性能至上主義者ゲーオタに物申したい

 単刀直入に言おう。ゲームに性能ってそんな大事か?

 こういう輩ってまあ間違いなく「〇ちま寄稿」とか「〇的ゲー速」みたいなサイトばっか見てる人たちなんだろうけどさ。一つ言えるのは8bitゲーエアプか?って思っちゃう。僕がああいう雰囲気が好きなだけなのかもしれないけど、本当にファミコンのゲームは面白い(地雷率も高いが)。

  なんで急にこういうことを思ったかといえば、その始まりは最近ゲーム音楽調べてる中で「とりあえずオーケストラでいい」みたいな風潮にブチ切れたからである。名だたるオーケストラのゲーム音楽っていうのはオーケストラを効果的に使ってるのだが、それを一切無視しているわけである。個人的に音質重視で中身が伴っていないゲーム音楽は聴いてもすぐ飽きるし、なんならゲームする気すら起きなくなる。本物のオーケストラとかポップとかの劣化版だ。僕がゲーム音楽に求めたいのは単なるパクリじゃないんだ。

 話がそれてしまったから戻そう。私が自信もってこういうこと言えるのはいくつか例があるからだ。
 まず、先ほども言った通り、昔のゲームでも面白いものは面白い。名作ファミコンゲーをやってみてほしい。普通に楽しめるはずだ。しかも、不思議なことに、定期的にやり直したくなる悪魔的魅力を持っている。結果として、ボリュームという概念は無意味になる。
 次に、売り上げもそれを証明している。wiiより性能がいいはずのwiiu、PSPより性能がいいはずのvita。どちらも言わんとしてることはお分かりだろう。性能が全てで片付くんだったらこういう悲劇は起きないはずだ。逆におそらく性能が良いとは言えないswitchがあんなに売れているのだ。

 私は「昔のゲームはよかったなあ」みたいな懐古をしたいんじゃない。今のゲームは性能にとらわれすぎなんじゃないか、って思う。思えば、大半の人には性能などどうでもいいはずだ。性能でしかゲームの良さを語れない、そのある種の危険思想が恐らく定期的に来るゲーム氷河期の正体だ。
 確かにソーシャルゲームは、もはやゲームではなくギャンブルであり、ゲームとして認められたものではないが、コンシューマーゲームはそういうものに対抗できる地力があったはずだ。それなのに苦戦していたのは、結局ゲーム業界全体として性能が全てみたいな考え方に陥っていたことが原因だと思う。ゲームの面白さで戦えないなら同じ穴の狢だ。

 でだ、結論に入るのだが、ボタンを押したりスティックを倒してゲームするのはスマホじゃできないし、格別だ。しかもだ、スマブラも、マリオも、カービィも、スプラトゥーンも、switchを買わないと遊べない。最新作のスマブラ、もちろん遊びたいよね?

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※この記事は https://adventar.org/calendars/3770 の記事です。なんで3本目書いてるんですかね…。

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