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私はあなたの親ではない――夫婦間の呼称に物申す

(2010年1月12日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)

 この間、某日刊紙で夫婦間の呼称に関する議論が展開された。

 さまざまな世代の様々な意見が載せられていたが、大方子どもができると互いを「お父さん」「お母さん」(または「パパ」「ママ」)と呼び合うというのが大勢だったようだ。また、夫を「主人」、妻を「家内」と呼ぶことに対する違和感に言及する投書も少なからず見受けられた。

 しかしその中で、50代・大学講師による投稿では、

「子どもの視点に立って互いを呼び合うことは、家族を大切にしてきた日本らしい良い伝統であり、『ダーリン』『ハニー』と呼び合う海外とは文化が異なる」

といった趣旨の意見があり、愕然とした。同時に、やはりこうした認識を改めなければ、「選択的夫婦別姓法案」も真の意味での「男女共同参画」も実現できないとの思いを新たにさせられた。

 そもそも、夫婦が互いに「お父さん」「お母さん」と呼び合うのは、子どもに対して言うのでなければ(たとえ子どもの視線に立ったとしても)、お互いの呼称としては正しくない。私の妻は子どもにとってお母さんだが、私の母親ではない。あえてそうした呼称に異を唱えるのは、「古臭い」という観念的な理由からではない。特に男尊女卑の家父長制が色濃く残る地域では、主人に仕える家内として、家に嫁いだ嫁としての役割を無言のうちに強要する風土が、一人の人格を持った女性(または男性)として生きることを阻害してきたと考えるからである。

 これらの呼び方を「日本人らしい」と括ってしまう論法にも、復古主義、国家主義に通じる危うさを感じてしまう。昨今の幼児虐待やDV(ドメスティック・バイオレンス)、家庭内殺人などにまつわる報道を見ても、果たして「わが国は……『家族』を大切にしてきた」と言えるかどうか、甚だ疑問である。

 家庭内でどう呼び合おうと個人の自由だが、そうした呼び方が「生き方」に関係すると「考えたことがない」のであれば、大学で教鞭をとっておられる教育者として是非ご一考願いたい。せめて未来ある学生たちが、自分らしい生き方を模索する上で、障壁となるような物言いをしないようご配慮いただきたい。

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