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公園

2019/03/02

公園に行った。徒歩3分くらいのところにある小さい公園だ。陽射しが健やかだったから、日向ぼっこをしたかったのだ。ファミリーマートでカフェラテを買ってからのんびり歩いていくと先客がいた。女児Aとその母親だ。Aは10歳くらいの背格好をしていて活発な娘だった。この子が仮にクラスを牛耳って何か陰湿なことをやっている裏姫だとしたら……、仮にクラスではウサギとしか話さない根暗だとしたら……、仮にクラスには寄りつかずもっぱら保健室に篭ってSFばっかり読んでいる有望株だとしたら……。際限なく想像が巡るなか、ぼくの視線の先でAはすべり台の上にしゃがみ込み、縄跳びを柵にくくりつけていた。どういったイリュージョンが行われようとしているのか本人以外には一向に分からないが、見る者の不安と興味を掻き立てることには成功していた。一心不乱にくくりつけていた手を止めて、突然Aはすべり台の上で仁王立ちになり、まっすぐぼくを見た。Aは仏のような表情をぴくりともさせず、しかしその鋭い眼光はぼくの目を射抜いたまま、約一分間ほど経過した。ぼくたち以外はすべて静止していた。異様な時間だった。ぼくがAの視線から逃れ、時間が解凍されると、Aは何事もなかったかのように作業を続け、その成果を母親に見せた。すべり台を駆け下りるとAは「いくよーママ」などと言いながら縄跳びをはじめた。しかしその目は再びぼくの目を鋭く射抜いていた。縄跳びに飽きてブランコに移動するときも同様だった。Aは縄跳び以後、ぼくを見るたびに何かやましいことを取り繕うかのように母親に呼びかけていた。天性のアイドルなのだと思った。「わたしを見て」欲求の異常な成長具合と「ちゃんと見てる?」式不安の相乗効果で客を魅了する、その源泉のようなものが確かに感じられた。ぼくはもしかしたら、Aにとってはじめての、あるいは第0号的(仮想的)なファンとして、あのベンチに座っていたのかもしれない。母親は立ったまま娘のその振る舞いを厳しい目で見つめ続けていた。子供が疲れるまで保護観察官として突っ立っていなければならないことを考えると、母親というのも大変だと思った。

老婆二人が入ってきた。とはいっても振る舞いを見る限りこれは親子だったと思う。すべて推測に過ぎないが、片方は認知症気味で声のヴォリュームが調節できずやたらと大きな声で喋っていた。こちらが母親で、もう片方がそれを支えている娘なのだと思う。二人はまっすぐブランコ乗り場に向かい、四つ並んでいる内の向かって左二つに腰掛けた。右二つは上述のAが揺らして楽しんでいた。老婆二人はただ座って会話をしている。はじめは片方の声が大きいくらいでそこまで気に掛かることもなかったため、ぼくは持ってきた MacBook Air を広げて文章を書いていた。すると何やら奇声が上がった。見ると、Aの母親がAを連れて不審そうにそそくさと公園を出て行くところだった。目撃したわけではないが、おそらくAの起こした振動が老婆に伝わって認知症が亢進したとかそんなところなのだろう。外敵の居なくなった移動式老老介護はその後もしばらくブランコに腰掛けてなにやら銀河系の言葉で話をしていた。ぼくはまた書き物に戻った。

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