たった1つの果実を取りにいく

フレスコボーラーのインタビュー記事をつくりながら、自分のジャパンオープンについて、思い出していた。

昨年8月の経験は、目指す果実だけを見て、確実に取ってくる、そんな経験だった。

そのために、その周りにあるいろんなものを捨てた。


たとえば、ストーリー。

フレスコボールには、ペアや個人にいろんなストーリーがある。ペア結成からの紆余曲折、挫折からの復活といった、いろんな思いが交錯して、見ている人に感動を与える。

今連載しているインタビューも、そういう魅力を中心に伝えたいと思ってはじめた。

だけど、昨夏の自分は、ストーリーを捨てた。というか、一度見えない位置に置いた。

前年のチャンピオンであるとか、
ペアが代わったとか、
たくさん頑張ってきたとか、

そういうものは、今の自分には関係ない、必要ないと思った。

もともと気負いがちな性格だけど、勝手に背負うのをやめて、今の自分、その時の最高の自分だけで勝負することにした。

自分のストーリーに勇気をもらうことももちろんある。でもあの時は、それを考えることが、雑念になると思った。

仲間との交流も、その1ヶ月は少なくなってたかもしれない。

仲間といるのはすごく楽しいし、応援も力になる。それは確かなことだけど、それよりも今は、力をつけることだと思った。

ほしいのは共感や期待ではなく、数字だと。

自分にとっての確かな果実は、目標にしていた点数だった。

この間、フィギュアの羽生結弦選手が金メダルを取ったあと、テレビで言っていた。

捨てなきゃ取れないものがあると感じた。それは自己満足かもしれないし、結果論でしかないかもしれないけど、もうこのオリンピックの連覇のためだけに幸せ全部捨てようと思った。すべて捨て去って、洗練して、自分のオリンピックへの思いが、最終的にきれいなかけらになった。

彼のオリンピック連覇とは比べものにならないことはわかっているけど、この言葉を聞いて、すごく同じものを感じた。

捨てたのは、たとえばゲームとか、お菓子とか、そういうモノだけではなくて、きっと目には見えないもの。

余計な欲望、その場をなぐさめてくれる記憶、感傷的な気持ち。あるいは、ネガティブな言葉や、相手に対する過剰な意識。

そういう見えないもの、油断しているとそこに流れて、甘えてしまいそうなものを、あの時の自分は削ぎ落として、目標の果実だけを見つめた。

それが、羽生選手のいう、幸せのかけら、磨きあげて純粋になった「結晶」だったのかなと。

1年間ずーっとそのスタンスでいれば、心が擦りきれてしまうかもしれない。でも、そこまでは短期間だったし、リミットが決まっていたから、うまく昇華できた。

感情に逃げずに、まっすぐに結果を見つめた経験は、これまでそんなになかったかもしれない。

だからこそ、自分にとって忘れられない日になった。

そして、その時「ストーリーを捨てた」というそのことが、今、新しいストーリーとなって自分を支えている。

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落合真彩

フレスコボールライフ

フレスコボールについて、スポーツについて、日常について、考えたこと。
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