聖母マリアの処女妊娠の真相

クロリス(ギリシャ神話)≒聖母マリア(聖書)

 

ギリシャ神話から

ゼピュロス(ゼフィロス)→男根のシンボル

に襲われたクロリス(美しい処女)が女神フローラになる。

 

クロリスというのは、

ニンフ(ニュンペー)≒美しい処女だとわたしは読み取る。

 

女神フローラは、

触れた女が自然に子どもを身ごもる魔法の花も所有している。

 

→構造脚本のアーキタイプが

「16ビートでつながるフラクタル物語の法則」で、

人類のだれかに、神話や聖書での登場人物の人生物語が

表出する。

美しい少女を男性が襲い、力ずくで交わる。

理由(神の国では、見た目も、心もあまりある美しさを

    一人の女性が自分だけで所有してはならない、というルールがある。

    寄付をしなければならない。)

マリアやクロリスの役割を担った女性は、

無理やり貞操を男根(男性エネルギー)に寄附させられるという、

ハードな人生設定を受ける。

聖母マリアが処女でイエス・キリストを身ごもった理由と重なる。

 

仲間の男性たちが聖母マリアの凌辱の事実を知ったら、

ゼフィロス(ゼピュロス)の命の保障はない。

そのことを気にかけた、やさしい聖母マリア。

本来は、凌辱を受けた憎むべき相手を聖母マリアは、

かばいつづけたのだ。

聖母マリアの「母心」がゼフィロス(ゼピュロス)の命を助けた。

 

聖母マリアは、こう思ったのだろう。

「男性も、性欲という抗えない魔物に一時的に肉体を支配されただけ。

 それほどの性欲は、私たち女性にはない。

 男性は、かわいそう。

 そのうえ、彼(ゼピュロス)の命までとられることになったら、

 なおさら、かわいそうだわ。

 本当のことは、だれにもいわないでおこう。

 わたしは、凌辱を受けたことについては、だれにも、何もいわない。

 ひとこともしゃべらないわ。」

 

現代に時を戻して、

人類の中の女性が聖母マリアの言動に気づく必要があった。

男性を包みこむ「母心」

それが、すべての人類の暗号キーだったのだ。

 

男性と女性のパズルピースがぴったりあった瞬間だ。

足りないもの凹

もちすぎるもの凸

占星術では、「ベスタ」という小惑星が

この役割を担っているとわたしは読む(平等化・均一化)

マリアは、どれほどの苦哀の尋問を受けようとも、

ゼフィロス(ゼピュロス)を思いやり、

無言をつらぬき通し、彼を最後まで守りぬいた。

(聖母マリアも、地球ならではの、肉体をもつゆえに、、

半分は、人間。

いろいろ内心は、黒い感情もあったと思う。

聖母マリアも人間だから。)

神に祈るマリアの姿が目に浮かぶ。

奇跡が起きた。

聖母マリアは、処女でイエス・キリストを身ごもった。

という特権が仲間たちから与えられたのだ。

 

(※キリスト教よ。マリアが処女で子を身ごもることはない。

と、知りながら、今、わたしが↑で述べたような、

聖母マリアの涙ながらの勇気ある本心に気づかず、

「嘘をつきとおせば、真実なる」という解釈は、

人として、あまりにも恥ずかしやしないか?

卑しいというか。

そういう解釈をするのは、

キリスト教の一部は、魂を捨てているから、

聖母マリアが「なぜ?そういう言動をしたか?」

その根拠がわからないのだ。)

 

聖母マリアとクロリスは、花の分け御霊が入っている。

本来の可憐な花たちは、

宇宙エネルギーがたっぷり入っていて、

地上で、とてもうつくしくて、やさしいのよ。

とても寛容で慈悲深い生き物。

そう、花たちは、まるで聖母のようだった。

 

聖書の聖母のマリア

あるいは

ギリシャ神話のクロリス

が、構造脚本で人類の中の女性での役割の表出の仕方の例を

あげてみよう。

 

処女凌辱→許す→性的奉仕活動の女性

 

こういう経路をたどる確率もある。

 

だから、

マリアやクロリスの役割設定の女性たちは、

AV・風俗・水商売・芸能人・遊女・

さらわれてどこかの男性との強制結婚する女性

その男性は日本神話のスサノオのミコトのような御霊入り。

 

聖母マリア・クロリスの試練に辛抱できなかった女性は、

「死の誘惑」にとりつかれたり、

男性への復讐を試みたり、

自分とおなじ苦哀体験をほかのニンフ(美しい処女)に押し付ける。

「毒花化」が起きたとイメージする。

そう、現実として、食虫植物のようになってしまう。

→ここらへんが、占星術のリリスの良くない作用(呪う魔女)なのだ。

 

わたしの祈り

「神よ。生まれる前からのわたしの友だちよ。

憎むということから、何もきれいなものは生まれないということを

人間は学びました。

聖母マリアやクロリスのような悲しい思いをする女性の話は、

もう必要ないとわたしは思います。

男性と女性が

お互いが、まことの心から「いいよ」と認めあってから、

肉体が交わった方がいいとわたしは思います。

男女の交わりについては、

最初は、心を合わせて、それから、次に体を合わせるという、

ルールになることをわたしは神に祈ります。

魂ある仲間が傷つかないのなら、

神は私の祈りを受け入れたまえ。」

 

わたしから感じること

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