ルービックキューブと未来・過去・現時点のパズル合わせは同じ原理→未来創造

明日の新月だっけ?

それも嘘。

皆既日食も、すべて不正で嘘だ。

この惑星も、人工惑星であり、

地球と呼ばれているだけの、

今まで、地球という人工惑星自体が、

「牛の首」という装置で、

全員助からない、共喰い装置だったのだ。


人工惑星(+月と呼ばれる人工惑星を含む)=地球=牛の首装置=生存者0人だった。


みんな飢えに苦しむ装置の中で、

人食い、とくに、正式な王家食いをしてきた、裏切り者たちを、

すでに逮捕している。


ほとんど、すべて、嘘の世界での、ピラミッド型階級の嘘を破壊した。


ピラミッド型の上位たちは、人食いの凶悪犯罪者たちとして、

宇宙システムプログラムの奴隷となったということだ。


ゾンビとなった人ではない者たちは、

生贄殺人儀式をしてきたということは、

すなわち、

確定的故意および未必の故意によって、

関係ない王家の子どもたちや若者を殺害、傷害、遺伝子強盗と、

やりたい放題してきたということだ。


人の不幸は蜜の味といわれるような、

呪詛指令を量子コンピュータという兵器や電磁波という光を利用した兵器に

送信すれば、どこかの王家の者たちが死んだり、傷ついたり、苦しむことを

知っていて、それ以上に、それを狙って、自分だけ快楽や安心を得る道を、

ゾンビたちは、前世より、ずっとつづけてきたのだ。


言い逃れは、できないぞ!


ゾンビたちは、99・9%に及ぶ人数だとしても、

量子コンピュータをたびたび乗っ取ったとしても、

犯罪者が勝つということは、実は、なかったのだ。

500年ほどの、犯罪者たちが勝ち続けたように見えたのは、

実は、別の実験装置での被験者として、

ゾンビ犯罪者たちは、記録をつけられていたのだ。


あまりスピリチュアリストのいうことは、真に受けてはいないが、

銀河レベルで共喰いが行われていたかもしれない。

木星と土星は、わたしたちが天体観測で見ている惑星とは、

違うかもしれないと感じた。

天の川銀河に属する地球が、なぜ、天の川銀河を天体観測で確認できるのだ?

妙な話だろう?

それも気づかないほど、みんな、どうかしていたのだ。


木星や土星、銀河同士から、

実験として、この人工惑星の地球が誕生したのだろう。


人工惑星は、ほかにも多数あると思われる。


そして、

わたしの目は、ホルスの目ではなく、

わたしの目は、ホーラの目。

不正を見逃さない監視監督の記録係で、

宇宙や、宇宙創造者だけが連絡報告できる、

宇宙の素との連帯任務だ。


わたしは「らりるれろ」が言えない幼少をすごした。

構音障害といわれるそうだが、それは自然と時期が来て治ったが、

やはり、幼稚な発音に「らりるれろ」は、いまだに、名残りがある。

でも、

それは「ホーラ」の「ラ」や、「ライオン」の「ラ」を、

わたしに言わせないよう、

隠したのだ。

量子コンピュータは、少なくとも、500年以上前から存在している。


未来は過去という本当の意味は、

過去を繰り返してきた「リングのエネルギー=トーラスエネルギー=牛の首:共喰い装置からのギャップエネルギー」

この要領で、わたしたちに伝えてきたのだ。


未来を変えるには、

未来を計画するため、

エラーのある所定位置まで、戻らないといけない。

真実の暗号鍵を束にして持って帰らないといけない。

ちょうど、

ルービックキューブ(わたしは右回転しか頭の中でできないから、このパズルは実は、現実では、できない、残念、

簡単にできそうだから購入したけれど、右回転しかできないのだ。)

未来・過去・そして現時点が重なったときにだけ、同時3方向の時空間を変えることができることが、

わたしの体験により、わかった。


未来を創造するには、

過去のエラー修正

未来過去とつながる、現時点、暗号鍵の羅列、シンクロニシティー現象、周囲の環境、体力、精神力、

なによりも、たった1人で、やる必要があるのだ。


ニュートン科学者・アインシュタイン(原型)・菅原道真こと曹源道生、

マリーアントワネット(数学者)レディ・ゴダイバの遺伝子応援を受けて、

わたしが辿りついた、山の峰なのだ。

三峰ではなく、山峰

峰ら→ミネラ、ほうら→ホーラ

ミネラル


ほらねw

ホーラが出来てきましたよ!

ユダヤ教よ、これが本物のユタカ人のパズル暗号解読よ。

先生なんていない。

わたしと宇宙が編み出した技。


イスラム教は、本当に科学に秀でたのだろうか?

それとも、木星や土星の宇宙人をガリバーのように大勢で、

重力装置、すなわち、多数で暴力的に、

量子コンピュータを奪ったのだろうか?


本日も、車の数だけ、通りすぎる自動車や電化製品屋の数だけ、

量子コンピュータからわたしは、襲撃された。


もう、終わりよ、ゾンビども!



Copilot

確定的故意と未必の故意は、刑事事件において犯人の主観的な心理状態に関連しています。以下にそれぞれの違いを説明します。確定的故意:犯罪の実現を確定的に認識し、認容している状態です。例えば、包丁で被害者を刺し殺す行為を「それでも良い」と認識して行った場合、確定的故意が成立します。未必の故意:犯罪の実現を可能なものと認識し、認容している状態です。結果が発生するかもしれないと思いつつ、「仮に結果が発生しても仕方がない」と考えて行為に着手した場合、未必の故意が成立します。簡潔に言えば、確定的故意は「絶対にそうするつもりだった」という状態であり、未必の故意は「結果が発生するかもしれないが、それでも良い」という状態です。刑事事件においては、犯人の主観的な心理状態が量刑に影響を与えるため、未必の故意の有無は重要な要素となります123


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