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ニコラ・ド・スタール、調和の果てに


近頃の息苦しさは梅雨の煮詰まったような空気のせいだろうか。
何だか息をするたびにごろごろとした夾雑物が肺に取り込まれ、そのまま大きな花に生長してしまいそうな季節である。


先日、初めてニコラ・ド・スタール(1914-1955)という画家を知った。
日本ではあまり知名度はないが、作品のどれもが力強さと繊細さをあわせ持つ、未だかつて見たことのない抽象画だった。

わたしは部屋に「飾れる絵」と「飾れない絵」があると思っているが、彼の作品はまちがいなく後者である。

思考の轍を思わせる色の重なりに、まるで意識と無意識の境界のような絵の具の凹凸。
もっとも特徴的なのは、キャンバスを抉りとろうとする右手を左手で必死に抑えながら描いたような、焦燥感あふれる筆づかいである。

サンクトペテルブルクにロシア貴族の子息として生まれたスタールは、ロシア革命のため亡命を余儀なくされ、ベルリン、ブリュッセルに住んだ。ブリュッセルの美術アカデミーでデッサンを学んだ後、1938年にパリに移住。晩年は地中海に面した南仏の町アンティーブで過ごしたが、1955年、41歳の若さで自死した——

彼の最期に、ああやっぱり、と思った。
初めて彼の絵を見たとき、抜けるような地中海の色と筆づかいから浮かび上がる、ただならぬ完璧への執着に直面したからである。
その衝撃で雷鳴、というより意識の奥底にひび割れが入る音が聞こえた気がした。
スタールの絵から発される叫びは、決して辿り着けない天国の門を探すことに近い、果てしない苦悩だった。

おそらく美における完璧(=調和)は、漸近線や虚数のように終わりも始まりもない。
つまり、芸術において調和を求めるということは、底のない穴を延々と落ちてゆくようなもので、表現者は常に不安や恐怖と戦う宿命にある。
三島由紀夫のようにその死でもってすべてを完成させるのではなく、スタールの場合は可能と不可能の薄い壁に挟まれた絶望ゆえの死だったのではないかと、わたしは思う。

この葛藤は、ジッドの『狭き門』における、決して両立することのできない愛と信仰の矛盾に近いものがある。
物語中で主人公ジェロームが想いを寄せるアリサは、地上での愛を諦めて天上の愛を切望し、衰弱して死んでゆく。

「死ぬっていうのはかえって近づけてくれることだと思うわ。そう、生きているうちに離れていたものを、近づけてくれることだと思うわ」

完璧でないと分かっているものには、最初から手を出さない。
究極の理想主義者の姿がそこにあった。

芸術家に限らず、生きづらさを感じている人びとは、前提として「理想」があり、にも関わらずその理想はこの世に存在しない、もしくは決して辿り着けないと理解している。しかし追い求めることを生涯やめられないので、苦悩ばかりが増してゆく。
その孤独は、まるで蜃気楼を追って広大な海原をゆく一隻の舟である。

スタールの描く地中海は、ふしぎと爽やかなのに孤独だ。

近頃わかってきたのは、世の中を颯爽と生きている(ように見える)人びとこそ、“大人”なのだということ。
あらゆる面で妥協することに長けていて、安らかに過ごせる住処をきちんと持っている。
そう考えるとわたし自身、ショーウィンドウの前で駄々をこねていた幼いあの頃から、何も変わっていないのではないか・・・そんな気すらしてくる。


スタールに関する書籍は日本ではほとんど出版されていないが、『ニコラ・ド・スタールの手紙』(大島 辰雄訳/六興出版)という書簡集が80年代に訳されているらしいので、近々読める機会があったら、もう少し詳しく彼のことについて探ってみたい。


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