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銀ちゃんといっしょ 71

ソーセージとたまごやきとプチトマト

私の母は
よく布や皮革で小物やらいろいろ
作ってくれていました
几帳面だからしっかりした物ばかりなので
まだ家のあちこちに点在しています

今朝娘のスポーツバッグの中から
母が作った巾着袋が顔を出していて
思わずニンマリしてしまいました

改めて見回したり思いを巡らせると
私の掛け布団カバーやら
子どもたちのベッドカバー
キーホルダー等々

まだまだ現役のものばかり


それに引き換え
私が結婚してから作ったものって何だろう…

子ども3人……でしょうか


子どもたちの幼稚園の袋セットも
全部母が作りました
私はお弁当袋を1つ作っただけだと思います

彼らが通っていた幼稚園は
週に2日だけ自宅からのお弁当の日がありました

とにかく毎日起きてから寝るまで
バタバタ バタバタしていて
土曜日に実家へ帰り
何もかも放り出して母に任せて寝るという生活

その天国な土日も
いろいろな所へ遊びに連れて行く日になれば無し
月に2回あればラッキーだったでしょうか

そんな中での週2日のお弁当

今ならちょいちょいって済むように思うけど
なかなかの重荷で

ご飯炊くのを仕掛けてなかった!
とか

おかずになるような物が全然ない!
とか

頼みの綱の卵がない!
なんていう事はしょっちゅうでした

定番が
ソーセージとたまごやきとプチトマト

定番というか
この三品のお弁当ばかりだったような気がします

酷い時には夕食メニューがこの三品



何もおかずになるような物がない時は
具無しのケチャップライスで
オムライス弁当にしていました


究極が
ご飯二段弁当

ある朝 何もない事に気がつき
長男に
〝上も下もご飯でもいい?〟と聞くと
〝いいよ!〟と快諾
ふりかけと鰹節と海苔で変化はつけましたが
上下ともご飯のお弁当を持たせました

何年もたってからの話
その日そのお弁当を見た仲良しの友だちが
帰ってからお母さんに話したそうです
信じられないお母さんは
〝嘘はついちゃダメよ!〟と叱りつけたそうです

可哀想な事をしました
その子のお母さんと二人して
平謝りにあやまりました



そんな偏食な幼児期を過ごさせてしまいましたが
徐々にちゃんとした料理を作る余裕もでき
小学校の給食でもいろいろな物を食べるようになり
今では三人ともほぼ好き嫌いはありません

幼児体験って大切だと思うけど
修正がきく事もあるよ!というお話ですね


親が野良だと子が育つ

それが私の子育てでした

でも私が母にしてもらって
今でも形として残されている物たちを見ると
私も何かしないとダメかな……と
気になる今日この頃です

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