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最初は半信半疑の普及活動……でも、ボールと一体化できる“打感”にハマった――茨木幹太さんインタビュー

今回のインタビューは、フレスコボール協会のある凌芸舎に勤める茨木幹太さん。フレスコボール協会が設立された年の翌年の春から、協会スタッフとして体験会の開催やラケット販売などに尽力されてきました。

現在は主に大会での審判や、「トータルビーチスポーツ」主催のビーチスポーツイベントのフレスコボール窓口などを行いながら、ジャパンオープンにも2015年から4年連続の出場。昨年はビーチテニス、今年はビーチバレーの選手とペアを組み、会場を沸かせてくれました。

フレスコボールの広まりを初期から見ている貴重な方。その魅力のとらえ方も、「なるほど」と感じるものでした。

「トータルビーチスポーツ」との出会いから、フレスコボールが広まりはじめた

― 最初フレスコボールに関わるようになったのはなぜですか?

茨木 前いた会社で協会会長の窪島さんが僕の上司だったんです。その会社のサービスをブラジルに広めるために、窪島さんが中長期的に渡航されていて。帰ってきたときに、「窪島さんがブラジルでラケットスポーツに興味持ったらしいよ」って別の誰かから聞いたのが確か最初だったと思います。それが、2013年の秋だったような。

― その時に窪島さんがラケットを持って帰ってきたんですね。

茨木 そうですね。翌年の2月末ぐらいに窪島さんが前の会社を辞めて凌芸舎を立ち上げて、僕は1か月遅れの3月末に会社を辞めてこの会社に入ってきました。

それで、窪島さんが「この会社はITベンチャー企業だけれども、同時にフレスコボールの普及活動もやっていくので手伝える方は可能な範囲でぜひ手伝って貰えるとうれしいです」って。僕もスポーツは嫌いじゃないので、「できることはやりますよ」という気持ちでした。

― フレスコボールを持ってきたのは、凌芸舎立ち上げより前なんですね。

茨木 そう。僕らがフレスコボールに関して、本格的に動いていきましょうと行動し始めたのは2014年4月です。手はじめに、ラケットを貸し出ししてくれるような施設を探していたところ、たまたまフレスコボール協会のラケットの委託販売先として打診していた会社の女性社長から船橋のオールサムズビーチスポーツパークというビーチ施設の、大関さんという方を紹介していただいて、そこにラケットを置いてもらえることになりました。

あとは、事前にオンライン予約で参加を募って、オールサムズや代々木の公園で小さい体験会をしたり。それでも、なかなか普及への打開策が見つからなくて。そんなときに「今度三浦でビーチスポーツのお祭りみたいなのがあるんで、主催のところに挨拶に行っていただけませんか」って窪島さんから言われて行ったのが「一般社団法人トータルビーチスポーツ」です。

いろんなビーチスポーツ団体が集まって、ビーチでのスポーツ文化を日本に普及させるっていう目的の団体で、代表理事は相澤幸太郎さんという、日本のビーチテニスを引っ張ってきた名選手がされていて。僕は、アポ取って、週末に鵠沼海岸で練習中の相澤さんを直撃したんです。忘れもしない、場違いなスーツを着込んで(笑)。

― ビーチにスーツで行ったんですね(笑)

茨木 相澤さんに声をかけたら、「今実務的なことは山本に任せてるから」って言われて。そしたら、ビーチのイケメン王子様(山本直晃さん:ビーチテニスプレイヤー)が僕の前にぱっと立って、「もうご連絡いただいた時から参加していただきたいと思っていたので」って、すごくうれしいことを言ってくれて。

それで、早速、翌月のミーティングに参加させてもらうと、そこにビーチテニスをはじめ、ビーチベースボールの塩見直樹さん、ビーチアルティメットの宮部英俊さん、ビーチラクロスの丸山伸也さん、ビーチバレーの幅口絵里香さんなどなど、とにかく「ビーチ○○」ってつくスポーツの第一人者が勢ぞろいしてたんです。

そして、直近のスポーツフェスから参加させて貰えることになって、体験会を開けることになりました。効果測定したわけじゃないですけど、一般の体験者だけでなく、協会メンバーの知り合いがそのフェスに来て、体験したりもしてたので、フェス参加は、フレスコボールが少しずつ認知されていくいい媒介になったかもしれないですね。そう思いたい。(笑)

民放キー局から直接の電話も。リオ五輪でのメディアラッシュ

― それはいいご縁ですね。

茨木 トータルビーチスポーツの方々と仲間になって、大きめの集客力があるところで体験会できるようになったことで、地味に小さな体験会をやってた時よりは、ちょっと打開できたんじゃないかと思ってます。

― 茨木さんはトータルビーチスポーツつながりのイベントに関わっている感じですか?

茨木 今は基本的にそうですね。さわりょー(澤永遼:当時の事務局長)が来てからは、スタッフ的なことは全部さわりょーで、協会自体の屋台骨を担ってくれてましたし。

― 茨木さんが最初にフレスコボールやったのはいつですか?

茨木 最初、オフィスに2,000本のラケットがトラックに段ボールで積まれてきて、社員みんなでオフィスの2階や3階に運んだんですよ。確かその時に外で打った記憶があります。そのときは正直、「このスポーツ、広まらないんじゃないかなぁ、、」と半信半疑でした。

― 最初はラリーも続かないですしね。。

茨木 でもハマったのはきっかけがあって。ラケットを家に持って帰って、週末に家族で遊びに行ったときに、ラケットを車に積んで、公園の芝生のところで、嫁とやってみたんですよ。嫁が軟式テニスの経験者だったこともあって、すごくラリーが続いて。

そこで、「このスポーツおもしろいな」って思ったんです。もし、そこでおもしろいと思ってなければ、週末を潰して体験会とかやったりしてなかったと思います。

― 広がってきたな、という実感が出てきたのはいつくらいからですか?

茨木 トータルビーチスポーツに参加した効果も、何も知らない一般の方にいっぱい体験して貰ったという意味ではあったと思うけど、さわりょ―やタカ(倉茂孝明:日本代表)などが友人知人を巻き込んで、このスポーツを紹介していったことが効いてると思いますね。さわりょーは、いろんなスポーツ関係の人脈を生かしていたように思います。

そうやって、ハマった人がまた別の誰かを引っ張ってきて、今度、三浦でビーチフェスがあるから来てみない?っていう風に誘いながら、今のコミュニティの卵ができたんじゃないかな。その功績は大きいと思います。2代目事務局長の長ちゃん(長田涼)もしかりですね。

あとはたぶん、2016年のリオ五輪で前後のメディア露出ラッシュ。これは大きかった。

― 結構ブラジル関連の取材もあったんですか?

茨木 各メディアがリオのネタを探しまくってた時期だったから、たとえば民放のテレビ局のディレクターとか番組制作会社の人から、直で協会に電話がかかってきたりとかも結構ありましたよ。メディアに取り上げられると同時ラケットも売れ出すので、抜群の普及効果がありますよね。

でも今のフレスコボールの広がりは、みんなみたいな、リアルな人と人のつながりで、いろんなスポーツ経験者を引き込んでるのが大きいんじゃないかと思います。ただ、今のままだと、まだまだ小さいまま。

窪島会長がいつも言ってますが、もっと全国規模になるためには、各地域に支部みたいなのが生まれて、協会の本部と連携してるっていうのが、一番いい形だと思いますよね。そのモデルケースが、逗子だったり、お台場から派生してでてきたりとか。

― あと、愛知とかでもやってますよね。

茨木 いいですね。5人とかの地味な体験会とかやってた最初期から、このスポーツが少しずつ広がっていくのを見てきた自分としては、今では、半信半疑ではなく、きっとメジャーになると思ってますよ。選手達のフレスコ愛、半端ないですからね。毎週のように練習して。純粋にその情熱が凄いなと、そうさせるフレスコボールがまた凄いなと。

1年で浦島太郎状態……競技レベルの爆発的な向上

― 今、大会で審判もやってくださっていますが、見ていてどうですか?

茨木 もうね、レベルの上がり方が尋常じゃない。2人目の子供ができたりでラケットを握る機会が激減してから約1年半で、本当に浦島太郎状態ですよ。初回の2015年のレベルと、今のみんなのレベルは別のスポーツですね。それは、本当にみんなが切磋琢磨して、日本でこのスポーツをこのレベルまで上げたということだと思うし、目を見張るものがあります。

― 審判も毎回大変ですよね。

茨木 大会に向けて必至で練習してきた選手を採点するわけなので、その意味では大変ですよね。今回のジャパンオープンは特に気を引き締めてミスないようにやると思いますけど(インタビュー日はジャパンオープン前)。ただ、人間がやってることだから間違いはありますし。

でも、いつも体験会とかで「ルール教えてください」って言われたときに、決められた5分間で総打球数と、ラリーのアタックとかも点数化されるんですって言うと、相手の顔が曇り出すんですよ。「どういうこと?」って。

そこで、ちょっとのめり込むきっかけをロスしてるところもあると思っていて。採点競技の宿命と言うか、仕方ない部分もあると思いますが、このわかりづらさというかファジーさはちょっと課題な気がします。

― たしかにそうですね。

茨木 でも、競技としてだけでなく、それこそブラジルのビーチのようにここ日本でもレジャーでも楽しめるスポーツになることもすごく大切だと思うんですよね。週末に家族でどこか出かけるときに、「トランクにフレスコボール積んどいて」っていうのが、合言葉になるような。

打感が体の中に浸透していく感じが、楽しさの根源

― 茨木さんは、レジャー用のバドミントンとフレスコのどこが違うと思いますか?

茨木 あえて違いを挙げると、フレスコボール独特の「打感」ですかねー。ラリーだけじゃなくて、あのパコンパコンっていう音を通りがかりの人とかに聞かせて注目させたいっていうの、ない?(笑)

― 考えたことなかったです……!でも、注目を集められるのは音ですよね。

茨木 音でしょ?最初に嫁とやったときに気持ちいいなって思ったのも、突き詰めて言えば、打感なんですよ。木製のラケットに「ポコン」っていうなんかちょっと原始的な“ライブ感”。それが他のラケットスポーツにはない気がして。打感、打つ感覚、それがズズズって体内に浸透していく快感があるんですよね、フレスコボールは。

― たしかに。

茨木 フレスコボールってボールと一体化する感覚あるじゃないですか。体に染み渡るような。だから、何にもラケットスポーツやったことない女の子が、もうちょっとやりたくなったり、体験会とかでも社交辞令含めて「楽しかったです!また、やりたいっ!」って言ってくれるのは、たぶん打感なんだと思いますね、僕は。

「フレスコボールって打感がいいんです」っていう説明って、使いまわされた言葉かもしれないけど、やっぱりラケットから手を伝って響くボールの感じが、みんなにとって麻薬的なんじゃないのかなとは思いますね。

― 茨木さんは今後どういう風に関わっていこうと思っていますか?

茨木 僕は今まで通りトータルビーチスポーツとの橋渡し役をメインに活動することになると思いますが、大きな大会の審判とかも、都合が許す限りできればなと。あとはただ、一ファンとして、ちょっと楽しむ程度で近所のパパ友にラケット配って、教えたりして、ミクロな普及活動もしてます。(笑)小さなことからファンをつくって広めていきたいですね。

次回のインタビューもお楽しみに!

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