芸術の古典から現代アート、ペルソナから被り物へのアップデートの持つ意味と芸術構造(ギャラリー椿の作家、山本麻友香の作品を通して見える現代性)

昨日は久しぶりにIKEA(イケア)、
に行ってきたのですが、
凄いお客さんの数で疲れました。

IKEAのデザインは北欧デザインと言われていますが、
基本的にはモダンデザインであり、
色の使い方に少しだけ特徴があります。

日本でのモダンデザインの一般的受容というのも、
非常に遅かったわけです。
それはもう20年以上前には、
私などはモダンデザインの家具が欲しくて、
そこら中を探し回っても、
なかなか販売していなかったのです。

大阪だと20年以上前だったら、
オシャレな人の間で、
ミッドセンチュリー家具が流行って、
オシャレな服屋さんとかで、
イームズとか売ってたり、
そのうち堀江なんかに、
モダンデザイン家具屋ができたり。

そこからモダンデザインは広がりを見せて、
色々な企業のロゴなんかが、
モダンデザイン化されていきました、
ユニクロのロゴがモダンデザイン化されたのも、
大衆がモダンデザインを受容する上で、
大きな出来事だったと思いますが、
それに関しては、
佐藤可士和がすごいというより、
大衆が遅すぎるという感覚でしたwww

私にとっては、
IKEAのデザインが大衆に受け入れられている、
それを見て何を思うかというと、
私と20年以上感覚がずれている、
というのが正直な感想です。

昔は堀江の小さな家具屋でしか、
売っていなかったものが、
量販店で売られるようになった。

そういう現象っていっぱいあって、
スケートボード、スノーボード、
古着、ヒップホップ。

本当に一部の人が楽しんでいたものが、
大衆化されて、
大型量販店に取って代わってるわけです。

つまり私はこの様なことから何が言いたいのか、
というと、
芸術又は芸術の歴史と、
あらゆるモノのデザインというのは、
完全に一致するわけなのですね。

つまり私は20年以上前に、
モダンデザインを取り入れていたし、
自分がデザインしていた、
フライヤーやロゴなどの、
グラフィックデザインも、
モダンデザインだったわけです。

その様なモダンデザインは、
その時点で、
どのタイミングかわわかりませんが、
大衆化されることが自明だったわけです。

なぜなら、
芸術、デザイン、文化、政治、経済というのは、
全て同じ様な表層を表すからです。

これは私は実践済みで、
私は仮想通貨、暗号通貨のFXトレードで、
少しばかり儲けましたが、
それは表層としてのトレンドが、
どの様な曲線を描くかわかるからです。

これがある種の芸術分析なのです。

その様な私の芸術分析から、
最近特に注目すべき表層を、
皆様に紹介したいと思います。
それは「被り物」です。

特にここで言う被り物は、
顔全体を隠している「被り物」では無く、
顔の一部が露出している「被り物」です。

例えば、
顔だけ見えているパンダの着ぐるみとか、
顔だけ見えているクマの被り物とか、
よく「驚安の殿堂ドン・キホーテ」なんかで、
売っていますよね。

とても可愛くて、
それを被っている人なんかを、
たまにオタクの街(大阪日本橋)などで見ると、
ほっこりなってしまいます。

しかしそれと同時に、
現在のオタクカルチャーである、
コスプレとの相関性を感じずにはいられないのです。

そしてさらに深い考察を試みれば、
それは今日本で一般的に頻繁に用いられる、
「マスク」というものへ行き着くわけです。
私はある種、

「マスク」=「コスプレ」

この様な相関性を考えるわけです。

ではなぜ現代の民衆は、
みんながそのコスプレをしたがるのでしょうか?
その部分を考察する上で、
「ペルソナ」というものを相対的に扱いたいのです。

「ペルソナ」とは、
「パーソナル」の語源です。

もともとの意味は、
演劇などで被る仮面の事を「ペルソナ」と言いますが、
心理学などでは、
「社会に適応した自我」という意味もあります。

つまり「パーソナル」の意味は、
「個人」「私的」という意味で、
「ペルソナ」というコンテクストを有しています。

この様に考えると、
古典的な「ペルソナ」、
つまり「パーソナル」というのは、
「ペルソナ」という「仮面」を被りながらも、
一つの「自我」を「ゲシュタルト」しています。

しかし現代の「被り物」はどうでしょうか、
パンダやクマの「被り物」「着ぐるみ」を、
被りながらも、
「ある部分」は露出しています。

これが非常に「現代」を表すエレメントだと、
私は考えています。

古典的「ペルソナ」の時代は、
「ペルソナ」という「仮面」を被りながらも、
「意識」と「無意識」という、
「一つの自我」に「ゲシュタルト」されていましたが、

現代「被り物」の時代は、
「被り物」を被りながらも、
「内」と「外」という、
「二つの自我」に「分裂」している、
その様な考察を可能にしています。

そこからどの様なことが理解できるかというと、
古典では、
社会的自我と個人的自我は同じであるのですが、
現代では、
社会的自我と個人的自我が分裂しているのです。

これらをわかりやすく例えると、
サラリーマンなどで例えると理解しやすいです。
「平日の自分」と「週末の自分」、
つまり仕事に行っている自分と、
週末に余暇を楽しんでいる自分。

この様に現代において、
私たちはある種「二重の自我」を、
アプリオリに生成しなくては、
生きていけない時代になっているのです。

そんな現代の表層を如実に表現している、
純粋芸術として、
最近私が注目しているアーティストが、
山本麻友香さんです。

作品の画像は掲載しませんが、
グーグルなどで検索していただければ、
すぐに観ることができます。

この様に現代は、
「二つの自我」というものを、
生きる時代になっており、
街を歩けば、
マスクを着けた人が、
当たり前に通り抜けて生きます。

この様な二重性というものが、
私にとって良いとか悪いとかではなく、
私自身は「疲れる」のです。

ですから私は、
「仕事」も「プライベート」も分けない、
その様なライフスタイルで、
「一つの自我」として生きています。

少なくとも、
自分自身が納得するライフスタイルを生きたいですし、
この様な言説が皆様に何かしらの、
「気づき」を与える事ができれば幸いです。

美学者母

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