料理人になりました!CRAZYで働かせてもらうことになったよ!
8月から週に一回ですが
オリジナルウェディング事業を中心に本質的、ユニークな経営をされている、株式会社CRAZYにて、社員食堂のダイニングスタッフとして働かせていただくことになりました。
(なお、通常の仕事もそれ以外の日は平常運転です。)
会社も経営しながら、一児の父もしながらであるにも関わらず、料理人としてある時間をとることをなぜ決断したのか。
そのお話をしようと思います。3つ考えました。
人の本質を突き詰めていくプロセスで、食の重要性と可能性に気づいたから
コーチとして、
人の成長に関わると、自分がどうあるかや、人というものの本質が何なのか、
この探求が非常に重要になります。
そういったなかで、意識変容という言葉があるのですが、何を食べてるかと、どういう意識なのかはすごく関連があるように思えたのです。
たとえば、割烹出身の大将が作られる
北鎌倉茶飯事の食事を食べると
なぜか、その日中、人や時間と丁寧に付き合えたり
調子のよさを感じることがあります。
変容が、新しいなにかと繋がって、
全体システムが変わることだとしたら
食するという行為は、
自分以外の命を接種し
自分の体になっていくというまさしく変容行為。
日々変容するからだに大きく影響する
食を非常に面白い、可能性のある領域だと思い、
突き詰めていきたいと思いました。
いい食事をとってるから
いい人でいられるんだよ。
そんなことを身をもって言えるようになったらいいなぁ。
食を自給できると、コスパがいいし幸せ
これは、5月のパートナーの誕生日に
誕生日フルコースを振る舞ったときに気づいたことなのですが
1品1品丁寧に作りながら
一緒に味わい、また次の料理へという時間を過ごしたので、気づいたら四時間くらい過ぎていてびっくり
さらに驚いたのが、フルースにかかった原価が1人500円。500円でこんなに幸せになれることにほんとに驚きました。
この体験から気づいたのは、
自分が価値を感じていることに関しては
消費するより自給する方が、安いし
プロセスも楽しめる、顔も見えるから幸福感あがるなぁと
自給自足って、
いまいち言葉としてピント来てなかったですが
食に関しては、少しずつその意義が見えてきた気がします。
料理は原始的な生業
改めて、人生を振り返ってみると
料理は、大学に行くか、料理学校に行くか悩んだくらい、自分にとってやりたいことだったなぁと。
人の本質を追求する上で
料理人であることにしたのですが、
ふと料理人を生業として見たときに思ったのは
非常に原始的だなぁと
コーチの仕事は、この100年とかで必要性が生まれたわけですが、料理はそれこそ縄文の時から生きるために行われている原始的な行為。
どちらも、
「変容」の探求のためにやっているが
コーチはインフラの整っている時代だから成り立っている現代的な職業。
一方で、料理人は昔からある原始的な職業で、
個人的には古くからあるものに繋がることが
よりシンプルでエネルギッシュだなぁと感じています。
上記が自分が料理人であることにした理由です。
幸い、週一で関わらせていただくことになった
CRAZYのキッチンは本当に学ばせて頂くことばかりで、お米の炊き方から、野菜の煮方まで
「自分はこんなに知らなかったのか」
ということばかりで
日々新しい学びがあってありがたい機会だなぁと感じています。
自分が作った料理の皿を目の前にしたら
誰もが丁寧に、食材の味や、過ごす時、人、そして命を味わえるようになってしまうような
そんな料理人に
私はなりたい。
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