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「命の食事」提唱者 南雲吉則さん 『私の使命は、30年間で倍増した乳癌死亡率を30年間で半減させること。』

30年間、バスト専門医として国内外に拠点を広げ、テレビや雑誌などメディアでも活躍され、多くの女性の悩みに向き合い続けてきた南雲さんにこれからの展望についてお話を伺いました。

プロフィール
出身:群馬県
活動範囲:東京を中心に全国
活動:医師・大学客員教授・テレビ出演
         ・講演会・各企業との新商品開発
経歴:1981年 東京慈恵会医科大学を卒業
   同年 東京女子医科大学形成外科の
      研修医、東京女子医科大学形
      成外科、癌研究会付属病院外
      科を経て東京慈恵会医科大学
      第一外科乳腺外来医長
           1990年  医療法人社団ナグモ会ナグ
        モクリニックを開設
              医療法人社団ナグモ会理事
        長、ナグモクリニック総院
                         長             
           1994年  東京慈恵会医科大学より博
                          士(医学)を取得
その他:「女性の大切なバストの美容と健
                康と機能を守る」をモットーに全
                国で乳癌手術、乳房再建術を行う
                かたわら、「一日一食」「ゴボウ
                茶」「水シャワー」などの独自の
                若返りダイエット健康法を展開し
                てベストセラー、テレビ出演多数
     近年は、がんから命を救う食事と
     生活の指導・講演にも力を注ぐ。


癌の死亡率を半減させるためなら何でもやります!

記者:南雲さんの夢を聞かせてください。

南雲さん(南雲 以下、敬称略):今、僕がやっていることは30年間で倍増した癌死亡率を次の30年間で半減させるというのが90歳までの夢です。夢というか目標です。そのためなら何でもやります。それ以外のことは、「先生、これすごく儲かりますよ。」と言われてもそれは僕の夢でもないし、使命ではないからやりません。だけど、癌の死亡率を半減させることだったら、もうそれは地の果てであっても行って講演しますよ。あとは、徹夜して本を書いたりもしています。


記者:その夢を達成させるための目標計画やビジョンを聞かせていただけますか?

南雲:何が人生の成功かっていった時に、お金持ってあの世に行けるわけではないですよね。それよりも人に感謝されながら死んでいくこと。私は本当に、90歳、100歳まで長生きして、お腹も二段にならず、頭髪もしっかりあって、顔にシミ一つもできず、こうやって元気に生きていますよと、実証出来たら最高の幸せだと思っています。

ですので、今は予防医学というのにすごく力を入れています


記者:その計画を達成するために日々、どのような活動をされているのですか?

南雲:まずは、うちに来てくださった患者さんたちの栄養の解析を行い、足りない栄養を補うため、食事指導とかまたは生活指導・運動指導というようなことを行っています。「理想的な食事とはどういう食事なのか。」と言った時に、食品やサプリメント、レシピの本をみなさんが気軽に手に入れられるように用意しています。
それらを『命の食事』と呼ぶようになって、社団法人を立ち上げました。

それから、全国で講演会をやっています。昨年は一年間で90回ほど講演しました。
そうしていると、日本中の食品メーカーや製薬会社から声がかかり、商品の監修と様々な新商品を作り上げました。その資金使って、鎌倉に土地を買い、4月3日に命の食事の健康レストラン・日本料理の「吟」をオープンしました。料亭ですね。


俺は成功した!と思っていたのは大間違いだった。

記者:今のお仕事をされるようになったきっかけを聞かせてください。

南雲:僕は医者の家の4代目でしてね、子供の頃から将来は医者になるんだろうなとは思っていました。
33歳の時ですかね。医者になって5年目の時に、将来、何を目指していこうかなと考えていたんです。美容外科もやったし、形成外科もやった。それから、一般外科もだし、癌治療もやって来たと。
どれを専門にしようかなと思っていた時に、クリスマスの日でしたね。書斎に居て、突然、天井から光が降って来まして、「女性の大切なバストの美容と健康と機能を生涯にわたって守れ。」って、聞こえたんですよ。

こういう話しをすると神がかっているように思うかもしれませんが、昔から聞かれる現象で、閃きなんです。英語でFlash(フラッシュ)と言います。
それまで頭の中でもやもやしている概念が、一つのアイディアになった時に脳全体に興奮波が走るんです。それが脳の後頭葉の視覚野っていう部分に波及して光として感じているんです。
それで、なんという診療科かといった時にバストクリニックだとなり、それは素晴らしいと感動して、その日からだいたい2週間くらい寝食忘れるほど集中して、1冊の本を書き上げました。「バスト・クリニック」という本です。イラストも自分で書きました。

その本を父親に相談して自費出版しました。そこから、広告代理店を紹介してもらって女性雑誌に広告を載せたら、もうその翌日から北は北海道、そして南は沖縄から、お悩みの手紙がどんどん舞い込んで来て、「あー、バストの悩みを持っている方がこんなに沢山いるんだ。」と感じて、父親から5000万円借りて上野にクリニックを創ったのが始まりでした。
今では、東京・大阪・名古屋・福岡・韓国(ソウル)と広がって、みんなで力を合わせてクリニックとしてやっています。

記者:そのきっかけを通してどんな気づきや変化がありましたか?

南雲:3年前に還暦を迎えたんですよ。
還暦の会をみんながやってくれるっていうので、自分のやってきたことを振り返っていたんですね。
自分の乳癌の患者さんたちの症例数と彼らの生存率をもう一度、統計を取り直してみたわけです。30年間、長年にわたってずっと、早期発見・早期治療ということをみんなにお話して来ました。しかし、これが振り返ってみたら、なんと、この30年間で乳癌の死亡率は3倍になっていましてね、癌全体の死亡率も倍増していたんですよ。
よく考えてみたら当たり前の話なんですけど、癌にならない予防をしなければ癌患者が増えていくのは当然です。30年間、手術や抗がん剤、放射線治療という治療率が変わらないのなら当然、癌死亡率も3倍になるわけです。そんなことに気付かなかったんですよ。それで自分のところはどんどん患者さんの数は増えて、病院はでっかくなっていく。それで、俺は成功したって思っていたのは大間違いだと。とんでもないことだと。
だから、30年間で倍増した癌の死亡率を次の30年間で半減させようと60歳になって気づいて立てた人生の目標なんです。

記者:その突き上げてくるようなエネルギー・活力はどこからくるのですか?

南雲:人間には二つの命令系統があって、一つは脳です。脳の役割は、自分の生活域を守ること。例えば、パートナーを外部から守るとか、自分の子供をいい学校に入れようと必死になって追い立てたりとか、奥さんが口答えしたら暴力振るうとか、人を騙してでも金儲けしようとしたりとかですね。これら全て、脳の縄張り意識ですよ。だから、世のため人のために素晴らしい治療をしようと、それで世の中の人たちから賞賛を得ようなんていうのも脳の縄張り意識。くだらない欲ですよ。それは。60年間もやって来ました。
それで幸せになりましたか?ってことですよね。

もう一つの命令系統は何かというと魂です。魂の中には二つの命令しかなくて、一つは、生きろ。もう一つは、命を懸けて同胞を守れという命令です。

記者:同胞ですか?

南雲:蟻でも、蜂でも、ライオンでも、自分の同胞が敵に襲われたら命を懸けて立ち向かっていくわけですよ。それで自分が死んでしまったりするわけです。だけど、そのことによって自分たちの仲間の遺伝子を後世まで残すことが出来たんですよ。だから、それは私利私欲ではない。世のため人のためっていうのは、まさにそういうことをいうんだと思います。

記者:そのことに気付く、何かきっかけのようなものがあったのですか?

南雲:何故、気づいたかっていうと、僕が60歳になる直前に父親が亡くなったんですね。それまで非常に父親に憧れて医者になったわけですから。
だけど、尊敬していたもののやっぱり・・・。

高校2年の2学期に、思春期で反抗期になりまして、ついに父親に手を挙げたことがあるんですよ。
ところが、心の中に1%でも尊敬する気持ちがあったので、自分の親を殴ることが出来なかったんですね。手を振り上げたまま金縛りにあったみたいにプルプル震えていたんですよ。そうしたら父親が僕の頭に手を置いてね、「よしよし」ってなだめて来たんですね。「この野郎!人のこと子ども扱いしやがって!」って思って、部屋に閉じこもって「復讐してやる!」って考えました。死ぬか、家出するか、グレるか考えましたが、大人と勝負するには大人の社会ルールで戦おうと決めました。勉強して父親を見返すような立派な医者になってね、参ったと言わせてやろうと思ったわけです。

そこから先は、もうがむしゃらに勉強して、医者にもなって、自分の夢がどんどん叶えられて、豊かな夢のある生活が迎えられ、頑張って、頑張って来ました。
ところが、父親がそのことをあまり喜ばなかったんですね。
私が言うこと成すことに、「まだそんなこと言っているようじゃ、まだまだだな。」なんて言われて。いつも自分の前に立ちはだかって批判するようなこと言ってくるんです。そんな父親でしたね。
父親に認められたいと思ていたんだけど叶わなかった。

それが、父親が死んだ瞬間にね、自分のライバルがいなくなって呆然としてしまったんです。
出棺で、もうこれが最後の別れというときに、父の頬に僕の頬を当ててみたんです。そうしたらね、懐かしい匂いがするんですね。どこで嗅いだのかなって思ったら、僕と父親の思い出がね、走馬灯のように目の前をザーっと流れてね、それで、最後に着いたのが4歳の時の思い出でした。
僕が風邪をひいて唸っていたんです。そうしたら、仕事を終えて帰ってきた父親がね、「じゃあ、俺が熱を冷ましてやろう。」ってカバンから注射器出して打ってくれたんです。その途端に僕の体が痙攣し始めたんですよ。父親はもう焦ってしまって。僕の布団に入って来てね、「大丈夫だ、俺が着いているから大丈夫だ。しっかりしろ。」って励ましてくれたんです。大好きな父親のこの温もりと香りに抱かれて、このままずっとこうしていたいなぁって。
60歳になって思い出したんですよ。
しまった!と思いました。その時に、父親がずっと僕に伝えたかったことがようやく分かったんです。
俺が、俺がと人を踏み台にしても何とも思わないような、出世ばかりを考えている息子に対して非常に物足りなかったんだと思います。父親がやってきたことというのは、戦争で傷を負った方たちを無償で治療してきた人でした。沖縄の方たちや帰国した韓国の方を追って治療をやっていました。私利私欲を捨て、困っている人たちを無償で助けてきたんです。そんな彼の人生と僕の人生を並べてみたときに、一番足りなかったのはそこだなと思った時に、自分の心にぽっかり穴が開きました。そしたら、この父の体からね、僕に向かって何か熱いものがどーっと流れ込んできたんです。そして指先まで力がみなぎってきたんですよ。で、自分に乗り移ったものは何だと思った時に、魂という一言が出てきたんです。それを現代の医学で言えば遺伝子。DNA。僕がこの世に生まれた時から父の魂は既に僕の中で脈々と脈打っていたんですよ。それに気が付かなかった僕は、父親の声が聞こえなかった。そして、父親が伝えたかったことが何なのかといったら、その脳の束縛から一日も早く逃れて、魂の命の声を聴けということを僕に言いたかったんです。

だから今、僕は何にも束縛されることはないんです。全然頑張っていない。楽しんでいるだけ。魂の言われるままにね。魂がこれやれって言ったらそれをやり、体を動かしているだけです。

記者:素敵ですね。魂の命に従う人が増えたら、世の中変りそうですね。


魂の声を聴き、天命を知る

記者:最後に、読者のみなさんへメッセージをお願いします。

南雲:あなたと私の中には同じ遺伝子が流れていて、それを同胞と言います。その同胞を救うために自分が命をかける。そのために僕らには120年という命が与えられている。その人生のどこかで脳の束縛から逃れ、魂の声が聞こえるようになった時に自分の天命を知ることが出来ます。それを決して無駄にすることなく、毎日をこつこつ生きていけば自分達がこの世に生まれてきたその天命を達成することが出来ます。

記者:本日はとても素晴らしいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。


南雲医師の活動を知りたい方は
「命の食事」のHP
https://inochinoshokuji.or.jp/
をご覧下さい。


【編集後記】今回、インタビュアーを担当させていただきました吉村です。(写真:左から竹内・吉村・南雲・浅利・撮影西山)
わずか30分程で、事前にお伝えしていた5つの質問について物語のように思いを乗せながらさらさらとお答え下さり、インタビューアーの質問がなくなるという魔法にかけられたびっくりな事態がありました。その整理整頓された表現の美しさの背景には、熱さと冷静さと優しさを同量に持ちあわせており、率直で自身を省みる勇気ある生き方をされているからなんだと分かりました。その潔い行動力は、日本人の中にある侍のDNAが共鳴し、ファンが溢れる理由がここにあるのだと思います。今後のご活躍を期待すると共に、個人的な一人の人間としてお伝えするならば、イベントや講演会に足を運んで、是非、直接、南雲さんのエネルギーに触れて欲しいと思いました。


この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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