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ヴィシー留学記 1日目(2017.2.18)

日本から12時間かけて、フランスに着陸した。
街は朝だったが、夜のように真暗だった。

パリ市内に出ても街は濃い霧に覆れていて、先には何も見えなかった。
たまに見えるのは廃れた露店くらいだ。
これなら札幌の方がよほど豊かだと思った。

空港から駅まで送ってくれた佐渡さんは、フランスに住んでもう15年だという。かつては大学院でフランス文学を専攻していたそうだ。
「自分もフランス文学専攻です」と言うと、
「どんな本を読んでるんですか?」と佐渡さんが聞いてきた。
僕はしばらく考えて、
「自分を指導してくれている先生はカミュの専門家です」と言った。
すると「カミュは面白くない。あの作家に一生を捧げるのは厭ですね」と言ってきたので、少し面食らった。
「では、どんな作家が一生を捧げるに値すると思いますか」と聞くと、
彼はしばらくしてから「バルザックとか色々いるじゃないですか」と答えた。

佐渡さんは留学生の案内人にしてはかなりのインテリだった。
聞けば一日の大半の時間は読書をしているという。
物事を深く考え、あまり無駄な発言をしない人だった。
そんな彼が「札幌は一生暮らしたいと思う街ですか?」と窓から曇ったパリを眺めている僕に尋ねた。
「そうですね、少なくとも僕にとっては」
「・・・そうか、それなら良い街なんでしょうね」
「佐渡さんはもう日本に暮らしたいとは思わないのですか?」
「うん、少し息苦しいですから」

パリは相変わらず汚く廃れていた。
空気は日本の方が良いように思えた。
しかし、それでも佐渡さんにとっては、日本は息苦しい国なのだ。
佐渡さんはパリのベルシー駅まで僕を送ってくれた。
ここから目的地のヴィシーまではSNCFという国鉄で三時間かかる。

なぜフランスなんかに来たのだろう。
札幌よりも栄えてなく、言葉も通じない。
知り合いも誰もいない。全くの孤独だ。
そうまでして、フランスに何があるというのだろうか。
パリの暗さを見る限り、自分の未来は明るいとは思えなかった。
電車の中を見渡して、アジア系の顔が自分以外にいないことを確認すると、
倫敦での漱石の気持ちが多少なりとも理解できたような気がした。

電車は霧の中をひたすら走っていった。
1時間ほど走るとパリを抜けた。
そして、美しい田園風景が現れた。
それは秋の北海道に似ているように思えた。
草原の真ん中にぽつんと立つ木は美瑛を、
山間に生える白樺林は美深を思い出させた。
また、田舎の空には霧がなく、空は水彩で描いたように青かった。
陽光に薄枯の農地が輝き、風がたなびいていた。
遠くに見える町には白壁やレンガ造りの家屋が肩を寄せ合うように集まり、教会や古城もあった。
遠くからは鐘の音が何度か聞こえた。
僕は前日の疲れからか、少し車内で居眠りをした。

30分ほどで目を覚まし、トイレに行く際に乗客を観察すると、多くの人は分厚い本を熱心に読んでいた。
ノートに何かをメモしている人もいる。
空港やパリの市内にいた人とはどうやら違うようだ。
彼らは真面目で、礼儀正しいように見えた。
僕は日本のことを想った。
新幹線での日本人は携帯電話で遊んでいるか、酒を飲んで寝ている。
もしくはずっと職場や友人の愚痴を大声で話している。
パリを見てもフランスが日本よりも遅れていることは明らかだ。
でも、日本人は急ぎすぎて、何かを失ってしまったに違いない。

ヴィシーに着くと、学校のスタッフが僕を迎えに来ていた。
彼女はフランス語をはっきり、ゆっくりと話してくれたので、自分でも理解することができた。
自分のフランス語も問題なく、彼女に通じていた。
これまでの旅程で周りのフランス人が話すフランス語は何ひとつ理解できていなかったが、初めて言葉が通じたことに少し安心した。

滞在先の部屋は学校の横にあり、一人で暮らすには十分な広さだった。
部屋の設備も申し分ない。
キッチンには鍋や食器などが一通りそろっており、トイレとシャワーも別だった。
壁が黄色く、テーブルにタイルが敷かれているのが、フランスらしく綺麗だった。

ようやく目的地に着いた。
これから一か月間、この部屋で暮らしていく。

(traduit en français)

L'avion est arrivé 12heures après le départ du Japon. C'était tôt le matin, mais il faisait sombre dehors comme dans la nuit. Paris était pris dans le brouillard; je n'ai donc rien vu là-bas. 

Monsieur Sado qui m'a accompagné jusqu'à la gare Bercy habite en France pendant 15 ans. Il m'a dit qu'il avait étudié spécialement la littérature française. Je lui ai dit:《Je l'étudie aussi maintenant.》

 《Quels types de livres lisez-vous?》il m'a interrogé. 
《Mon professeur est spécialiste sur Albert Camus.》je lui ai répondu en pensant. 
《Je pense que l’œuvres de Camus ne sont pas intéressants. Je ne voudrais pas leur vouer ma vie.》il m'a dit.
《Alors, quels écrivains aimez-vou?》
《Par exemple, Honoré de Balzac.》

Avant arrivée à la gare, il m'a interrogé.
《Sapporo est une ville où tu voudrais habiter jusqu'à la mort?》
《Oui, je pense ça》
《D'accord, c'est une ville peut-être manifique》 
《Monsieur Sado, est-ce que vous n'habiterez pas au Japon?》
《Non, parce que Japon est suffocant pour moi》

Train est arriveé, et je l'ai quitté. Dans le train, Je m'a dit quelques choses. Pourquoi j'étais en Fance? Il n'y a personne que je connais. Est-ce qu'il y a quelque chose que j'espére en France?

Quand j'ai vu l'obscurité à Paris, j'ai cru que mon avenir n'aurrait pas clair. Dans le train, Asaitique était seulement moi, je crois.

Le train a couru dans le brouillard, et il a sorti de Paris dans 1heure. Puis la campagne est apparue. Elle semblait l'autumn d'Hokkaido. Le ciel était blue et dégagé. Il y avait des maisons blanches, des eglise, des chateau dans une ville que j'ai pu voir au loin. Je me suis un peu couché à cause de la fatigue.

À Vichy, une pesonne est venu me chercher. J'ai pu lui parlé en français parce qu'elle a parlé lentement et clairement. C'éait la première fois que Je me suis senti en sécurité pendant le voyage.

La chamble que je vais rester se trouve proche de l'école, et spacieuse assez pour vivre seul. Heureusement l'equipement est très bien.

J'y suis arrivè de justesse. J'y vis pendant un mois.

#日記 #フランス #留学 #ヴィシー