テキトーに生きるヒントをもらった話。

東京(郊外)生まれ(今もまだ)HIPHOP育ちは、山盛りの楽しいことや怖いこと、オカルトな噂や刺激的な甘い情報の中で思春期を過ごしてきた。

初めて触ったPCはTVゲームや文字で人と会話ができるちょっと不思議な箱だったのに、

気付いたら好きな曲や映像をいくらでも堪能できて、タバコの箱位の大きさにもなったそれは、気になることや知らない曲の答えをすぐに教えてくれて、暇な時は近くにある面白そうな場所や空間を示してくれて何なら話し相手になってくれて、あの人やこの人が今どこにいて何をしているのかも一瞬で知れる世界を見せてくれるようになった。次はどんな新大陸を発見するんだろう。

触れるものは、人が育つ環境となる。

環境が人を作るんだとしたら、私は幼少期、人の目が気になる人間関係の中で育った。家の中も外も、個人としての私を見てくれる人間は周りにいないと感じるきっかけがたくさんあったのか、いじめられっ子気質に加え非常に過敏で自意識過剰な大人になってしまった。

自意識過剰はうまく働けば自信や自己愛につながるけど、逆を行くと厄介なこじらせ野郎になる。未だに人と会う時、自分の一言がその相手にどう伝わったのか一日中悩んで頭の中をループすることが多々ある。Dillaもびっくりな脳内トラックメイカー(作曲の意)だと思う。


Dillaの功績に負けじと(失礼)迷作ネガティブループを脳内で量産した頭でっかちな20代中ば、自分とは真逆にゆるくて適当なアーティストの作品に出会った。S.L.A.C.K.という1つ年下のラッパーのアルバム、タイトルは「Whalabout」。

最近はドコモのCM楽曲が話題。

仲間とスケボーしたり、音楽を聴いたり、曲を作ったり、彼女とデートしたり。タイプの女の子を見てテンション上がって、友達のバカな話に笑って、好きな服着て遊んで。

そんなことを、押し付けるでもなく「俺はこんな感じだよ」ってメモみたいなラフな音楽だ。そのメモを発見してから、いつもiPodに入れて持ち歩いている。

好きなものは自分で選んで、それ以外に興味はない。

笑ってれば忘れてくこと、笑ってても思い出すこともある。

それでも自分は自分。適当にさ。

好きなものを好きということも、それを貫くことも、シンプルなようでいて難しい。日々少しずつ持って帰ってくる生傷に落ち込まないで、好きなことだけをニュースに取り上げて笑って過ごすのは体力がいる。体が消耗すれば、常在菌も悪さする。力まず適当に生きる強さは自分を支える知恵みたいなものかもしれない。

誰にでもあるような日常の断片を並べたS.L.A.C.K.の言葉は「テキトー」なんかじゃなくて、ものすごい速度で通り過ぎていく膨大な情報と、人の視線や言葉を気にし過ぎて疲弊していた私にとって、時々救いのような音楽に感じられる。

あ、もっと適当でいいのかも。

最近の作品もいいけど、その感想はまたいつか。

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