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初心者のためのフレスコボウズ

はじめまして
松井芳寛(マツイ ヨシヒロ)と申します。
174㎝ 60~70㎏ 29歳

noteを作った理由

少しでも私の奥深い部分をいろんな方に知ってもらいたいと思ったからです。
昔からの友人でも知ってもらえてない事が多いはず、これから私をもっと知って頂くためのややこしい『名刺』がこのボクの note です(^^)

長い自己紹介

【小学生時代】
泣き虫で弱く内気な自分が嫌いだった。だがオモシロい人間がクラスの中心に

なるという校風(?)だったこともあり、自分を出せていくにつれて、少しずつ地位を築く。毎日のように観ていたお笑い番組が私を変えたと思う。そのため関西とお笑いにとても感謝している。

【中学生時代】
女子と話す事を恐れた3年間。バスケとおもしろいことだけを追求していた。卒業式、人生初めて女子に告白するもフラれる、心に大きな傷を負う。

【高校生時代】
失恋の傷を癒したのがビジネスパートナーであり良き友である藪内計太。中学時代は仲良くなかったがこれをきっかけに親密に。オープンマインドではない自分を変えたい!その為には自分からコニュニケーション取ることが必要。と考え、人と会話する。ということを意識し始める。この時やっと人と普通に関われるようになった。中学、高校と続けたバスケの6年間で仲間の大事さを学ぶ。高校3年生となり体育の教員になりたいという思いの元、大学受験に挑むも失敗する。アナザープランとして考えていたスポーツトレーナーになるべく専門学校を選定するも母からの猛反対をされる。理由はトレーナーでは生活の保証がないからと。医療系国家資格取得を勧められ、柔道整復師の専門学校へ入学。治療家は私の天職。母の助言には感謝しきれない。

【専門学生時代(柔整)】
柔道整復師という職業柄、年上の同級生が多い中で生活し、授業中にアイスなど買いに行かされパシリにされる日々。あの人が学校続けてたら卒業できてなかった。。。人生の先輩方から我慢、忍耐、独立志向を学び、経験する。専門学校に入学してないければ今の自分はなかっただろう。同い年が集まる高校時代とは違った刺激の多い時間を過ごした。

【専門学生時代(鍼灸)】
人間性の向上が患者さんの満足度を高めることができると考えるようになり、大阪YMCAボランティアリーダーとして活動。バスケ指導を幼稚園生から中学生に実施した。学校のテスト期間とバスケの集中講座が重なりヘルペス発症し疲弊。。。しかしながら子供の心、愛護の精神を学び、体感できたのは大きな成長となった。並行してバスケサークルの共同代表を任せられ運営、総人数80人近くをまとめる。イベントを企画する、人を集める、まとめる、人から信頼されることの難しさを実感する。クリニックにて勤務していたため鍼灸臨床に関わらない3年だった(笑)

【社会人(病院)】
卒業後はリハビリに興味を持つ。理学療法士との勤務を切望し、中規模病院にて勤務する。リハビリ科、デイケア科を兼任でき介護にも関わることができた。同時期にバイトでデイサービスでの勤務も経験。リハビリ。介護の知識が増え、患者さんのアプローチ方法が幅広くなった。

【社会人(パーソナルジム×治療院)】
当時勤務していた病院に次月辞めます。と伝え退職(笑)早稲田大学院卒、無職の藪内計太を助けるべく上京。
知人のご紹介があり、藪内とパーソナルジム×治療院を運営すべくベンチャー企業へ入社。入社したものの、ジム×治療院運営はスタートできず、会社の意向で半年間箱根のホテル内サロンにてリラクゼーションセラピストとして勤務。実家暮らしからルームシェアへの移行、新しい職種、女性の職場環境、関東という異国の地での生活。という様々な状況は私の中で人生で1番ツラい時期だった。しかし厳しい環境は私を人間的、精神的、技術的に成長させた。箱根勤務後、東京中野にてパーソナルジムキュットネスをオープンさせる。365日ほぼ休まず1日15時間勤務をする。知識、経験のない状態で店舗を運営し、オープン2ヶ月で単月黒字、5ヶ月で売上100万達成、半年で初期費用を回収する。その後ベンチャー企業を退職し、バケットリストにあった海外クルーズ船内での鍼灸施術を達成すべく英語を勉強する。が!乗船試験に合格できず、関西帰郷。

今にいたる。to be continued

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