氷川神社→お地蔵さん的役割

東京は本当になんでもある!

ここには、ときめくものがない!

あるのは、既製品だけ。


「埼玉もんには道の草でもくわせておけ!」と有名なアニメのフレーズ。

説明すると、

埼玉人は、判別という機能が備わってないらしい。

おいしいものも、ほどほどのものも、味けないものがわからない。


埼玉の有名百貨店の、ここらへんの裕福層と呼ばれる人たちが

買っているケーキ屋で商品を買ってみましたが、

フルーツに全部頼って、スポンジ生地がおざなりにされて、

なんの工夫もない。

埼玉エッセンスを凝縮したような味でした。


ふるさとを思い出す。

和と洋をミックスさせた、素朴なスイーツショップ。

埼玉の有名なケーキ屋の半分未満の値段で、

もっと工夫をこらしたおいしいケーキを売っている。


本当の実力は、そういうものだ。人間も同じだね。

埼玉は、金と名誉とラク大好きなところで威張りん坊。

埼玉が呼んでる「心」とやらも、

仲間からの承認をそう呼んでる。

こちらが恥かしくなるほどの、埼玉プライドの捨てっぷり

埼玉人は、うそをつくことに慣れすぎている。

次、顔を合わすときには、ばれているような嘘をつく。

どんな顔をして合うのかと思ったら、平気なのだ。


「日本人は、何を考えているかわからない」

といわれると英語の教科書で習った。

埼玉にきて、ようやく、その意味がわかった。

「日本人は、嘘に罪悪感がない。」

そういわれているのと同じだ。


30年も前に、「とんでけ埼玉」で

ギャグアニメだといえ、

偶然、同じような意見を埼玉にもった人がいる。

真実にひたすら近いということ。


聞きなれた終着駅の名前が耳に飛び込むと、

涙があふれて、声が逃げ場をさがす。


わたしが「心の人」だとすると、

埼玉マトリックスは、逆側に位置する。


「埼玉には、元々、

神様が宿りにくい土地なのではないか?」

とアイデアが浮かんだ。💡


山の神には、大黒が山の幸を司るという。

海の神には、恵比寿が海の幸を司るという。

埼玉には、山の神も海の神も、そもそも存在しないことになる。


代わりに数はうろ覚えだが、280個も氷川神社が奉られている。

それは、まるで、「お地蔵さん」のようだなと感じた。

同じ名前の神社が280個もある?不思議だ。

ということは、一つの神様の力が少ないということか?


私のふるさとに、有名なお寺があります。

(元々、神社と寺を区別していなかったという説をみかけました。)

全国から御利益がほしいのか、たくさんの観光客がくる。

「金剛峯寺」と呼ばれるのは、日本列島でただ一か所。

十分な霊山のおかげだ。


ふるさとは、山も海も豊富な代わりに、自然環境は厳しい。

台風は毎年、お泊りにくるし、地震は日常といっていい。

震度3は、日常です。

同一県ながら、北から南に移動するとき、

日帰りで戻ってこれない。

交通機関なんて、一日に二本とか。。(昔の友人談)

山手は、車がないと生活できない。

便利さと共存はしてない。

星降る夜は、どこか有名な土地にいかなくても、楽しめる。

ふるさとより美容効果がある温泉は出会ったことがない。

車を運転しない人生を決めているので、

地元でも数度しかいったことがない。



埼玉も私の心に合わないだけ。

神言葉がある。

埼玉の観光地

「盆栽の町」→「凡才の町」

「人形の町」

埼玉は、凡才しか誕生せず、自分がない人形のような民



関東平野。。。。山がないから、トンネル開発もなく、

海がないから、埋め立て作業もなく。。。人間最適化しやすい

だから、都会化がはじまった

都会化されすぎたところは、

もう、生き物が住むところではない。

もしも、

都会が一番合うというのならば、

それは、便利さという物質中心にまみれ、

心を失ったあわれな人形たち。

人形が人形を求める世の中。

わたしは、人間を生きよう!


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