北大祭⑤

 「小松さんもトランプしませんか?」

僕が席について、しばらくすると、僕との会話の糸口をどうしても見いだせなかった野球部が僕を誘った。
『せっかく朝から来たのに、トランプ?』
仕事をする気で来た僕は出鼻をくじかれて、少しむっとしたが、彼の言葉の気怠さから12年前の若かりし学生時代がフラッシュバックした。
『あぁ、そうだ、学生といえばトランプだった!そう、この空気・・・せっかく早起きしてシフトに来たのに、仕事なんか一切せずにトランプをやる。この不条理こそが学生だった!』
こう思った僕は回心したパウロのように態度を一変させて、「よし、やろう。」となぜか腕まくりをした。そんな様子を見て、となりの女子が僕に言った。
「ちなみに罰ゲームありますからね。」
彼女の笑顔は見習い魔女のように微量の悪徳を含んでいる。
「罰ゲーム?」
「聞かれたことはなんでも答える。それが罰です。」
「ほう。」僕はじじいのように顎に手をやった。“老後なう”である。「たとえば?」
「う~ん、過去の恋愛のこととか。私たちはもう一晩やってたんで、結構さらけ出しちゃいましたよ。」
僕は手をそのままに鼻でふっと笑った。
『高校生の恋愛の話なんて、全く罪がないじゃないか。そんなものが罰?』
僕は俄然乗り気になってきた。
「いいよ。秘密なんて一切ないから、なんでも聞いて。」
僕は両手を広げて、いくぶんオーバーなジェスチャーをした。嘘をついていたのを隠すためだ。そう、本当の僕は秘密だらけだ。ほとんど何も言いたくない。けれど、彼らを満足させるレベルのことなら、きっと秘密とは言えない。

 トランプが始まった。第一ゲーム。僕はあっさりと敗北した。その負け方が運命的だったから、僕は少し神様にもて遊ばれている気になった。
負けた瞬間、「まじか~。」と言った僕を、罠にかかった獲物を見るような目で若者たちがニヤニヤと見つめていた。すると、野球部が少し胸を張って、「では。」と咳払いをして切り出した。「軽いのから聞かせていただきます。」となぜか大人びた口調になっている。たかが罰ゲームの質問をするだけなのに、大演説でも始めるかのような言いまわしだ。しかし、「どうぞ。」と言う僕もなぜか彼の口調に合わせている。「なんでも聞いてください。」

「では・・・好きな女性のタイプを。」

 言い終えると、野球部は『まぁ、軽いだろう?』と周りの友人に目配せをした。一息ついて腕組みまで始めている。太い二の腕が一層膨らんで、ジャージがパンパンに張っていた。周りの友人たちは彼に対して『うん、まずは常套手段だ。』と目で納得の合図をする。上司のプレゼンを目で応援するのが仕事と心得る若手社員のようである。そして、何を言うかと少し身を乗り出して、唾をごくりと飲もうとしたその刹那、否、唾すらも分泌される前に、あまりにも彼らの予想よりも早く、僕は好きな女優の名前を即答した。

 彼らにしてみれば、僕が「う~ん。」とか「えっ~。」とか言って、頭を抱えて悩み、言うべきか言わないべきか思案する内に、「早く言ってくださいよ~。」とか「秘密はないって言ったじゃないですかぁ。」と言って楽しむのを期待していただろうが、あまりに僕が即答したために、その楽しみの時間が取り上げられてしまった。それに面食らった野球部はもったいぶって質問した割には、「へぇ、そうですか。」と言って、少しのけぞった。それから聞こえるか聞こえないかくらいの声で「あぁ、やっぱり違うんだ。」と言った。違うのは女の好みか?年齢か?後から考察すると、それは非常に興味深い一言であった。

 それから僕の女の好みに関する話は一向に盛り上がらなかった。他の若者たちも「あぁ。」とか「おぉ。」とか「まぁ。」とか言っているだけだった。僕としてはせっかく好きな女優の名前を言ったのだから、少しはいじってもらいたいのだが、何も来ないために、なんだか正直に言ったことを損した気分だった。そして、数分前に「秘密なんて一切ないから、なんでも聞いて。」と言った自分が恥ずかしく思えてきた。
『あの時、俺は自分の秘密に少しでも価値があると思っていたから、あんなキザな言葉を吐いてしまったんだ。それに、俺はみんなが多少なりとも自分に興味を持っていると錯覚していた。だからサービス精神旺盛に、恥じらいを一切出すことなく、好きな女優の名前をあっさりと口にしてしまった。しかし、それがどうだ、この反応は!誰も俺の秘密なんて興味がないじゃないか。あぁ、恥ずかしい。まったく自意識過剰だ。苦々しい。』

 そして、僕に後悔を挽回するチャンスはもう二度と回ってこなかった。僕はもうそれから彼らには負けなかったのだ。

 すると、一晩、同じゲームをやっていた彼らからは、さすがに気怠い空気が流れ始めた。そんな折、ようやく朝のシフトメンバーが到着し始めた。彼らがそろったのは集合時間よりも20分ほど過ぎてのことだった。誰も「遅い!」とも「遅れてすみません。」とも言わなかった。僕はそんな彼らの様子を傍から見ていて、『あぁ、やっぱり学生は自由だ!俺はやっぱり汚れていたんだ!』と馬鹿らしい衝撃を受けた。

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北大祭の物語は諸々の事情があり、ここで中絶します。
申し訳ありません。

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