北大祭②

 僕のクラスは北大祭で塩焼きそばを売ることになった。実行委員の人がチョコバナナとか焼き鳥とか色々な案を出して、ネットに簡単な投票フォームが作られた。そこでは別のアイディアを提案することもできた。ネットという技術を使ってはいるが、基本的な手法は古代ギリシアのアテネのような理想的な民主主義である。最後にはアゴラのようなクラス会も開かれた。そこで塩焼きそばは反対意見もなく、議会は一つの紛糾もまみえず、全会一致で決定された。…と想像する。

 というのも、当然、僕はクラス会には参加していないのだ。クラスと僕の唯一の架け橋であるTは「小松さん、来てくださいよ~。」と僕にクラス会の参加を頼んできたが、「いや、仕事が忙しくてさ。」と僕はあっさり断った。もちろん嘘である。仕事はその日はなかった。大勢の人と関わるのが面倒くさい僕は帰って安らかな昼寝についただけだった。

 北大祭の準備はその後、実行委員のメンバーを中心に着々と進められていった。5月の半ば、そう、それは僕がTにシラカボを渡したくらいの時期だった。準備にいたっては僕は何も手伝わなかった。僕はそれまで入学以来クラスの集まりには一個も参加していなかった。スポーツ大会も、クラス会も、集合写真の撮影も何もかも。だから、クラスの中でも「小松さんは手伝わないだろうな。」というのは暗黙の了解になっていただろう。それに関する陰口も僕に届かなかったし、おそらく陰口にすらしないレベルのことだったので、僕は北大祭もいつものように不参加を決め込もうと思っていた。一切関わらず、それこそ祭りの間は図書館に籠って集中的に読書ができるぞ、と考えていたくらいだった。

 しかし、そんな僕の心にささやかな波風を立てたのが、またしてもシラカボである。こうして見ると、美深の紳士の先見の明には感服せざるをえない。これほどまでに人間関係に影響を与える菓子など、古今東西の小説を見ても、出会ったことがない。それを見越して、シラカボを僕に託した彼はある種、預言者なのかもしれない。

 なお、先日も少し書いたように、Tに渡したシラカボはクラスのメンバーに渡ることになった。そして、それはおそらく北大祭の準備をしている現場に差し入れられたのだった。メンバーから僕の元に次々とお礼のメッセージが届いたが、ちょうどその時期は僕が若者との接し方を改めようとしていた時だった。そんな折に丁寧なお礼が来たものだから、僕の若者たちに抱く固定概念は氷山にぶつかったタイタニックのようにぶっ壊れた。若者たちの側にしても、シラカボが僕との初めての接点だった。彼らはきっとこう思っただろう。「小松さんという人は見た目も雰囲気もずいぶん変わっているし、協力的ではないけれど、悪い人じゃないかもしれない。だって、こんなにおいしいお菓子をくれるんだから!」それ以来、若者たちの中で、僕を見ると遠くから会釈をしたり、手をあげたりする者が出てきた。僕は気づかないふりをしたこともままあるが、気分が良い時には会釈を返すなど、最低限の礼節を怠らないよう心掛けた。

 またTはしばしば「クラスの中で小松さんと話したがっている人がいますよ。」と僕にほのめかしてきた。僕は嬉しいやら、悩ましいやら、複雑な気持ちだった。「なんで?」僕は少し前のめりになって聞いた。「いや、みんな、小松さんの話を聞いてみたいそうで。経験とか豊富そうじゃないですか。」Tがそう言うと、いったい何の経験を彼らは聞きたいのだろうと、僕はまたくだらないことを思いついた。「…でも、T君、そんなこと言われても、俺は落語家じゃないから、面白い話なんか何もないし、ましてやためになる話なんか期待されても困るよ。」僕は真面目な方向に思考を引きもどした。「いや、それでも、みんなずいぶんと小松さんに興味を持ってますよ。」Tはいつものように、にやりと笑ってそう言った。「そっか。ま、機会があったらいつでも話かけてきてくれて構わないんだけどな。こちらからは行かないけど、来るものは拒まずだから。」僕はTと目を合わさず、若干キザな感じで言葉を投げ捨てた。

 こうして僕とクラスの間には少しずつ近づく空気が醸成されていった。

 そして、ある日、クラスの実行委員から僕の元にLINEが入った。Nさんという女子であり、彼女は実行委員の中でもリーダーを務めていた。僕はNさんのことを実際に知っていた。彼女も日本文学の授業を取っているからだ。Nさんは背が高く、手足もすらっとしていて、とてもスマートに見える女性だった。いつも髪を後ろで一本にまとめ、切れ長の目の上にこれまた横に細長い型のメガネをかけているせいか、一見、きつく見えのだが、声や言葉づかいの端々からは幼さが感じられ、僕は彼女に悪い印象は持っていなかった。僕は彼女を見るたびに将来、女性管理職になりそうだな、と要らぬ妄想を膨らませていたくらいである。

 ある日、そんな彼女から僕のLINEに連絡が入った。恐る恐るメッセージを見てみると、礼儀正しい文章が書かれていた。「こんばんは。突然の連絡すみません。一応、全員に聞いているのですが、小松さんは北大祭のシフトに入れますか?入れるのであれば、可能な日時を教えてもらえると助かります。」

 僕はしばらく考え、当初のように今回のクラスイベントも不参加にしようと思ったが、”無礼をしてはいけない”というマイルールのために、またシラカボが少しずつ醸し出した仲良くなる空気のために、「実行委員お疲れ様です。夜は起きてられないので勘弁ですが、朝と日中に関しては手伝えますので、適当に入れてもらって構いません。」と返した。返してしまった。

 そして、そのシフトは北大祭の1週間ほど前に発表された。確認すると、僕は4日中3日シフトに組み込まれていた。おう、なかなかだ。僕はごくりと唾を飲んだ。しかし、よく見てみると他の人が一日6~8時間組み込まれているのに対し、僕は毎日2時間だけだった。しかも、ほぼTと同じ時間帯である。僕は実行委員の人に逆に気を遣わせてしまったことに気が付いた。彼らはきっと「小松さん、やるって言ってるけど、どうする?あんまり働かすわけにもいかないし、逆に全く入れないってわけにもいかないよね。っていうか、誰もほとんど話したことないんだけど、大丈夫?…う~ん、とりあえずT君に任せようよ。それしかないよ。」と思っただろうと、僕はいつもの被害妄想を膨らませた。そして、手伝うのに、非常に悪いことをした気分になった。

 僕は何度かいっそのこと、「やっぱり手伝えなくなりました。すいません。」と言って、全て放棄しようかと考えた。大体において、僕の人との接し方はいつもこうである。近づけるかと思って、少し近づいてみたら、やっぱり恐いとなって、後ろ向きで逃げる。冷や水を浴びせるような、きつい一言で、すぱっと関係を断つのだ。非常に悪い癖である。無論、そこに至るまで自分の中では無数の思考が重ねられるが、相手にしたらそんなことは知ったことではない。意味不明だ。敏感な人であれば、傷つくことだってしばしばある。僕はそんないつも通りの罪を犯そうか、犯さまいか、ぎりぎりと舌なめずりしたが、”無礼をしてはいけない”というルールによって、ここでも一線を超えることを踏みとどまることができた。

 そして結果として、僕は初めてクラスのイベントに参加することになった。僕はもう自分の中で覚悟を決めるしかないと思った。もう運命に身をまかせよう。僕はシフトが決まってからの一週間、これから戦場に出向く兵士のように、目の前に広がる荒野を見定めたいた。