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苦しみの日々の中で、変わっていった私

今日は『苦しみの日々の中で、変わっていった私』の話をしたいと思います。


昔の私は

良い人悪い人関係なく

無差別無区別に、無償の愛を注ぐ

楽観的で、人を疑うことを知らないタイプの人間でした。

嫌がらせを受けても

「まぁいっか。何か理由があるんでしょう。」

と受け流し

気にしない上に忘れていき

傷つかないタイプでした。

仏の顔も3度までどころか

何度も許し続けるタイプでした。

でも

法に触れるような犯罪レベルの

命を脅かされるような事が

長い間、人生の中で続き

更には愛する子どもの命まで脅かされることになった時

私は昔の自分ではいることができなくなりました。

世の中には

許されてよい事と悪い事があること、

また、「悪いことをした本人が

本当に反省をし、更生する意思があるかどうか

更生したかどうか」

そこが、許してよいか悪いかの判断基準になっていきました。

誰でも何度でも無条件に許すということは

しなくなりました。

誰でも無条件に無償の愛を注ぐ事もやめました。

また超楽観的で人を疑わないタイプから

予防線や防御線を張り巡らせ

人を警戒するようになっていきました。

なぜ私は、こんなに嫌なことをされて

それでも人を癒さないといけないのかと

天に向かって苦情を出しました。

「そんなの私は絶対に嫌だ!私が可哀そうだ」

と思いました。

とても綺麗ごとだけでは生きられない世界なのだと

身をもって知ったのです。

「私は、もしやるなら、

本当に愛のある、善良な魂を持つ人を救いたい。

そういう魂を持つ人が上に立つ世界なら許せる。

罪を犯した人は、心の底から反省をし

更生したのであれば許せる。

そうでなければ

私には関係ないし

反省に至る試練が必要。」

そういう風に思うようになりました。

悪魔には悪魔対応、

天使には天使対応です。

私は母親になったことで

ただの純粋で優しい箱入り娘から

怖ーい女に変身していきました。

する必要性がありました。


天の声「そうね。こわーーーーーい女におなりください。」


何度も失いかけた、この命。

それでも私は今も生きている。

生かされた。

どうせ、いつか消えてなくなる体(命)なら

私だって、言いたいこと全部言ってから

悔いなく死にたい。

やなやつらは蹴散らそ。

今まで嫌がらせしたやつら

これからしようとしてるやつらも

覚悟しとけよ。マジで。

全部スカッと!!




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