反抗こそ人間らしさである。(美学者母の理由なき反抗)

僕をよく知っている人の中で、
僕が右翼だとか、
右翼的だという人がいるのだけれど、
それは本当だろうか?

そもそも政治的にこの社会を変える、
というそもそも政治に興味が無いし、
政治が現代の社会を、
変える力があるとも考えていない。

例えば現在自民党政権で安倍内閣が続いている、
しかしこれが共産党政権で志位内閣でも、
社会はほとんど変わっていないだろう。
結局誰かが言っていたが、
現在の政治というものは、
日本そのもののあり方を変える、
という類のものでは無く、
ただ単なるヘゲモニー争いなのだから。

それを根本的に表層しているのが、
最近行われた統一地方選挙で、
中核派の女性が選挙で当選したという事実。

この様な政治における自明性、
では実際に社会を変えていっているのは、
政治では無く、
法律的には黒やグレーな事を、
実際にやってのける人々なのだ。

「実力行使」こそ、
まさに社会を変えていくのである。

それは例えば、
「winny事件」であったり、
Airbnbであったり、bitcoinであったり。

もはや現在の法律では捉えようの無い、
もしくは違法であるが、
その違法性が私たちにとって不利益である、
その様な事が実際に変革され、
現に社会を変えていっているのである。

法律があって人間がいるのか、
人間があって法律があるのか、
その様な根本的な問題なのである。

人間が自由に平等に、安全に安心して、
生きていくために法律があるのであって、
法律の為に自由が奪われ、不平等が発生し、
安全や安心が脅かされているのであれば、
それは法律を破ってでも、
己の正義や善を貫かなければならない。

それこそが「反抗」であり、
そもそもの「人間らしさ」なのでは無いだろうか。

私は小さい頃から野球をしていて、
高校まで一切の自由を奪われていました。
それはまさに壮絶な体験であり、
その頃の悪夢は今でも脳裏をよぎります。

私のメンタリティは、
その頃の自由を奪われたという体験が、
コアになっているわけです。

それは具体的に言うと、
「自由を奪われていた」ということに対する、
「反抗」であるわけです。

そして高校卒業の18歳から、
「創造者」として「反抗者」として、
現在まで活動してきました。

私を衝き動かす欲動の根本は、
この様な事に対する「怒り」なのです。

一般的にその欲動は、
例えば「お金」であったり、
「地位」「権威」「名声」、
なのだと思います。

しかし私は違います。
私は「怒り」によって衝き動かされ、
ありとあらゆる行動や活動を行なっています。

つまり私にとって自己実現とは、
「お金」を得ることでも無く、
「地位」を得たいわけでも無く、
「権威」を得たいわけでも無く、
「名声」を得たいわけでも無い。

ただ「己の怒り」を沈めたいだけなのです。

この事はある種恐ろしい事なのかもしれません、
なぜなら何も失うものはないからです。

私は反抗や批判というのは、
人間らしさの大きなエレメントだと考えています。

なぜならこの世界の事実には、
「肯定」しかないからです。
それは端的に言えば、
事実として起こったことは、
起こったこととして肯定する他、
方法がないからです。

しかし人間は、
その事実を想像力を使い、
現実という大きな流れに対し、
「反抗」し「批判」する事ができるのです。

それこそがまさに、
「人間らしさ」であり、
「人間」の「自由」であるのです。

ただ大きな流れに任せて、
ただただ流れていく、
ただ現実という事実を受け止め、
それを受け入れていく、
そんな人生に何の意味があるのでしょうか?

苦しくても悲しくても、
その大きな流れに争い、
まぎれもなく訪れる現実を、
力ずくで変えていく、
それこそが「人間らしさ」なのではないか、

私はその様に、
皆様に力強く訴えかけるのです。

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