書き出し小説 No.2

真新しいノートを前にして、心が躍る。
何も書かれていないノート。これから何でも書いていける。
わたしはペンを持ち、最初の一文字を刻む。しかし、そこに記されたのは、ひらがなでも、カタカナでもなく、ただの「・」だった。
真っ白なのはノートじゃない。わたしの頭、そして、わたしの心。
わかってはいた。
わたしにあるのはただ「書きたい」という想いだけ。
人に伝えたいことや自分の主義主張などまるでない。心ときめくラブストーリーも、夢いっぱいの魔法世界も浮かんでこない。
いつからこんな感じになったのだろう。昔は、特に中学生のころは、物語を書くことに夢中で、ひたすらペンを走らせた。仲の良い友達にそれを見せたり、「リレー小説」なんていって、お互いに小説を書きあった。
あの頃は上手い下手なんて考えず、ひたすらに言葉を紡んだ。自由だった。
そして、自分のことを好きでいることができた。
少なくとも、今よりずっと。

「……情けない」
あれから十四年。わたしは二十九歳になった。働くようになって使えるお金は増え、四年前には結婚もした。何不自由ない、幸せな日々。
でも、十五歳の頃の自分が羨ましくてしかたない。
あの頃の情熱も、何かに夢中になる気持ちを思い出したかった。
だから、仕事帰りに文房具店に寄り、ノートを買った。
別に今時、ノートに書かずともパソコンやスマートフォンでもっと気軽に綺麗に書ける。手書きで書く人も少なくなっていることだろう。
でもあの頃と同じように手書きにすることで、書けるようになるのでは、という淡すぎる期待を持っていた。
二度目のため息が出たところで、向こうからドライヤーの音が聞こえてきた。その音は終わりの音だ。
何もかげずじまいのノートを閉じ、本棚の隙間に隠した。
小説を書くという趣味は、夫には秘密だ。
単に恥ずかしいという気持ちより、才能がない人間(わたし)がそういうことをしていて笑われるのではないか、という不健全な恥ずかしさがあった。

「りっちゃん、お風呂あいたよ」
「うん」
着替えをもって浴室に向かう。
今日もわたしは進めなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?