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タイのバスの話①

僕はこのタイの旅でいくつかの種類のバスに乗った。だから、まずバスについて語りたいと思う。

もちろん、ほとんどの人はタイのバスに興味なんてないだろうし、興味どころか人生で一度もタイのバスに思いを巡らせることがないことも僕は知っている。でも、僕としては食べたものや遺跡の前に、バスについて書く必要がある気がした。だから、少しばかりバスについて筆を取ることにしよう。

まず、最初に乗ったバスはチェンマイからスコータイまでの長距離バスと言われるバスだった。このバスは日本では最近見かけない2階立てのバスで、僕はこの2階立てということだけで、子供のように心を躍らせた。

そして、僕はこのバスに6時間くらい乗った。6時間のバスと聞くと、多くの人は大変なように思うかもしれない。しかも、タイのバスと聞くと、満員電車のようにすし詰めにされる光景を想像する人もいるだろう。

ただ僕にとって、この移動はそれほど大変なものではなかった。ただひとつ、寒いということだけを除いて。

タイの外気温は35度以上だった。太陽の光は窓越しでもジリジリと僕の皮膚を焼いているようだった。ただ、その暑さをはねつけるような強力な冷房がバスの車内にはかかっていた。

たぶん、車内は20度以下だったんじゃないかと思う。僕はバックから洋服を引っ張り出して重ね着をし、その極寒地獄を耐え抜いた。そして、そんな僕の姿は異様だった。

車内で重ね着をして、寒さに耐えている人間など僕一人だった。外国人たちはTシャツに短パンといった姿で平気な顔をしていた。まるで、僕だけが氷河期に間違って生まれた現代人のようだ。彼らはそのたくましい皮膚を露わにし、寒いという素振りは微塵も見せない。その姿を見たときに、僕は自分が軟弱な男だということに改めて気がついた。そう、僕は軟弱だったのだ。残念なことに、それは演繹的に証明された事実だった。

ただ、その原因は日本人というナショナリティに由来するところが大きい。必ずしも、僕個人の問題と断定することはできない。でも、考えてみれば、僕は日本人の中ですら、繊細すぎるとか線が細いとかよく言われてきた。いずれにせよ、この場で紛争が起こったら、僕は真っ先に被害者となる人間だろう。

軟弱ということだけならまだ良いが、このバスではそれ以外の僕の弱さも露呈することになった。それは目的地である、スコータイの旧市街に着く頃だった。スコータイという街は遺跡がある旧市街と、街が栄えている(栄えていると言っても田舎なのだが)新市街に分けられる。バスによっては旧市街を通らないバスもあるので、僕は事前に旧市街を通るかどうかを確認しておいた。そして、目的地に近づくとGoogle Mapを開き、一歩一歩近づいていく様子を確かめていた。

しかし、肝心の旧市街に入っても、バスは一向に止まる気配がない。そして、どこで止まるのだろうとキョロキョロしているうちに、バスは旧市街を出てしまいそうになった。僕はこのとき、思った。ああ、旧市街にこのバスは止まらないんだ。仕方ない。新市街に行って、またタクシーに乗って、旧市街に戻ろう。僕はそう覚悟を静かに決めたのだ。

けれども、ここで2、3人の中国人が声を上げた。ここはスコータイじゃないの?止めてくれよ!って。彼らが喋った英語はいたってシンプルなものだった。ストップ!ストップ!

そして、バスはすぐさま止まった。僕は中国人が話している間、一言も喋らずに、その顛末を見守っていた。そして、彼らが降りるのに便乗し、あたかも中国人の顔をして、そのバスを旧市街の外れで降りた。

僕はこの時、改めて知ったのだ。バスはバス停以外にも止まれるということを。

もちろん、物理的にエンジンを切れば、バスはどこだって止まれるということは頭ではわかっている。でも、日本では基本的にバスはバス停以外では止まらない。それが日本という国だ。そして、それを無言で受け入れてた僕は極めて典型的な日本人なのだ。

軟弱さ以外の僕の弱さ、それにあえて名前をつけて、自己認識などしたくもない。しかし、バスというものがこんなに僕に反省をもたらす乗り物だったなんて、僕はこの旅で初めて知ったのだった。

#エッセイ #タイ #旅行記