeとSpotifyが好き。(Instagramは可愛い♡)

結局、私のビリーの音楽スタイルの研究とやらはいつもどおり日課のYouTubeに落ち着いた。五秒間の焦らしを終えて、ビリーの姿をあらためて見る。やっぱりビリーはいつ見てもかわいいな。動画最高。前の単に好きだった私とビリーみたいなアーティストになろうと決意したあとの見方では、決定的に違うのは歌い方の意識だった。前はただ単に嘘ばっかりの発音の英語で口ずさんでいたが、今はどこで強弱をつけているのか、ビートに自分の歌声をどう乗せているかを意識して一緒に歌ってみる。これは確か兄はフロウって言ってたっけ。自然と声に力が入ってきた。

誰かに影響を受けてアーティストなんてものを目指しだすと、さらにその意中の人のことが好きになりだすのはもちろん、意中の人と同じように何かを作ることは本当に面白いことだと気づいた。髪もボサボサで日中スウェット姿の私とおしゃれなビリーとは似ても似つかないけど。寝る前の歯磨き中に、鏡の前で思わずにやけて笑っちゃう私。ありがとう、ビリー。「ふふ、ビリー・アイリッシュ好きなんだ」家の中で聞き慣れない高い声に振り向くと、可愛い女の子が立っていた。動揺してしどろもどろに「こんにちは」と返す私。口の周りについた歯磨き粉も相まって本当にカニみたいにアワアワだったと思う。 女の子は 「へへっ、こんにちは」と返してくれて話を続ける。

「さっき、ベットの中でカラオケが聞こえてきて、お兄さんと隣にビリー・アイリッシュがいると話していたから」と冗談交じりにいう女の子。"ベットの中で"という前置きからやっぱりいちゃついていたのではないかという確信と、我を忘れて大きな声で歌っていたことに照れてうまい返し方は思いつかなったが、どうやらこの女の子が兄の彼女らしい。きれいな黒色のショートカットがチャーミングなお姉さんと思った。お母さんが「可愛い」や「きれい」を連呼する理由も頷ける。名前はアイリちゃんというらしい。お姉さんはそのあと私の名前を知ると「アイちゃん、よろしくね」と言ってくれた。可愛いお姉さんと話せるのがすごく楽しいと感じた。お姉さんはそのあと立ち去ろうとしたが、私は思わず会話を続けたくて「ビリー・アイリッシュ好きなんですか?」と声のボリューム調整を忘れて言った。私って、本当にダサい。「詳しくないけど好き。あとスネイル・メイルやクライロとか」。ビリーに続く二人はその時知らなかったが(あとから聴くと最高)、テンションが高まって「私も大好き!」と返す。するとお姉さんは「いいよね。ベッドルームの女の子」と続けて「今度一緒にお出かけしよう」と言ってくれて兄のもとへ戻っていった。私は終始えへえへしててキモかったと思う。アイリちゃん、とても可愛い。あとからお母さんに教えてもらって気づいたのだが、もう時刻は深夜。今日は兄の部屋でお泊りするらしい。

翌朝。起床後、今日も少しだけアイリちゃん(とちょっと兄)に会いたいと一瞬思ったが、二人は一緒に学校に向かっていて当たり前のようにいなかった。それが普通だ。私が普通じゃないのだ。家の中で誰よりも遅い朝食を召し上がり、お皿を洗って、いつもどおりの独りの勉強に取り掛かる。寂しい気もするけど、心の中ではビリーも一緒。FMラジオで数回、アルバムで一回。今日は決まったルーチンの中に、アイリちゃんが言っていたベッドルームの音楽も取り入れてみた。捨てアカ同然のメールアドレスでSoundCloudに登録して、落ち着く音楽が入ってくる。なかなかいいじゃないか。ベッドルームミュージックという言葉は、家が「聖域」である私にとってとても馴染み深い。アイリちゃんが言っていたスネイル・メイルやクライロ、さっき見つけたキング・プリンセス、そしてビリー。みんな可愛い。私も勉強の合間に思いつく歌詞を秘密のノートに書き留めていき、時々見返しては恥ずかしくなって消しゴムで消して、リズムなしの詩がだんだんと出来上がっていく。へへ、これ兄にいざ見せるとなると恥ずかしいかもな。

午後からもスマートフォンで音楽を聴きつづけていると、リズムを遮るようにメッセージアプリの通知音が二回鳴った。一回目、そのまま放置していると間を置いて二回目。珍しい、誰だろうとスマートフォンの画面を見ていると兄と新規の誰か、アプリを開いて確かめてみるとアイリちゃんだった。アイリちゃんのメッセージにドキドキしながらまず兄のメッセージを片付けてみると「ID教えていい?」と来ていた。無許可で勝手の嬉しすぎる出来事。もちろんですとも。そしてアイリちゃんからは今日の放課後から予備校の時間まで一緒に会わないかというメッセージが来ていた。嬉しい。まるでビリーからメッセージが来たように、ワクワクが止まらない私。こんなにメッセージアプリをまじまじと見つめたのは一年前の初恋以来だったと思う。(結末は最悪だったけど)

即座にお母さんに報告すると驚かれたけれど、私が外出するときの諸注意込みでもちろん承諾。はいはい。アイリちゃんのおかげで急遽特別な日となった今日はお勉強など早々に切り上げて、とびきりのおしゃれをセットしていく。いつものコンビニ用や病院用なんかの服装ではない、とてもおしゃれなやつ。兄はというと、一緒に部活を引退した同級生と遊ぶからいないらしい。ということは二人きりだ。私は外出用の錠剤を服用して、外に出かけた。外出先での服用は久しぶりだったため、隙をつかれたようにひどく眠気が襲った。寝不足からくるものではないヤな欠伸。幸い、まだトイレに用事はない。こんなところビリーには見せられないと思っても、ドラッグと私では必然的にドラッグを取ってしまう。体がきつい。いっそのことヤバめのラッパーみたいに、ODでハイになりたいとかも考えてしまう。ビリー、こんな私好きじゃない。

待ち合わせ場所の駅前では、制服姿のアイリちゃんが待っていた。私の方が年下なのに、私が私服でアイリちゃんが制服姿。なんだかウケる。私が「おまたせ」と声をかけると、アイリちゃんは「今日は来てくれてありがとう」と言ってきた。私が不登校のことを知ってるのか気になったけど、それは聞かずに当たり障りの無い再会をして街に繰り出すことにした。時間は一時間くらいらしい。ワクワクしてきた。

何から話したらいいか分からないけど、聞きたいことや話したいことはいっぱいある。アイリちゃん自身のこと。音楽のこと。彼氏(兄)とのこと。私のこと。お互いちょっとだけで行き先を悩んで、場所は兄とのはじめてのデートで兄が誘ってくれたというカフェになった。コーヒーはずっと苦手のくせに、好きな女の子をガールフレンドとするためを思った兄を想像すると少し面白かった。あまり体にいれるとアイリちゃんに見せられないハメを外しかねないので、注文は最低限にした。一方でアイリちゃんはこれから勉強を備えているので通常通りの夕飯分のサンドイッチを注文していて、服装しかりまた立場が逆で面白かった。

直後にはアイリちゃんが「今日もビリー・アイリッシュ聴いてきた?」と聞いてきた。漏れていたカラオケのこと思い出しているのか少し笑みがこぼれていて可愛かった。私の大切なルーチン。「もちろん」と答えてアイリちゃんが好きなベッドルームの音楽も聴き出したことを話した。そのあとは、たくさん知らない音楽を教えてくれたり、お互いの好きな音楽について話した。こんなの久々。ビリーを好きになったきっかけを話していると、途中で思わず不登校なことをバラしてしまったが、どうやら兄から事前に聞かされていたそう。そのあとアイリちゃんは「ンフフ、アイちゃん頑張ってるもんね」と言ってきた。不登校のワケも知っているのか気になったが、何よりビリーの仕草みたいだった。アイリちゃんにはビリーの好きな仕草についても話した。ビリーに影響を受けてはじめた、兄との音楽活動の計画についても。あれはカラオケじゃなく研究だったことも。兄に見せる予定の歌詞も。そういえば、兄のことは優しいから好きらしい。それとアイリちゃんのこと。アイリちゃんが15歳だったときのこと。ルックスや雰囲気はぜんぜん違うのに、 なんだかアイリちゃんがビリーにも思えてきた。

時刻もそろそろの頃。帰り道もかねて駅前近くにあるらしい予備校に一緒に向かっている矢先。服用もして、口に入れるものも気をつけていたのに、少し羽目を外しすぎたため怖くなってきた。気をつけていたのに。アイリちゃんに私の事情を説明するのは、ビリーにドラッグに依存していることを言うことと同様に億劫だった。歩くたびにだんだんと近づいてくるもやもや。怖さが耐えきれなかった私はアイリちゃんの手を強引に結ぶように私の手と繋いだ。アイリちゃんは一瞬驚く素振りを見せていて申し訳なかったが、その後何事もなく手を繋いでくれたまま目的地に着いた。

今は帰りの電車。アイリちゃんは予備校に向かう直前、近くの公園で私の体をさすってくれる動きをしてくれた。私はハグが含まれているようにも感じたあの時。そこでは言い慣れすぎて私の得意なセリフとなった「大丈夫」のやり取りがしばらく続いた。私は兄と同じ匂いがするらしい。最後に、正面で向かい合ってなにも言わないまま手を繋いで、アイリちゃんとお別れした。アイリちゃんの背中を眺めていると、私はキスまでしたかったと内心後悔もあった。兄の彼女なのに、 女の子同士なのに。ウケる。私は初めてのデートのように、その日はドキドキした。

それから数日。アイリちゃんと会わない日が続いてどれくらい経っただろう。早くまた会いたい。FMラジオで数回、アルバムで一回。今日もビリーのルーチンをこなす。私はあの日の翌日髪を切った。アイリちゃんと同じショートカット。心はビリーだけれど、ルックスは可愛いアイリちゃん。私に青い髪はない(ビリーだから最高)と決意して、それはバッサリいった。美容室ではアイリちゃんのInstagramを見せて注文しようと思ったけど、やっぱりそれは怖いから似ているモデルを参考に切ってもらった。結果はアイリちゃんに似ていて、上出来。私が帰ってきたら、お父さんとお母さんには驚かれたけど、兄には驚かれなかった。あらためて鏡の前に立ってみると、家にはきれいなショートカットのアーティストがいた。ビリーをリスペクトしていて愛している、日本人の黒髪のアーティスト。ビリーの曲の一節を口ずさんでみる。えへへ。自慢じゃないけど、自分がちょっと可愛いなと思った。

アイリちゃんとはしばらくメッセージアプリだけのコミュニケーションが続いた。音楽の話だったり、私とアイリちゃんにとって身近なこと、ちょっと兄のことも。驚かせたくて、まだ私がショートカットにしたことは言っていない。全然家に来なくなったから、お母さんが兄に当たり障りのないように聞いているのを盗み聞きしてみると、別に喧嘩しているわけではないらしい。アイリちゃんと兄は受験期間。お互い忙しいらしい。 FMラジオで数回、アルバムで一回。今日もビリーのルーチンをこなす私。私にとって大切なビリー。だけど、心がちょっとだけアイリちゃんに傾いてきた。

今日の私の家はお母さんがお出かけの日。なんでも、兄の部活の保護者同士のランチもかねたお疲れ会があるらしい。お母さんと一緒にいて窮屈ではないけれど、今日は一人になれてちょっとだけテンションがあがる。学校に通っていたときの、ズル休みをしたあの感覚となんだか似ている。不登校女子の束の間の休息ってやつ。スマートフォンの音量をマックスにしたら、ビリーとラジオMCの声もとても届くようになってきた。サイコー♡。今日はペン先が止まることが多くなっていたのは薄々気づいていたけど、もう勉強なんておしまい。最大限のBGMを背景に、一人でクレイジーにビリーを演じてみる。お母さんがいるときにやったら絶対怒られるような、トークショーに出ているときのビリーの椅子の座り方をリビングのソファでやってみる私。途中で中断したけど、お父さんが繋いでくれたネットフリックスでビリーおすすめのホラー映画をみてみる私。そして鏡の前の可愛い私。書き留めていた歌詞をアカペラで歌ってみると一昔前の高速ラップみたいになった。ウケる。アーティストの私もいつかビリーとコラボしたいな。

家の中での絶え間ないビリーリスペクトは夕方まで続いた。私の気持ちはだいぶ落ち着いたけど、私の部屋に置いてあるスマートフォンはハイライトのようにまだまだ爆音で鳴らしてくれていて、思わず呆れるように笑った。本音を言うと、一人がちょっとだけ寂しくもなっていた。すると締めていた玄関がカギで開く音がした。お母さんだとすると予定より早い。声から察するに兄と誰かだった。確認の前に、爆音のスマートフォンを思い出して恥ずかしくなった私は急いで自分の部屋に戻った。「ビリーだ」と笑う声に馴染みが。アイリちゃんだった。会いたい人が今家にいる。ドキドキしてきた。私はビリーの声をミュートにした。

「アイちゃんいるんだ」とアイリちゃんは兄に確認していた。はやく会いたい。そういえば、私がアイリちゃんを真似てあの翌日にショートカットにしていることは秘密のままだった。どうせなら、また鏡の前で会いたいな。ベッドでエビみたいに寝てスマートフォンを握る。停止した再生画面のアートワークに映るビリーを見つめながら、アイリちゃんを思う私。アイリちゃんと兄は隣の兄の部屋にいるみたい。隣に実在のアイリちゃんがいるのに、ドキドキしてビリーをのけぞるようにスワイプしてアイリちゃんのInstagramを見つめる。オカしい私と可愛いアイリちゃん。

それからはあまり覚えていない。ものすごく覚えているけど、思い出したくない。リビングからはお母さんが私を片付けなさいと怒る声が聞こえる。あれからしばらく経って、兄とアイリちゃんが愛し合っている声がかすかにだけど聞こえた。悔しかった。アイリちゃんの彼女や彼氏でもないのに、兄に奪われた気がして。そのときの私はエビになったままドキドキしながら、スマートフォンのパワーボタンを押して、もう一度停止したままのビリーを呼び戻した。しばらくその時間が続いたと思う。もう思い出したくない。お母さんの待つリビングに戻るフリをしながら鏡の前にたった。呆然となる。「アイちゃん」と声が聞こえてきた。お母さんではないことは確かで、振り向くとアイリちゃんだった。無言のまま立っていると「髪切ったんだ」と言ってきた。そうだった。でも何も言えない。「可愛い」と言ってくれた。私は無視するように何も言わなかった。アイリちゃんは何も悪くないのに、浮気されているみたいで腹立たしかったから。

そのあとアイリちゃんはお母さんに挨拶に行って、私はお母さんに正式に怒られた。ビリーごっこで置きっぱなしにしていたスナック菓子たちの後片付け。もう散々。お母さんは疲れて何もしたくないらしく、お父さんを置いて三人で外食することをもう二人に提案していた。私が片付けが終わると、お母さんに薬の準備をしなさいと言われた。うるさい。外食先は近くのパスタ屋さんになった。当たり前だけど、車で向かうときも席に座るときも二人は隣同士でそれはそれは仲睦まじかった。家族団らんの模範解答が続く席。料理が届くと、私は心のどこかでアイリちゃんに心配してもらいたくて早く私の中のモンスターよ出てこいとたくさん無理して食べた。ドラッグをキメたヤバめのラッパーのMVやYouTubeに転がっている衝撃映像の現場の雰囲気がこんな感じなんだと思う。いつもは出てこないでと怯えているのに、今日は出てこいと待ち構えていて、通常通り出てきてくれたときはなんだか嬉しかった。もっぱら、トイレで介抱してくれたのは足蹴に扱うお母さんで、あのときのビリーみたいなアイリちゃんではなかったけれど。その後の帰りはアイリちゃんを自宅まで送ることになった。前方の私とお母さんは無言のままで、後ろの二人はどこかを通るたびポツポツと話していたと思う。およそ十五分。自宅付近につくとみんなでお別れした。私は苛立ちと気持ち悪さからうつむいていると最後にアイリちゃんは「アイちゃん、バイバイ」と言ってきた。私は若干落ち込み気味を演じて「バイバイ」と返した。本当はそのとき、車の中は全員敵と思っていたことと、あのときのことを思い出してちょっとだけ嬉しかった。

全く途絶えたわけではないけど、その後アイリちゃんとのメッセージのやり取りは格段に減っていった。私は彼氏の妹なんだから、これくらいが普通かもしれない。話すことといえば、変わらず私たちのこと、おしゃれのこと、音楽のこと。彼氏のことはめっきり減って、アイリちゃん側も話題を避けているのだと思った。とか、詮索していると嫌なことばかり考えてしまうので、私は前以上にビリーに浸るようになった。一時停止からの反省。やっぱりビリー最高♡。

それと、私は自分のスマートフォンに一度消去していたガレージバンドを再インストールした。私と兄の音楽活動とやらは全く進んでいないことなんか分かっていたから。いわゆる、作詞兼作曲のアーティストになってみることにしたのだ。(ビリーも一応作曲できるみたいだし)容量が思ったより多かったので、当時の学校の友達と使っていたフィルターアプリや共有アプリ、残していた写真なんかは全部消して。アプリで自分の声をレコーディングしてみると、自分が思っていた声とだいぶ違って面白かった。タンバリン、ギター、ピアノ。意味わかんない。ワザと難しく書いているようなTwitterやブログを漁って、楽譜とにらめっこしながら埋めていく。

兄とアイリちゃんが家にいるときはあれ以来リビングに移るようにしたんだけど、作っているときにお父さんとお母さんが画面を覗いてきて本当にうざい。キック、スネア、BPM。トラックメイカーみたいに言ってみた(笑)。自動上書き保存と削除の繰り返しで全然進んでいないけど、アプリと向き合っているとビリーのルーツまでたどっている気がして面白い。 FMラジオで数回、アルバムで一回。朝から夕方のいつもどおりの勉強とビリーの時間では、ビリーのビートのすごさにあらためて魅力を感じるようになって、ビリーのお兄さんはすごいなと思った。

ある時、アイリちゃんから久しぶりにお誘いのメールが届いた。 なんでも兄の誕生日プレゼントを買いたいから、一緒にショッピングをしたいということだった。そういえばもう少しで兄の誕生日がくる。二人きりかどうかはもう確認しないことにしたんだけど、察するにたぶん二人きりだろう。彼氏の妹と兄の彼女のお出かけ。アイリちゃんのことは大好きだから、もちろん了承した。アイリちゃんといっぱい話したい。

お出かけの日は日曜日だった。もちろん今日も錠剤は服用済み。イヤだけどね。待ち合わせ場所に行くと、アイリちゃんが待っていた。アイリちゃんの方がいつも早くて私はまた「おまたせ」と言って再会した。兄のパジャマと制服姿以外のアイリちゃんの姿をはじめてみたんだけど、オーバーサイズのパーカーを着ていてなんだかビリーに似ていると思った。昔からではなく、兄と付き合い始めてかららしい。ショートカットとパーカーの私たちが並ぶとなんだか姉妹みたい。ウケる。

今日のメインは兄の誕生日プレゼントなのに、アイリちゃんは私に言いづらそうだったから私がすすんで兄が欲しいものを教えた。一応兄妹だからわかる。兄が今好きで集めているグッズは海外のハンバーガーチェーンと現代アーティストがコラボしたグッズ。笑っちゃうけど、 ある時海外の有名なラッパーがInstagramのストーリーで自慢してたちまち火が付いたもの(わかりやすい)。グッズはレタス、パン、ビーフ、チーズがあり、それぞれ目が付いていて兄はあとチーズだけない。そのことをアイリちゃんに話したらアイリちゃんも兄の部屋にシリーズがあることを知っていて、笑って納得してくれた。

ランチを済ませて向かった(偶然二人ともハンバーガーが食べたくて実際に食べたのはウケた)お店には、お目当てのものがあってよかった。チーズが丁寧にラッピングされていくときは、二人で笑った。アイリちゃん、可愛い。兄も喜ぶだろうな。アイリちゃんとたくさんお話したくて、また例の初デートのカフェにむかった。私がビートを作っていることを話すと、聴きたいと言ってくれた。未完成だけどエクスポートしてきてよかった。ビリーみたいな格好をしたアイリちゃんがイヤホンをつけると、ますますビリーみたいで可愛かった。十六小節が刻々と。私の雑なループを聴き終わるとお世辞で褒めてくれたけど、そんなこと聞いてなくアイリちゃんは可愛かった。

ショッピング、散歩、アート。その後もたくさん遊んだ。途中でアイリちゃんは「あの時はごめんね」と言ってきた。私はその時何を謝っているか分からなくて私の得意なセリフの「大丈夫」を使った。そして今日は不思議となぜだか怖くならない。だけど、アイリちゃんと手を繋ぎたくなってきた。人が少ない公園。休憩している私たち。私はすこしの芝居を演じて手を繋いでみた。もうハグはしてくれなかったけど、アイリちゃんはしばらくずっと繋いでくれた。ミュートにしているみたいに何も言わないままの二人。

それから、私の頭の中では何度もいい妄想と悪い予感が行き来していた。でも、私はアイリちゃんのことが好き。私はアイリちゃんにキスしたいと言ったが「ンフフ、浮気はダメ」と言われた。それからそれを踏まえて、やさしくて、しっかりとした自分の答えをいう。へへ、ビリー私だめだった。

そのたった数日後、兄はアイリちゃんと別れた。兄はアイリちゃんと別れてからものすごく早く新しい彼女を連れてきた。アイリちゃんと別れた原因を聞いても化石化して分からず仕舞い。私はというと、今髪が青い。ビリーみたいに。本当は黒色のショートカットに上書きするように青色に染めているから、ビリーみたいにきれいな青色の髪じゃないけど。結局、あのとき買ったプレゼントは後日私がアイリちゃんと最後に会ったときに「アイちゃんからと言って渡しておいて」と言われて渡されたが、私はアイリちゃんからと兄にチーズを渡した。その時もたしか、アイリちゃんの方が早くて私はまた「おまたせ」と言って再会したと思う。

投稿完了まで十パーセント、三十パーセント、四十五パーセント。「さようなら」と言って私にキスしてくれたアイリちゃんを時々思い出す。その時のアイリちゃんの潤んでた顔も。流れなくなったFMラジオと、アルバムで一回。ビリーの声を聴きながら、ビリーのはじまりと同じようにSoundCloudで私の音楽が投稿された。

(オオツボマアク)