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最上の趣味であるオープンソース開発と仕事が融合する幸せ─マチマチ ITスペシャリスト兼Rubyコミッター 武者晶紀

「マチマチのメンバーインタビュー」シリーズ、略して「マチメン」。今回はITスペシャリストとしてマチマチの開発をリードする武者の登場です。

Rubyのコミッターとしても活躍し、様々なITベンチャーでエンジニアとして活躍してきた彼がどのような経験をしてきたのかを聞きました。

ITスペシャリスト 武者晶紀。千葉市出身、東京都杉並区育ち。慶應義塾大学経済学部在学中に起業、大企業向けの知財情報Web検索システムを開発。並行してOSS開発に傾倒し、FreeBSD、Ruby等のコミッターとして長きに渡り活躍。より大きな舞台を求めて数社を渡り、EC、モバイルCtoC、ブログサービス、チケット情報サービス、飲食チェーンアプリバックエンドなど多数の中〜大規模サービスで開発を主導し、信頼を築く。自身と家族の経験を振り返り、より生活に密着した問題解決ツールの必要性について創業者二人と意気投合、2017年6月株式会社マチマチにジョイン。
GitHubアカウントはknu

プログラミングに夢中になった時代

ーー武者さんがエンジニアになろうと思ったきっかけは?

父がソフトウェアの仕事をしていたんです。父はプログラマーではなく、マネジメントや経営側の人間でした。自分の会社からパソコンを家に持って帰ってきていたので、それを僕が触っていたんです。初めてコードを書いたのは、小学生のとき。簡単なブロック崩しやシューティングゲームを作って遊んでいました。中学生からはC言語など仕事でも使えるようなプログラミングを始めました。

ずっと独学でプログラミングを学んでいたのですが、大学ではパソコンのサークルに入って、初めて仲間ができました。そのサークルで学園祭に出展する際に占いのソフトを開発したり、ゲームを共同開発したりして、世に作品を出すことの面白さを知りました。そのときに初めてプログラミングを仕事として意識するようになりましたね。

同じ時期に父から自分でもお金を稼げと言われ、紹介されたソフトウェアのアルバイトを始めました。その会社は海外ソフトを輸入して、日本語化し、日本語のマニュアルを付けて売るビジネスをしていて、私は英文マニュアルを日本語に訳す仕事をしました。プログラムを書く仕事ではありませんでしたが、実際に仕事でも関わってみてソフトウェアの世界で働くことを意識し始めました。

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ーー仕事にすることを考え始めたのは大学の頃だったんですね。

そうなんです。大学に進学した当時、ちょうどインターネットが学校や家でも使えるようになってきていました。コードが書ければ、ウェブサイトが作れて、サイト上にチャットも設置できる。インターネットについても独学で学びながら色々試していました。自分の作ったチャットを通じてインターネットで出会った人たちとよくオフ会をしたこともあって、インターネットを使って人と人を橋渡しするのは面白いなと思いましたね。楽しくインターネットを使うことが仕事になればいいなと考えました。

当時のインターネットはHTMLが書けるだけで仕事があったんです。サイトにチャットを付けられるとなれば、そこそこ稼げました。ただ、僕はお金を稼ぐことにはあまり興味がなくて、もっと大きいことがやりたいと思っていました。当時のインターネットは爆発寸前の卵のようなもの。インターネットにはいろんな可能性を感じていたので、基盤技術やOSについて学ぼうとしたんです。

ーーインターネットの黎明期、ただ仕事をするだけでなくて、より大きなことに関心を持っていたんですね。

入学したのは経済学部だったので、残念ながらコンピューターサイエンスの勉強などは大学ではできませんでした。インターネットに情報があふれていたので、相変わらず独学してました。

大学をドロップアウトして起業

ーー独学でプログラミングやインターネットを学んで、どう仕事につながっていったんですか?

僕は大学を3年でドロップアウトして、父の知り合いが経営する会社に就職しました。その会社は中国から部品を輸入して日本でパソコンを組み立てて販売するなど色々と幅広く手掛けていて、そこで新規事業をすることになりました。工場などに納入するパソコンを組み立て、動かすためのソフトウェアを作る。OSのインストールから全部やるので、自分がやりたいことと一致していたんです。

1年半ほどその会社で働きました。その次は父が新しい事業をやるから手伝ってほしいと言われて、一緒に会社を立ち上げることになりました。父は特許情報や商法などの、知的財産のデータベースをビジネスにしていたんです。ただ、インターネットが登場する前からやっていたので、サーバ用、クライアント用など、必要なソフトウェアをいくつか開発して納品していました。インターネットがあれば、作るのはWebサーバ1つで、あとはブラウザを使って全部できると発想したそうで。

特許ってデータの項目数も多くて、件数も多い。かつ、データの増加ペースも早く、毎週何万件という単位でデータが増えるんです。小さい会社が開発するのはなかなか大変な領域でした。ですが、インターネット時代になってオープンソースで実用的なデータベースシステムが無償で利用できるようになっていたので、小さい会社でも開発が可能になっていたんですよね。

特許はその領域の知識が必要で、規格や決めごとに基づいて実装しないといけない。僕は規格にそって作るのは大好きだったので、技術文書や仕様書を読んで、特許の検索システムをブラウザベースで作りました。インターネット技術と社会の現場につなぐという仕事をローコストで実現できたし、オープンソースを使って開発したものでも利用してもらえたというのが最初の成功体験ですね。

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ーーしばらくは知財情報Web検索システムの開発を?

複数の企業の知財法務部門向けに知財データベースシステムを提供して、いくつか共通するフィードバックを取り入れて改善すると、やることがなくなってしまって。その頃、ちょうどECやSNSなど様々なインターネットビジネスが花開こうとしてるタイミングだったので、その世界に飛び込みたいという気持ちが強くなっていきました。

自分も何かやりたいと考えていたある日、当時、オープンソースで開発に参加していた「FreeBSD」について、エンジニア向けの雑誌で起業家が語っていて、一緒に求人広告が掲載されていたんです。面白そうだなと思って飛び込んだのがオン・ザ・エッヂ(ライブドア)でした。

ーーということは、語っていたのは堀江さん?

そうです。その会社はオープンソースで活躍している人が大勢いて、オープンなインターネットの世界で一般ユーザー相手に様々なビジネスを手掛けている。その空気を吸えたのはよかったですね。

結局、関わっていたのは半年ほど。多くの人が「iモード」などガラケーでのインターネット利用にシフトしていたタイミング。パソコンを買って、設定して、ウェブサイトを作って、という時代からガラケーだけでいい人が増えた。ガラケーを使ったビジネスも増えて、大勢の人向けにサービスを提供するなら舞台はモバイルだなと。

ちょうど、父と作った会社の仕事もほとんどなかったので、モバイルのECとかCtoC事業を手掛けていたゆめみという会社に就職しました。僕が入った事業は若い女性向けのオークションシステム。これまで開発してきたサービスと異なり、ユーザーは10代、20代ばかり。「遅い」「使いにくい」などいろんなフィードバックをもらいました。一般向けのサービスはどこがポイントなのかという感覚が少しずつわかってきました。

当時の開発は技術負債も多くて、苦労も多かったですね。ガラケーは機能が限定されていたので、理論や規格を曲げて開発するバッドノウハウがいろいろとあって、現実の開発を色々経験できたのはよかったですね。

オープンソース開発と仕事の接続

ーーより多くのユーザーに向き合う、理論だけではなく現実と折り合いを付けた開発を学んだんですね。

あれはいい経験でしたね。ゆめみにいたのが1年半くらい。オン・ザ・エッヂ時代に知り合った人から「Seesaaという会社を作ったから力貸して欲しい」と相談されて、一桁社員として転職しました。7人目くらいだったと思います。

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当時、Seesaaが苦戦していたのはモバイル対応。僕がゆめみで担当していたことだったので、協力できるなと。モバイル対応では、絵文字の変換、画像の変換、サムネイルの容量を抑えたり、ブログの長文を表示する際にガラケーの1ページのバイト数上限に合わせて分割してページ送りする仕組みを作ったりしました。

オープンソースでの開発経験を直接使って、仕事の開発ができたのもSeesaaのときでしたね。それまでは仕事でアプリケーションを書くのにPHPやPerlを使っていましたが、趣味でFreeBSDやRubyの開発に参加していてC言語には慣れていたので、当時アクセス増に伴ってバックエンドが高負荷になっているのを見てApache用のキャッシュモジュールを開発して解決したりしました。最上の趣味だったオープンソースの経験と仕事がつながったのは嬉しかったですね。

ブログの開発が一段落した後は、課金システムを開発して、それも終わってからは受託開発を担当していました。自社開発の経験を活かして、アンドロイドアプリ、iOSアプリ、バックエンドの開発と運用含めてワンストップで提供できるのが他社との差別化要因だとして売っていったんです。

そこで大きいクライアントになったのがオンラインチケットのイープラスでした。僕は新しいバックエンドの開発を担当することになったんです。当時、SeesaaではPerlを使っていたんですが、新しく開発するサービスは違う言語で書きたいと思って、思い切ってRubyを使ってみることにしました。それまでRubyは趣味だったのですが、Railsを使って、APIなど一通り開発した結果、「これは使えるな」と。自分が開発で関わっていたRubyがこんなにも使える言語になっていたんだと驚きましたね。

無事、イープラスのプロジェクト自体も成功。公式アプリとしてサービスインした後、基幹システムとアプリを統合するプロジェクトで、僕が開発したモバイル用のバックエンドが基幹のサブシステムとして動くようになりました。このときに体験したデータ規模もすごかったですね。当初は10〜20万人ほどのユーザー数を念頭にシステムを構築していましたが、一気に二桁規模が増えて。この開発もRailsでなんとかできました。

コミッターとしても関わっていたので言語の裏表全部知ってることもあり、仕事でもRubyを使うのが当たり前になりました。その他、いくつかのサービスのバックエンドの開発を担当して。徐々にRailsの知見も溜まっていきました。

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後編では、武者がどのような経緯でマチマチにジョインしたのかを聞いていきます。

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