2020/3/19

今日、私は卒業式を迎えるはずだった。
新型コロナウイルスの影響で中止になってしまった。

袴着たかったし、ゼミの先生に挨拶したかったし、皆と写真も撮りたかった。卒業式、私はすっごい楽しみにしてた。残念だな。

でも卒業証書は大学に受け取りに行かなきゃいけなくて、これぞ不要不急の外出である、という感じ。
大学でできた数少ない友人達と集まって、大学の最寄りでちょっといい夜ご飯を食べることになっている。

おそらくもう行かないキャンパスに向かう電車の中、四年間の日々をを思い出してしまう。袴じゃなくてもやっぱり今日は節目の日だ。

中高はほとんど女子校みたいなところに通っていて、大学も女子大だった。男性と関わることがあまりない人生だった。

勉強はほとんどまじめにしてこなかった。中学受験の時が、人生で一番勉強した時期だったな。
でも大学の勉強は楽しいこともたくさんあった。社会に出る前の最後の時間をこの大学で過ごせたことはとても幸福なことだったな、と強く思う。
社会に出る前の、最後の時間。女性だけの世界で、男性と比べられることなく勉強できたということは、私の人生における宝物になるだろう。
女子大の特徴なのか、大学では女性の生き方についての授業がとても多かった。
社会に出たらどうしたって男性と一緒に生きていかなきゃいけないけど、そこに放り出される前にしっかり自分と向き合う時間があったように思う。

私が大学で一番ありがたく思っているのは、学生がセクシャルマイノリティーについて考える時間が多く、その分偏見も少なかったことだ。
日本文学を勉強する学科にいたこともあり、同性愛について考える授業は多かった。自分の中に無意識のうちにあった偏見に気がつかされることもあった。
私はきっとまだ偏見に満ち溢れているし、自分の偏見や差別意識に対して興味を持ち続けなければ人権を傷つける可能性があることを理解した。
そんな話をゼミの友人と話せることもとても楽しかったし、勉強になった。

あんな時間、もうこないんだろうな。
すごく楽しかったな。
さみしいな。

自分の未熟さに気がつかされることはこれからもたくさんあるだろう。でも、尊敬している教授から世界の見え方が変わるような授業を受けることはもうできない。互いに添削しながら卒論を書くことももうできない。授業の後に興奮しながら感想や意見を語り合うことも、もうできない。

これからの私の人生は、今まで生きてきたものと全く異なるだろう。
私とは生きてきた世界が違う人が、社会にはたくさんいる。その人達と関わらずに生きて行くことはもう不可能だ。
私は今までぬくぬくと育ってきた。
女だからって蔑ろにされることはなかったし、びっくりするような悪意に触れたことも数えるほどしかない。尊敬できる人がたくさんいる。

これからは、貰ったたくさんのものたちをお守りに生きていく。
貰ったたくさんのものたちを、人に与えながら生きていく。
女性が生きやすくなる世の中になるにはまだまだかかりそうだけど、これからの私はそれを学ぶだけじゃなくて、世の中を変えられる立場になる。
私が社会人になるにあたり、一番楽しみにしているのはそこだ。私が会社で取り組むことが、世の中を変える一つの手助けになるんだとしたら、嬉しいな。

あーーー
四年間、とっても楽しかった!
素敵な出会いがたくさんあった。

QUAECUNQUE SUNT VERA
すべて真実なこと
(新約聖書 フィリピの使徒への手紙 第4章第8節)

私の四年間が、これからも平和の神と共にありますように。

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