象徴的日記 2017.06.14

「幸い命に別状はありません。数か月で回復できるでしょう」とドクターは言った。戦場で銃弾が貫通した彼の下腹部からは、意識が遠のくほどの出血があったが、確かに致命傷は避けていたようだった。そして、ドクターの言うとおり、彼の体は時間と共に回復した。しかし、傷口は塞がっても、歩いて足を地面に付けるたびに、腰のあたりから、鈍い無音の痛みが全身に反響する。もう元のようには歩けないだろう。すると、彼は徐々に色々なことが億劫になり、心は塞ぎ、窒息していった。今の生活の場所は、主にベッドだった。

彼はいつも布にくるまりながら、大きな体を胎児のように丸めていた。窓からは朝の穏やかな陽が差し込み、壁の白さの彩度を挙げている。鳥が時たま鳴いているのが聞こえる。が、何の種類の鳥かはわからない。数人の大工たちが柱の位置について話し合っている。しかし、そんなことはどうでも良いことだ。彼の頭を四六時中捉えて離さないのは、数か月前に出向いた戦場のことであった。

自分は勇み足で戦場に赴いた。しかし、急に撃たれた。撃ったのは少年、もしくは少女のような朝鮮兵だった。自分もすぐさま撃ち返した。相手がどさりと倒れこむのがわかった。しかし、そこで意識は途切れ、気づいたらぼろ屑のようになっていた。

彼は一日に何度もため息をつくが、その後には決まって必ず、どうして助かってしまったのだろうと嘆いてしまう。ドクターは「幸い」と言ったが、本当にそれは「幸い」なことだったのか。傷のことですべてが億劫になり、ベッドの上で死にいたるまでの時間をやり過ごすだけだ。自分は本当に生きているのだろうか、と彼は思った。

無為の時間が山ほど過ぎていく。どれくらい?それはわからないし、問題ではない。気が付くと、彼の足は極端に細くなっていた。人間は歩けなくなるとダメだというが、今の彼にとっては、トイレに行くのも一苦労だった。明確な強い意志を持たなければ、自分の生理欲求を満たすのさえ、億劫だ。

そんな彼が時々、とりわけ美しい月を窓から見つけたときに、心から願うのは、死ぬまでに一度でいいから、雪が見たいということだった。どろどろに汚れた路上の雪ではない。限りなく透き通る白く美しい本物の雪だ。たとえば、(彼は本でしか読んだことがないのだが)ユキヒョウも辿り着くことができない、キリマンジャロの頂上にある雪。こんな足と心では絶対にたどり着けないだろうが、死ぬまでにそれを見ることができれば、全てが忘れられて、無に還ることができるような気がする。淡い夢物語に過ぎないが、このロマンだけが現実の痛みを忘れさせる彼の唯一の薬であった。