原点としての「丸刈り」闘争(2)徹底抗戦~挫折

(2011年1月10日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)

 小学校ではもっぱら先生の言うことをよく聞く、優等生タイプの「いい子」だった。それが、中学を卒業するころには学校にも教師にも大きく失望し、それが行く行くは大学で教育学部に入り、自ら教員を目指す原動力にもなった。いま思えば、「丸刈り」校則に象徴された学校システムや、オトナ社会との「闘い」は、一教員を経てジャーナリズムに携わることとなる私の歩みの原点でもあった。実家で発掘した中学当時の文章も交えながら、この場を借りて改めて振り返っておきたい。

 第2話に入る前に、中学入学前後の思い出を一つ。

 小学校のほぼ全員が同じ中学に進学するという田舎町だったため、6年の卒業間近になると、「早めに免疫をつけておこう」と、ある日突然「丸刈り」で登校する男子が増えてくる。様変わりした級友の姿を見て、当初は冷やかしたり笑ったりしている男子たちも、日に日に自分の問題として迫ってくるにつれ、笑うに笑えなくなってくる。

 私は幼いころから「坊主」だった時期も多く、髪型を変えること自体にそれほど抵抗はなかったのだが、ひと足早くオシャレに目覚め始めたおませな男子などはどれほど屈辱的だったことだろう。頭の傷を見られるのが嫌だと、最後まで渋る友人もいた。それでも、どうしても嫌だという男子は、頭髪規制のない「付属中学」に進学した。 

 しかし、この選択肢は高レベルの学力と親の理解が大前提で、しかもほとんどの友達と離れることになってしまうため、実際「付属」に行ったのは4クラス中1人か2人程度だった。

 地域によっては、「丸刈り」の学校と自由な学校が隣り合わせの学区で、長髪を自慢する中学生が街中で他校の「坊主頭」を笑いものにし、彼らの帽子を剥ぎ取る遊びが流行ったという。 同じ中学生が校則の違いでののしり合う。何と切ない光景だろうか……。

 さて。すんなり役員に当選した私は、さっそく公約した「意見箱の設置」から取りかかった。この「意見箱」は以前から校内に設置されていたもので、長らく使われた様子もなく、その存在を知る生徒も少なかった。まずは生徒の意見を集めることから始めようと、古い箱を新しく作り直し、毎週当番を決めて定期的に投かんされた意見を確認するような体制も整えた。

 予想通り、設置直後から大量の「意見」が寄せられた。校則、とりわけ頭髪自由化を求めるものが多数を占めた。声にできない声が鬱積しているのを肌で感じた。ここまでは実に順調に進んだ。しかしこの先、予想だにしなかった多くの障壁が次々と行く手を阻むことになる。

 まずは、生徒会の顧問。生徒会役員たちの積極的な働きを半ば黙認していた顧問の先生が、いざ校則の問題となると目に見えて非協力的になった。持ちかけた相談や、求めた許可への返事もことごとく先延ばし、または反故にされた。兼任する部活の仕事が忙しいという口実にも、ずいぶん振り回された。「意見箱」への意見に答えるための唯一の手段である生徒会執行部発行の「本部だより」も、顧問による赤字(検閲)が入った。生徒会役員としての見解を記した部分は、ほぼ全文削除され、発行も許されなかった。

 さらに、当時の学年主任からは、全生徒に向けた異例の文書が配布された。「校則について」と題するその文書は、

 最近、校則についてニュース、新聞などに取り上げられて話題になってますが、集団生活行動には、それなりのルールは必要です。

で始まり、頭髪を含む服装規制の意義(?)と思しき理由として、

1.基本的には、「規則には従う」事で集団の一人ひとりが円滑に楽しく行動できる事。
2.「違反」があれば、その集団の雰囲気や、個々の気持ちが動揺する事。
3.「従う」事で、集団の連帯意識が高まり、活動しやすい事。
4.意思が目的以外の方向へ向いて、本来の目的が疎外されやすい事。
5.余計な費用や、交友関係にも影響し、結果は本人にマイナスになる点が多い事。
6.場合によっては、自己弁護のための嘘言を使い、信用感を失なう事。
7.……

*原文ママ

と列挙されている。語句の用法を含めて、ベテランの中学教師が書いたとは
思えないほど、ツッコミどころ満載だが、ここでいちいち反論するのもはばかれるため省略(7の「……」って何だ!?)。そして極めつけは、石川啄木の歌の引用。

東海の 小鳥の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

……大きな物から小さい物へと変用したがる意思がこの歌に示されている。と言う文を読んだ事があります。たしかに日用品には、軽・小・短・薄に当てはまる物が多く、便利な物として多用されてます。しかし、生徒たちには当て嵌めたくない。むしろ、その逆に「大きな気持ちで 軽率な行動をせず 長所を伸ばして 厚みのある」人物になって行くように祈念して私の話を終わります。

*あくまで、原文ママ。

何が言いたいのか不明……。とかく、保護者に対する牽制の意味もあったのだろう。

 学校、学年で歯止めがかけられたということで、生徒会と並行して独自にクラス内でも活動を始めた。当時の担任はクラスでの話し合いには比較的寛容だったため、「学活」(学級活動)の時間を使って関連するテレビ番組(録画)を見たり、意見交換をしたりした。

 簡単なアンケートも行った。結果は、今の校則について「かなり不満」が30人中16人、頭髪規制について「大幅に改正すべき」が19人、校則について親が「関心を持っていない」が16人。この結果を集約し、コメントを加えて印刷。ワープロが家庭に普及し始めたばかりだった当時、新しい物好きの私は、すでに家族の中で誰よりもワープロを駆使できるようになっていたので、表とグラフも貼りつけた立派な「資料」を作り、同クラスの生徒全員に配布した。

 後になって聞いた話だが、この文面について「とても子どものものとは思えない。親が書いて子どもの名前で出したに違いない」という抗議の電話を、同級生の保護者が家にかけてきたらしい。高校の教員であった父は、日頃から高校の内情や教育の問題、社会的な不正について話すことはあっても、具体的に我が子が通う学校のことについてあれこれ口を出すのは極力控えていた。無論、この件に関してはすべて私の独断で動いた。配布した資料にしても、表現の稚拙さを見れば大人のものでないことはすぐにわかるはず。

 今思えば、ある程度親に相談していたらもう少し戦略的に上手な「闘い方」が可能だったかもしれない。しかし、「教師である親の力を借りて」活動するなどということは、自分で許せるはずもなかった。

 級友の中には賛同者が多かったが、「そこまでしなくても…」という空気も少なからずあった。その意味では、終始孤独な闘いだった。

 目に見える成果もないまま時間だけが過ぎ、次第に「公約は口だけか」といった批判も「意見箱」に投かんされるようになった。生徒会では八方ふさがりの状態が相変わらず続いていたので、思い切って最後のチャンスに懸けることにした。


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