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寂しい、悲しいという感情について

今、僕は、
自分の人生の中で、自分の身体で体験したことを通じて

命って何なのか、人って何なのかという事を学んでいくのが
生きる喜びだなぁと感じています。

そんな僕が最近、感じていたのは
「寂しい」という感情。

この寂しさは、
時折、生まれてくる。
大切な人との別れを察知した時に生まれる感情だ。

大好きな従兄弟との年に数回しかない時間が終わりそうになる時
祖母のちかばあばが危篤になった時。
お茶を教えてもらった日本橋の茶屋が店じまいにると知った時。
何かを一緒にした大切な仲間たちが違う道を歩む事になったと聞く時。

この感情が生まれてくるときは、
必ず、空間的な別れがある事を予感して、
大切な何かがどっかにいってしまいそうな気持ちになり、
寂しさの後に来る、胸が締め付けられるような悲しみを予期する。

本当は、悲しみなんて体験したくないけど、

寂しさを感じることで、
その存在が、自分にとって、
本当に大切で尊い存在だったのだと気づくことができ、

別れが来る前の、最後のわずか時間を
大切にすることができるのだと思う。

そして、人は悲しみを感じたときに、
心は大きな傷を追う。胸は強く強く締め付けられ、
顔はくしゃくしゃになる。口はへの字に歪む。

これまではいつも、
この傷が嫌で嫌で仕方なかった。
なんで、別れなければならないのか。こんなに大切なのに。

でも、今日気づいた。
この傷は、傷つけられているんじゃない。
自分で”刻み込んでいるんだ”と。

この傷は、
あなたという存在を決して忘れないように、
心に刻み込んでいる。

従兄弟との遊びは、すべての存在を活かすことを
祖母との食事は、人に尽くすことの喜びを
茶屋さんとの会話は、存在1つ1つを知る大切さを

今もありありと思い出させてくれる。
この刻み込まれた傷は、きっと一生忘れることがないのだと思う。

今回の一度の別れから、
刻みこんだものは、
まだ、言葉にできる程整理はできてないけど、

今この瞬間も、あなたという存在は、
私の中にいて。

私という存在は
あなたの中にいる。

人は、寂しさや悲しさという感情を通じて、
大切な何かをつないでいるんだ。

ひとりぼっちなんかじゃ、けっしてない。
離れていても、ここにいる。

この傷を抱えて、僕は生きていく。


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