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女で監督してました。

こんにちは、マボロシ子です。

先日書きました、退職にあたっての記事を読んでくださった方々、ありがとうございます。拙い日本語ではありますが、伝わるところありましたら幸いです。

せっかく作ったnoteですし、まぁ、なんとなく書いてみます。勿論、皆さんが興味があるのはアダルト業界の話でしょうし、そういう話を今後もこちらでしていこうとは思っているのですが、最初に伝えておきたいのは、アダルト業界、と一括りに言っても、その制作会社、レーベルは星の数ほど(星の数は言いすぎています)あって、それぞれやり方も違えば、作っているものも違うので、わたしがお話することも、アダルト業界の全てではないということをご理解いただければと思います。ましてや、私が所属していたのはフェチメーカーですので、一般的に「AV」と言われて想像する作品とはかけ離れたものも撮っていたりします。

そうですねぇ。よく言われる「女監督」について書きます。

これに関しては私自身は、女でやっていてよかったことのほうが多いかなと感じています。「女性の感覚で」「女性の目線で」などとはよく言われていましたが、そんな風に「女」を使った作品作りは基本的にはしていませんでした。あくまで、私が撮っているのは、男性がシコれるものですので、日々、男性の感覚を学んでいる、というのが近かったです。でもその「学ぶ」という行為自体が、女監督の利点かなと思っていました。男性監督だったら、感覚で(本能とも言いますでしょうか)分かるポイントが、私にはわかりません。分からないからこそ、理解しようと作品を見たり、よく知人、友人にはエロいと感じることを語ってもらったりしていました。見たり聞いたりして、かみ砕いてやる、というのは、女だったからたどり着いたやり方だったかなと思っています。監督業からしたら、当たり前のことなのかもしれませんが「感覚で分からない」のは、逆手にとった強みとも感じていました。

先ほど言った「女性の感覚」「女性の目線」を唯一使えたのが「M男」というジャンルだと思います。M男モノに関してだけは、男性はこうだろう、こういうのが好きだろう、ではなく、女のわたしが、こうしたい、こうしてやりたい、こうしてあげたい、がストレートに出せるジャンルでした。M男として極まってる男性たちと接したときに、本物のM男さんたちは、されたい気持ちは勿論あるけれど、されたい、ということより「女性が思うようにしている」状態が至極なのだ、というわたしの勝手な結論です。だとしたら、女のわたしが思うように台本を書き、プレイを決めるのは悪くないなぁと思ったんです。ちなみに、私は昔からM男が好きだったのではなく、仕事で撮り始めてから好きになりました。職業病です。そうですね、職業病みたいなものも、たくさんあるのでおいおいお話してみます。

女で監督をやっていたおかげで、メディアに取り上げていただく機会もありましたが、正直、女ってだけで。と思っていました。私は、私の与えられた仕事を一生懸命やることしか出来ない人なので、爆発的に作品を売ったわけでもない、業界に衝撃を与えたわけでもない、ただAV業界で働いているだけなのに「女」ってだけで注目されているようじゃあ、他の監督の方々に申し訳ない、と思っていました。それとも、女でAV業界で働くことが、そんなに特異なことなんでしょうか?オススメですよAV業界。

女優さんたちには、女監督でやりやすい、と女監督でやりにくい、とどっちも言われました。女同士だからやりやすいこともあれば、女同士だから恥ずかしい、というのもあると思います。でも、女同士だから気を遣える部分もあるんじゃないかな、と今は感じたりもします。

今日も見事にまとまりませんが、そんな感じです。

別件で書き残しておきたいのは、先日、劇場で天空の城ラピュタを観ました。感動の連続で、オープニングからエンディングまで度々泣きました。ラピュタの公開年は1986年、私は1987年生まれですから、一生にあるかないかの体験を出来て本当に満足です。

本日もみなさんお疲れ様です、春の気配がしてきましたね。明日もやってやりましょう。

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