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フレスコボール選手とビジネス系ライター、両立への道①わたしのスポーツ歴とスポーツ観

フレスコボール日本代表、落合真彩です。

今回から、「フレスコボール選手とビジネス系ライター、両立への道」と題して、私のこれまでの道のりを振り返ってみようと思います。

いくつかの記事に分けて書いていきますので、少しずつ、フレスコボールというスポーツについて、アスリートとビジネス系ライターを両立する私について知っていただけたらと思います。

また、初めての試みとして、最後の部分を有料記事にしています。
ぜひこちらも楽しんでいただければと。


さて。
私の現在のフレスコボール関連のプロフィールはこちらです。

落合真彩(おちあいまあや)
・フレスコボール日本代表、2018年国内女子ランキング1位
・2018年ブラジル選手権にて女子部門3位入賞、男女混合部門5位入賞
・2018年最優秀選手(MVP)、最優秀ラリー賞受賞

なんだかいろいろと実績が増えてきてごちゃごちゃしてます。。

ちなみに、国内大会の実績としては、過去10大会に参加して、
・女子部門優勝6回
・男女混合部門優勝6回

です。まだまだ成長過程にあるスポーツだからこそできている記録かなと思います。

そして、フレスコボール選手のほかに、ビジネス系のライター(フリーランス)として活動しています。

主に、ビジネス書の要約、企業PR系のインタビュー記事、ビジネスに関する記事・雑誌・書籍などにかかわっています。アスリートとしての収入はほぼないため、ライター業がメイン収入源です。

なぜ私がフレスコボール選手とフリーランスのライターという道を選んできたのか。その過程を明かしていこうかなと思っています。


はい、長くなるので本題。
今回はわたしの「スポーツ歴とスポーツ観」を整理していきます。

スポーツ歴はこちら。
小学2~6年、高校、大学:ソフトボール
中学:バスケットボール
2016年6月~:フレスコボール

ソフトボールは12年やっていましたが、そんなに強いチームに所属したことはなく、最高成績は小学6年生のとき(^^; 関東大会ベスト8でした。

ちなみに、ポジションは主にショート、サード。小学校時代は右打ちでしたが、高校で両打ち、大学では左打ちに完全転向。打順は1~3番が多く、三振が少ない、典型的な俊足巧打タイプでした。


大学は、体育・スポーツを専門で学ぶ学部に一般入試で入学。この4年間が、自分のスポーツに対するスタンスを深く考える時期になりました。


そのひとつの理由は、周りの学生のレベルの高さ。

体育系の学部に進むくらいなので、そこそこ自分の運動能力については自信があり、探求心もある方だと思っていたんですが、大学に入ると、日本トップレベル、世界レベルの競技力を持つ同級生がごろごろいる状況。そして、競技だけでなく、スポーツに対する学びや実践の意識も高い、頭の良い人たちもたくさんいました。

こんな中にいれば、私くらいの能力と意識だと完全に埋もれます。在学中はただただ圧倒されてました。


ふたつ目の理由は、競技実績がつくれなかったこと。

毎日長時間練習しても、なかなか自分たちの目標とするところに手が届きませんでした。いや、手が届く可能性すら感じられなかった、というのが本当のところです。

他の大学のエリート選手とは違い、私の大学のソフト部は推薦入学選手はゼロで、大学からの初心者もいるくらいのチーム。よりどころになるような指導者もいません。4年間ではとても埋まらないくらい、力の差は歴然としていました。

それでも、高すぎる目標に対して、きつい練習を繰り返す毎日。ミスをすれば、飛んでくる厳しい声。下級生のときから中心選手としてプレーしてはいたものの、大きな達成感や肯定感を得る機会はほとんどありませんでした。

それと、これはチームスポーツの難しさであり魅力でもありますが、自分の出来が勝敗に直結するわけではないということ。自分が良くてもチームが負けることもあれば、自分がダメでもチームが勝つことはある。

そこにもどかしさをとても感じたし、チームを勝たせられない自分に嫌気がさし、そのうちに自分自身の結果も出なくなっていきました。いっぱいいっぱいまで練習しても望む結果が出ないのに続けていくのは、とても苦しい。

もともと本気でやりだすと自分に甘えを許さず極めたくなる性格で、でも、常にその状態でいるのは相当大変。しかもそれが、まったくと言っていいほど結果につながっていなかったから、徒労感だけが積み重なり。。

「いつまで耐えれば、トンネルを抜けられるんだろう…」というような、光の見えない時間を過ごしました。

自覚していたかどうかは別として、大学時代のかなりの期間、バーンアウト(燃え尽き症候群)状態だったと思います。


とても成功体験が少なく、気づけば、スポーツに対しても、人間としても、自信を失っていました。自分を奮い立たせる気力さえ、持てなかった。

ストレートに言えば、自分の存在意義を見失っていました。他にも要因はあったにせよ、そうなってしまったきっかけは、競技スポーツだったんですね。

そして、勝利至上主義に対する嫌悪感がすごいことになりました。
「勝つことがそんなに大事なのか?それが事実なら、日本で1番、世界で1番になれた人しか、満足できないじゃないか。1番の人しか、幸せになれないことになるじゃないか。」

そんなことを考えているうちに、「自分は本当にスポーツが好きなのか?」と疑念がわいてきました。


そして、
「私は、スポーツは比較的得意だけど、これ以上やるのは苦しすぎる。」

真面目すぎたのかもしれませんが、大学時代に私がたどり着いたのは、こんな境地でした。


だから、就活をするときにも、スポーツ関連の企業は候補から外しました。スポーツをするだけじゃなく、スポーツとかかわることもしんどいと思ったからです。

私は、スポーツから離れようと決意しました。



じゃあ、なぜ今こうしてまたスポーツをやっているのか、という話ですよね。
そこに行きつくまでにはまだ時間がかかるのですが、次回は社会人になってからのことを書きたいと思います。

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ここからは、有料ゾーンとさせていただきます。今だから言える、競技スポーツに対するちょっと尖った価値観を。。

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