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こんぶのやりたいこと

こんばんはこんぶです。

日々の仕事に追われ、やりたいことがわからなくなってきました。
こういうときは文章にまとめるといいらしいので、そうしてみます。

手始めに、ぼくのやりたいことをすごく抽象化して書くと

影響を与えたい

となるような気がします。

昔から、誰かに喜んでもらったり、新しいことに気づいてもらったり、何かを学習してもらったりすると、とても嬉しい気持ちになりました。

きっと自分が誰かに影響を与えていると感じられたとき、自分の存在を強く実感できるからでしょう。

単純に誰かの役に立って、自分は役立たずでないことを証明したかったのかもしれません。

そしてそれと同じくらいの強さで

誰もやってないことをやりたい

という気持ちも、人一倍強いと思います。

自分だけが思いついたことを実行してみたい。誰かの真似事はしたくない。自分だったらどうするかをまず考えてしまうくせがあります。

この気持ちもまた、自分はここにいるんだよという存在の証明を強く望んでいるからのように思えます。

「誰もやっていないことで影響を与える」これだけではあまりにもぼんやりしているので、もう少し具体化すると

ゲームを通して気づきを与えたい

となります。

いきなり飛躍したように感じられるかもしれません。

ですが自分の中ではしっかりとこれらのことはつながっているつもりです。

ぼくは子どものころ、ゲームを遊ぶことを通して多くの気づきと学びを得ました。

ゲームというのは恐ろしいもので、おもしろいからといって夢中になって遊んでいると、いつのまにかそのゲームに潜む思想に染まっていってしまうのです。

ゲームは自分の選択の積み上げで進行していく遊びなので、そこに生じた結果には納得感があるんですね。みずから得た体験は、誰かから教わったことよりもずっと忘れないものです。

まだ遊んだことのない新しい遊びに触れるたびに、新鮮な気づきがぽこぽこと脳みそを刺激するのです。

こういった原体験があるからこそ、気づきを与え、影響与える手段として、ゲーム作りをぼくは選びました。

誰も作ったことがないゲームは、新しい気づきを与え、納得させ、相手につよく影響を与えられるのではないかと考えています。


ここまで、気づきを与えたいとか、影響を与えたいとか言ってきましたが、じゃあいったいどんな影響を与えたいんだいということが気になるかもしれません。

これはけっこう難しい質問で、何も考えなしに言えば「いい影響」でしょうか。

というのも、どんな気づきであれ、新しく何かに気づくということを、ぼくたちの脳みそはそのままそっくりおもしろがれます。

おもしろがれるということは、それは広い意味で「いい影響」なんだと思うのです。だから気づかせる内容は何でもいい気がしてます。

贅沢をいえば、その人がその人らしく生きられるような、自分は自分でいいんだよなと胸を張って過ごせるような、そういう清々しい勇気を与えたいとも思いますが、これが難しいこともわかっているつもりです。

もう一度念を押すと「ゲームを通して気づきを与える」これがぼくのやりたいことです。

誰に向けて言っているんだいと思われるかもしれませんが、半分は自分に向けて言ってます。今の自分と、迷っていそうな未来の自分にです。

残りの半分は、ぼくのやりたいことを知って、それをおもしろがってくれる人に向けています。

いっしょにおもしろがれればおもしろそうじゃないですか。

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