そこに愛はあるのか、愛のある事をせよ。(愛の定言命法)

いやぁ〜美学者母です。
最近はフレンチブルドックの愛犬武蔵が手術をしたり、
まぁ私事で結婚したり、
色々ありまして大変でした。

まぁ私の入籍や愛犬武蔵の手術も無事終わりまして、
私も愛犬武蔵も元気にやっておりますwww

しかしですねぇ、
生きていくと色々な事がありまして、
私も今まで色々な壁を前にし、
そしてそれらをなんとか乗り越えてきました。
特に私の様に組織などに入らずに、
個人で様々な活動をしておりますと、
数限りない壁を前にして、
自己嫌悪などに陥ることもしばしばです。
さらにその様な状況をサバイヴし、
どうブレイクスルーするのか、
判断し決断していかなければならないわけです。

最近特に身近な問題として、
「時間」の使い方というものを考えています。
私も40歳になり、
体力的にも精神的にも衰えを感じる様になりました、
そして自分に残されている「時間」というものも、
少なくなってきていると、
日々感じているわけです。

私より年上の方は何をまだ40歳で、
と思われるのでしょうが、
人間いつ死ぬかわかりませんし、
私の臨場感としては、
自分が40歳まで生きている事自体、
ある意味「奇跡的」な事だと考えているのです。

ですから、
今与えられた「時間」というものが、
本当に尊いものだと認識し、
そしてそれをいかに使うのかという事が、
私にとって非常に重要なのです。

私はまさに哲学者ウィトゲンシュタインの、

「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」

という言葉を実感し、
またその言葉の美しさに魅了されるのです。

その上で私は、
私に与えられた時間を若い頃の様に、
「興味」の無いことや、
「好き」で無いことに、
使っている場合では無いのです。

そして無意味な競争や、
ヘゲモニー争い、
さらに私利私欲に溢れた、
マネーゲーム、
そんな事に使っている時間は無いのです。

その様な人間のある種「ドグマ」から、
いかに抜け出し、
最も崇高な時間を作り出すにはどうすればいいのか、
それは、
「愛」を基準に判断する事です。

もし貴方が判断する時、
すなわちそれは、
それに対し「時間」を使うという事です。
その時に「愛」がある事を選ぶのです。

「そこに愛はあるのか、
愛のある事をせよ。(愛の定言命法)」

その様な判断を具体的に私の経験で言うと、
冒頭に話した、
「結婚」であったり、
愛犬の「手術」であったり、
するわけです。

私たちは日々数限りない判断をしているわけですが、
それはすなわち「時間」を何に使うのか、
という選択でもあるわけです。
そして、
「どうでもいい事」には、
その尊い「時間」を使いたく無いのです。

それは私にとって「どうでもいい事」です、
そしてその前提条件は、
「この世界に絶対は無い」という事です。
つまり「絶対に正しい」も無ければ、
「絶対に間違い」も無いのです。
それは私たちが「絶対に正しい」と、
思い込んでいる事、
例えば「科学」が最たるものです。
「科学」は「正しさを指し示している」、
そしてそれは「絶対」に限りなく近いのかもしれない、
しかしそれは「絶対」では無いのです。

つまり所謂「絶対」とは、
「不可知」なものであるのです。
であるならば、
私たちの判断は「知を超えたもの」に、
委ねる事になんら矛盾は無いのです。

これは例えば、
「哲学」や「美学」なども同じ帰結が導かれるのです。
それはどういうことか、
つまり「哲学」や「美学」は「知」であるから、
「知」を超えたものは知り得ない、
「知」を超えたものを知ろうとする事自体、
馬鹿げているという事であって、
いくら「知の巨人」がそれを語っても、
「語り得ないものは語り得ない」のです。

これらはまさに、
哲学者ウィトゲンシュタインの思想なわけですが、
私はその良き判断として、
「愛の定言命法」を付け加えたいのです。

例えば私で言うならば、
三島由紀夫に愛を体験するわけです。
それはこの世界の正しさや、間違い、
三島由紀夫の思想の正しさや、間違い、
そんな事よりも、
私は三島由紀夫に愛を体験する事が、
私にとって「重要」であるという事で、
それ以上でも以下でも無い。

それはウィトゲンシュタインも同じで、
私は、
ウィトゲンシュタインに愛を体験するのであって、
世界の正しさや、間違い、
ウィトゲンシュタインの思想の正しさや、間違い、
そんな事よりも、
私はウィトゲンシュタインに愛を体験する事が、
私にとって「重要」である。

すなわち、
私は「愛の体験」のある方に判断し、
そしてそれに「時間を使う」のであって、
それ以上でも以下でも無い。

さらにそれは、
世界の正しさや、間違い、
社会の正しさや、間違い、
論理の正しさや、間違い、
科学の正しさや、間違い、
思想の正しさや、間違い、
それら「知」の正しさや、間違いを、
「超越」しているという事なのです。

ぜひ皆様もこの「愛の定言命法」、
実践してみてはいかがでしょうか。

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