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LIGHTHOUSE感想記① 救わずに光る

NetflixでLIGHTHOUSEなる番組が配信され世間を賑わせている。この番組は、どこか生きづらい世の中で、それらを跳ね返し、表現者として輝いているオードリー若林と、星野源が紡ぐトーク番組だ。エピソード1は2人が暗い20代を過ごした高円寺、そこにあるYonchome Cafeで収録された。

LIGHTHOUSEとは、この番組で2人につけられたユニット名であり、悩める人々の明かりを照らす灯台という意味と、灯台下暗し(プロデューサーの佐久間いわく2人の足元は暗いだろう)という2つの意味が込められている。

ぼく自身2人のファンであり、2人の世の中に対するセンサーの感度には驚かされてばかりだ。世に蔓延る何とも息苦しい圧力を、恐ろしく見事に言語化してくれる。ぼくたちはそれを漫才、音楽、ラジオなどを通して耳にするわけだけど、そんな2人の作品に救われた人は多いんじゃないだろうか。

このトーク番組はそんなトップクリエイターである2人が悩みについて話すというのだから、ファンにとって待ちに待った番組である。そしてぼくはいま、エピソード1を見ただけだけども、この2人のファンはもっと増えると思う。それほどに、新鮮な切り口と示唆に富んだ内容だった。ぼくからみた感想をエピソードごとに記していきたい。ネタバレ有りの感想となるので、まだ見てない方はNetflixに加入の上ご視聴いただきたい。


日々に見出しをつけること

2人には事前に1行日記をつけるよう依頼があった。日々感じたことを1行にまとめて記しておく。この試みは面白いし、自分でもやってみようと思った。

この1行にまとめる行為は日常に見出しをつけることのように思う。見出し作りには次のことが期待できる。ひとつは関心の抽出、もうひとつは付箋だ。

ぼくたちは日々多くのことを見聞きし、考えている。しかしそれらはどんどん流れていく。1行にまとめる行為は強制的にもっとも関心の高い心の動きや出来事を抽出してくれる。そこには価値観が現れるはずだ。個性と言ってもいいかもしれない。

書き記すことで流れていたものは定着し、記憶や感情を引っ張り出す付箋になる。付箋によって、振り返ること、俯瞰することができる。価値観の俯瞰は自分を知るための有効な手段だと思う。無意識の抑圧に気づけるかもしれないし、もっと自分を好きになれるかもしれない。

自分のイメージをパワフルに壊す

番組後半で、不安とプレッシャーに押しつぶされパニック障害になってしまったアイドルの悩みが出てくる。それに対し星野は「イメージは壊していい。イメージをパワフルに変えていく」とメッセージを送る。

そうは言いながら、星野も同じ悩みを抱えている。「大人になってもストレスが一向に減らない」番組冒頭、星野が最初に切り出した悩みだ。表舞台で活躍する中で、思っていても言えないことが多い。仕事に対する姿勢や、やり方に対して嫌悪感を抱く。年下に失礼なことを言われても、それを年上はしかりづらい。立場上、言ってはいけないことが増え、我慢を強いられる。それもイメージからくる圧力だ。

イメージを壊すというのは、やりたくてもできない。星野も若林もうまくいっていない。それくらい難しい。だけど、押し付けられたものを「ふざけんなよ」といって剥がすことを実践していきたい。

ささやかなことかもしれないが2人は実践する。星野も若林も前髪を下ろすのをやめ、センターパートにしている。そのことがイメージを壊そうというパワフルな意志の現れだ。

若林は批判とセットで漫才を作るという。ちゃんと稽古された芸を見たいという価値観をもった観客に「ふざけてんじゃねえ」と言わせるような芸を考える。むしろその批判を引き出すような仕掛けをつくる。それが凝り固まったイメージをぶち壊すためのヒントになるはずだ。

二項対立を超える

年下の人が年上に噛み付く、ヒエラルキーが低い隅にいる人がヒエラルキーが上の人に逆襲する。そのようなシステムは、関係性が逆転しただけであって、攻撃するものとされるものが存在する構造それ自体は何も変わっていないと若林は言う。そんな若林はピース綾部の「お前はそっちだもんな」という言葉に救われた。印象深いエピソードだった。お前はそっちだもんなというのは承認だ。そう言うあり方を認めると言うことだ。

集団が2つのグループに分断される。その分断の理由はさまざまだろう。それがどんな理由であれ、一方を攻撃、説き伏せるようなことを超えていきたい。そんな風に生きたいんだという願いを感じた。若林は言う「割って入れる人は強い。何かを信じている」。何かとは何だろうか。互いに認め合えるということではないか。

照らさずにはいられない

2人にとって表現をすることが世界と接続するための唯一の方法だった。それをやらなければ生きていく方法がない。死ぬしかない。

だけども、その表現欲は世界との断絶、あるいは圧迫、脅迫による乾きからくるものだという。

ひたすらに虐げられ孤独となっても、世界と接続することは諦められない。星野は必要とされていないと感じても楽しく生きられる人になりたいと語る。その言葉の裏には世界とつながっていたいという断ち切れない欲望がある。

世の中に希望はないようにみえる。だけども、本当は自分にとってどうでもいいことがほとんどのはずだ。星野はどうでもよくなれるものを作っていきたいという。若林も誰かに答えを与えたいんじゃない、悩みを無化するような漫才を作りたいという。

番組は星野源による番組のためのオリジナルソング「灯台」で締めくくられる。その詩はこう終わる。

灯台
誰も救おうと思うな
ただ光ってろ

灯台 星野源  

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