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タイのバスの話②

次に僕が乗ったバスはスコータイの旧市街から新市街に行くためのバスだった。これはいわゆるソンテウという形式の乗合バス。細かく説明するより、写真を見た方がわかりやすいと思うので、ご覧あれ。(自分では撮り忘れたので、他のサイトから拝借しました)

このソンテウはチェンマイにもあったが、田舎のスコータイではちょっと違うところがある。それは、運転手が街中を通る時に、いろんな人に声をかけていくところだ。おはよう。やあ、今日も暑いな。元気かい? 僕はタイ語が全くわからないので、想像に過ぎないのだが、たぶん彼はこんなことを言っていた。なかなか陽気な親父である。

ただ、ひとつ問題があるとすれば、挨拶をしている分、すごい遅いことだ。エンジンをふかしながら、亀のように進むソンテウ。スピードにしたら、自転車の方が早いくらいだ。しかも、何か知り合いから話があったりすると、途中で止まったりする。乗客が少なかったからかもしれないが、全然前に進まない。ただ、だからと言って、そんなことは彼にとっては問題ではない。なにせ、この国で時間は山ほどあるのだから。

道の途中で、運転手の親父はソンテウを突然止める。乗ってくる客などいないのに、と思ったら、影から中学生の男の子が出てきた。毎朝、親父はこの子を拾って、学校まで送るのかもしれない。後ろに乗り込もうとする子に対して、親父は助手席を指差す。男子学生は、無言で助手席に乗り込み、親父はガハハと笑う。学生はバスに乗ってから、ずっと携帯をいじっていた。親父は話しかけ続けるが、彼は頷くだけ。どこの国だって、学生はこんなものだし、親父はこんなものだろう。ただ、中年の僕には、二人の気持ちがどっちも手に取るようにわかる。これは国を問わず、素敵なことだと。

それから、しばらく走ると、道の反対側にブランド物の旅行バックを持ったタイ人の女性が二人立っていた。年齢でいうと、二人とも50代くらいだっただろうが、外国人の顔を年齢で判断するのは難しいから、確かなことは言えない。でも、ブランド物を持っているタイ人をスコータイで見たのは、この時が最初で最後だった。きっとバンコクに住むブルジョワだろう。そして、彼女たちを見つけた親父は、ソンテウのスピードを緩め、大声で話しかけ始めた。もちろん僕には内容はわからない。以下は僕の想像だ。

あんたら、どこへ行くんだ?バンコクに帰るところよ。バンコク、そりゃ、ずいぶん遠いな。どうやって帰るんだ?飛行機か?新市街から、バスに乗るわ。バスターミナルまで乗っけてってくれない?ターミナルか。ちょっと回り道だな。お願い、乗っけてってよ!仕方ねぇな、わかったよ。でも、ターミナルはこっちの方向だから、まずは道を渡ってこっちに来な。わかったわ、少し待って。車が多くて、怖いわ。そんなことない、渡るのなんて簡単さ。みんな、ふつうに渡ってるぜ。わかったわ、今渡るからもう少し待ってて。

実際はこんなに親父は毒づいてないかもしれない。でも、彼の口調はこんな感じだった。というよりも、彼と女性たちは実際には10分近く道路を挟んで言い争いをしていた。彼らの声は半分以上、通る車の音でかき消されるので、両者ともに声を張り上げていた。そして、最終的に二人の女性はバスに乗り込んできた。

このやり取りを見ていて、僕が驚いたのは、親父が道路の反対側の客にも声をかけ、10分近く話していたことだった。日本だったら、こんなことはありえない。バスの運転手は、時刻表通りに運行するために、困っている人がいても見て見ぬふりだろう。話し込むなんてしたら、走行妨害で罰金とか言われそうだ。でも、そういう規則は、時間通りに運行するという点で、日本ではとても重要だ。けれども、僕はこの時、この親父素敵じゃないか、と素直に感嘆してしまった。

そして、この親父だったら、僕の要求を聞いてくれるかもしれないという淡い期待が僕の心に浮かび上がった。それまでは、僕はいつものように決まった終点で降りて、そっからまた別の交通手段を利用しようと思ってたのだが、ここで少し勇気をだし、目的地の名前を大きな声で言ってみた。そうすると、彼はこちらを見ることもなく言った。OK。

このように目的地を告げたことはこの旅では大きなことだったのかもしれない。なにせ、僕は大型バスに乗っている時は、ただの観客だったのだ。

そして、僕はスムーズに目的地に着いた。ソンテウに乗っていたのは40分くらいだったが、料金は日本円で150円くらいだった。

僕は親父にthankyouと言った。親父はそんなの当たり前だと言うように、投げ捨てるように、thankyouと笑った。

#エッセイ #タイ #旅行記