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でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、世界は変わる。

表題の言葉は伊坂幸太郎の『魔王』の主人公、安藤の台詞だ。
安藤はちっぽけな力をもっている。
腹話術のように、他人に好きなことを喋らせることができる。

そのちっぽけな力を持って、一人の政治家、それを中心に渦巻く大衆の大きな流れに、たった一人で対決を挑む。

その安藤の生き様、そしてその台詞の引力に突き動かされて、ここまでの人生を歩んできた。

2023年10月、株式会社でたらめを立ち上げた。

『魔王』が発売されたのは2005年だ。そこから長い月日が経った。けどいまこそ、そのでたらめさが求められている。

時代は過渡期にある。

物質的な豊かさは飽和し、日本で死ぬことは難しい。面倒なことはAIがやってくれる。エンタメは月数千円で見放題で一生をかけても見きれない。

だからこそ、先人たちが積み上げてきたものに感謝をしつつ、ぼくたちは個々人が持つでたらめな豊かさを爆発させてもいいはずだ。

それなのに、それなのに、だ。

何のために生きているのかわからないと悩み、過剰に人とのつながりを求めSNSに没頭し、取り残されることへの恐怖と焦りからタイパを追求して人生を早送りで進めている。

最適解をもとめ、失敗を恐れ、うまくやろうとし、称賛を集め、こんなふうに生きたいだろ?と煽る。それを画面越しに覗く人が、あたかも自分の幸せであるかのように思う。

そこに居ても違和感のない人はこれを読んでないと思う。
だから思い切って言うけど、それはあまりにもつまんねーぜ!

もっと、自分勝手でいいし、もっと、怒ってもいい。我慢しなくてもいい。苦しかったら大声で助けを求めたっていい。誰にも理解されないような喜びをひとり探究したっていい。型にはめられて従順な消費者として飼い慣らされてるような、そんなつまんねーやつじゃないはずだ。

なにが失われた30年だ。なにが日本オワコンだ。政治に希望がないだ。人口減少だ。ぼくたちにはもっと、自分たちで自分たちを面白くするような、誰かの助けに手を差し伸べられるような、クリエイティブでやわらかくしなやかな精神力があるはずだ。

だからまず、とことん自分を豊かにしよう。それを諦めずにやろう。
自分の豊かさってなんだよって人は、画面越しの幸せを一回忘れて、でたらめな心を取り戻そう。

そうなりたいのになれない人がいるのが悔しい。
持って生まれたそのでたらめさが、発揮されずに、日の目を見ずに、消えていくのが悲しい。

ぼくは自分の人生をもって、そのでたらめさを世に打ち出していきたい。

2024年をでたらめに生きよう。

ぼくはそうする。安藤のような腹話術は使えない。
けどぼくはぼくなりのやり方で、でたらめな対決を挑もうと思う。


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