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ひろゆきの問題提起と日本を蝕む分断工作


皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。

もう先々週になるでしょうか?

“ひろゆき”こと西村博之さんのあるツイートがきっかけで、最近話題に登らなくなっていた沖縄の基地問題にふたたびスポットライトが当たることとなりました。

それも、これまでマスゴミが報じてこなかった、基地反対運動の実態について、広く世間に知らしめることになりました。

ひろゆきさんのツイート効果


実はこの基地反対運動問題、様々な保守側の人がこれまで何度も実態を発信してきたにも関わらず、世間一般に関心が拡まることはありませんでした。(YouTubeの関連動画の再生回数を見ても、1桁〜2桁数字が違うのが実情です。)

ところが、ひろゆきさんの写真付きのたった一言のツイートが、多くの人の関心を引き付けるきっかけとなりました。

結局、発信力のある人が発信しないと人々に対する訴求力が無い事が証明されてしまった様なものですね…とほほ(脱力)。

経緯を知らない方は、ひろゆきさんの動画をご覧いただけると良いかと思います。この記事の最後にリンクを貼っておきますね。



さて、ひろゆきさんのツイートは沖縄の基地反対運動に関するものでしたが、

この基地反対運動の裏には某国の日本の分断工作も見え隠れしています。
この分断工作の対象になっているのは、沖縄の基地問題だけではありません。

例えば、ひろゆきさんのツイートでは触れられていませんでしたが、

コロナ禍前、沖縄の基地反対運動ではハングルの看板や垂れ幕が数多く使われていることが、沖縄の基地問題を発信しているチャンネルの動画から分かっています。

そしてその顔ぶれの中に、愛知トリエンナーレなど表現の不自由展の広報・活動や、慰安婦問題で活動をしている顔ぶれがあることが、確認されているそうです。

それは、北海道のアイヌ問題にも。

この様に他国の日本に対する「一見、親切や人権活動を装った分断工作(浸透工作の場合も)」は、

組織や地域によっては、アーティストの長渕剛さんの訴えでは無いけれど、分断どころか浸透工作が功を奏して乗っ取られつつある場所も…。▶︎サイレント・インベージョン(静かなる侵略)はすでに日本の中で進行しているのです。

そうした動きに、まんまと巻き込まれ無い様にして、日本を守る為には、何が必要なのでしょうか?


分断工作に乗せられている日本国民


日本国民がマトリックスの世界から抜け出すには、実態を発信している情報に接することが大事なことは言うまでもありません。

けれども、その実態に対する情報に接したときに
「特定の勢力に対する感情的反応をしない」ことと、
「イデオロギーに縛られずに、フラットで公平な見方」
をすることが求められているわけです。


ところが昨今の日本のネット社会では、これが非常に難しい。

中立・中庸であることが、双方から「おまえは甘い」「どっちの味方なんだ」と突っ込まれ、逆に批判されてしまうことが多い…それがネットの現状です。

でもそれは日本を貶めようとか、侵略しようとしている国家や組織からの分断工作に乗せられてしまっているのも同然なのですけどね。

行き過ぎた批判や悪口は呪いの言葉に変わる


例えば「皇室」の問題。

関心がある人の場合は某宮家のことに
目が向きがちで、そこだけにスポットライトを当ててしまうと、結局、良くも悪くも特定の見方や感情に支配されがちになります。

ハッキリ書いちゃいますが、
御長男派も御次男派も相手陣営に対する批判や苦言は良いのだけれど「○ねば良いのに」とか「消えてください」などと相手を呪う様な発言をするのはポリコレ以前の問題として、人として駄目でしょう。

それは民主主義の在り方からは逸脱しているし、何より「人を呪わば、穴二つ」「因果応報」と昔から言うではありませんか?

メディア側が言論統制すると言うのは、沸騰するヤカンに無理矢理蓋をする様なものなので悪手だとは思うのですが、

さりとて国民目線で見たときに、怒りを産むような出来事しか起きない、潮目が変わらないと言うのは、ある意味ブーメラン現象が起きているのかも知れませんよ?

怒りを口にしなくても、心がそこに囚われているのなら、結局は同じことです。

納得できない人は、長い記事で恐縮ですが「経過報告①〜④(全て無料公開)をお読み下さいね。(最後にリンクを貼っておきます。)



皇室の問題の解決に対しては、関心は持たなければなりませんが、こだわりは時として人の目を曇らせます。


前回記事で紹介したむすび大学の動画で、講師役を務めている石川真理子氏が、

「上皇陛下、今上陛下、秋篠宮さまの3人で相談されていて、今上陛下には何かお考えがあるのではないか?」

と話されていましたが、もしそのお考えがあったとしても、それを実現するには恐らく世論の後押しと、政権からの協力が必要になるはず。


と言うか筆者は個人的には、動画のタイトルにもある「明治政府による神仏分離令」が施行されたりし無ければ、今頃は、秋篠宮家が抱えている問題は恐らく起きていなかったのではないかと思っています。と言うより、そもそも宮家そのものが存在していなかった可能性もありますね。

そして恐らく将来的には、もし陛下に何かお考えがあるのであれば、それは今起きている問題の収拾を図る際に、落とし所として機能する為に実行される可能性も秘めているのかも知れません。


(日本は民主主義国家なので)様々な意見を持つ人がその意見を主張し議論するのは良いのですが、
だからと言って自分の意見と違う意見を持つ人や、批判の対象の人物を呪っているかの様な発言をするのは違います。

何故ならその延長線上に、安倍元総理暗殺事件のようなことがあるのですから。

それは民主主義的な在り方からは逸脱しています。


分断工作と言うのは「怒りを生ませる」ことから始まります。意見の違う陣営双方にわざわざ「怒りの感情を煽るようなこと」を仕掛けて分断させるのです。

最初は保守vs左派の構図でしたが、最近は
保守分裂・左派分裂を誘うような主張をネットのあちこちで見かけるようになりました。

分裂すればするほど、細分化すればするほど、日本国民の結束が緩み防御力が弱まるので、日本を侵略したい側からすると実現のハードルが低くなるってこと、覚えておいてください。

皇室の問題についても、今上陛下に何かお考えがあったのだとしても、肝心な皇室に対する世論が分断されていたら、元も子もないですからね。

仏教における慈悲という考え方


有料記事の方では何度か書いているのですが、ホロスコープ上では、皇室は日本の情勢を映す鏡のような存在となっていますので、
皇室の状態が良くならなければ、日本の状態も良くなりません。

表現を変えるなら、ホロスコープ上では
「皇室の問題に意見出来ない、解決の為に手を出せない」と言うことは、
「日本の問題に意見出来ない、解決の為に手を出せない」と言っているのと同じだと言うことです。

憲法上でも日本は象徴天皇制で、天皇(と皇室)は国民の総意に基く存在と規定されていますので、憲法上はほぼほぼ、それが裏付けられている状態…と言うことが出来るのではないでしょうか。


分断工作から沖縄を始めとする日本や皇室を守るには、日本(の国益)や日本国民を貶める様なことをする人たちに対して、

怒りに任せた判断や言動を取るのではなく、「慈悲の心」を持って対応することも必要なんですね。

(言葉が通じる相手では無いから仕方ないと怒りを正当化するのではなく、そう言う場合は相手に対して「憐れみ」の心を持って対応すれば良いのです。

仏教用語としての「慈悲」は
「慈」は不幸を無くすこと
「悲」は幸福を与えること
という意味で使われているのだそうです。

例えばの話、
職場で部下に辛くあたる上司がいたとします。それでとても傷付いていた部下がいたけれど、調べてみたら、その上司は実は家庭問題で非常に悩んでいた…なんてのはよくある話では無いでしょうか?

つまりこのケースの場合、
上司を責めたり批判しても、問題は解決出来ません。

問題を解決▶︎即ち部下がこれ以上傷付かないようにする為には、

上司の家庭問題を改善もしくは解決して、
この上司が家庭問題でのフラストレーションを、部下に当たり散らすことで解消しなくても良い状態を作る必要がある、と言うことになります。

要するにこれが仏教で言うところの「慈悲」の心を持って接すると言うことですね。)

観世音菩薩かんぜおんぼさつ
慈悲じひ救済くさいを特色とした菩薩の名。
現存サンスクリット原典に拠れば、サンスクリット語名はAvalokitesvara(観察することに自在なの意)。
<観音菩薩>とも。
以上、仏教ウェブ講座より引用


アンガーコントロールが必要な時代


以前にも書いたことがあるのですが、
例え正義感から出たものであったとしても、相手を裁いて罰するような言動をすれば、自分もまた誰かから裁いて罰されることになります。(因果応報、ブーメラン効果)

欠点の無い完全無欠な人間など、この世に存在しないのですから。

繰り返しになりますが、
納得できない人は、長い記事なので恐縮なのですが「経過報告①〜④(全て無料公開)をお読みになってみて下さいね。

そしてアンガーコントロール(怒りの感情を制御し、建設的な行動に繋げる)の為に、役立てていただければ幸いです。


このアンガーコントロールが出来ず、度を越した(反日教育などの)日本を貶める行為を続けてきた隣国-特に半島の南側は前大統領政権の後半以来、国内が混乱するばかりでその状態から回復出来ていないようですし、

沖縄の反基地運動をやっている活動家の実態は、ひろゆき氏によって広く晒されることとなりました。

これだけ見れば、現状、ブーメランは正しい場所に戻っていると言えますよね。

あとは彼らがブーメランをこちらに投げ続けてきたのと同じ期間、彼らがブーメランを受け続けるのか否か?と言ったところでしょうか。

勿論、彼ら自身がそのことに気付き、気持ちを入れ替え、言動を変えれば、状況は徐々に好転して行くのでしょうけれど。

翻って日本ですが、こう言う時ほど日本を国として立ち直らせるチャンスなのに、政治の方が…あんたら売国奴か?状態になりつつありますね。

それもこれも「国民が政治(社会の問題)に関心を持って来なかったから」なんですね。

今はどうか分からないけれど、昔は選挙になると、投票する議員なり投票する政党を会社が指定して社員に投票させるのは当たり前でした。…それは会社が発展すれば社員にとっても利益になると言う考えからだったかもしれないけれど、

結果として「会社で真面目に働いて稼いでいれば良い。政治とか余計なことは考えず、利益を上げることに集中しろ」と言う雰囲気を日本社会の中に醸成したのでしょう。

また社会の風潮として「政治(社会の問題)に関心を持つ奴は危険な奴」と言う考えを(どこの国とは言わないけれど)日本人に植え付ける為、企業や教育の場を始めとしてさまざまな場面で水面下で日本人に刷り込む工作をしてきた勢力もいて、それが功を奏しているのでしょう。


Love & Peaceをもう一度


事実を情報として受け取り、内容を様々な立場の視点から理解し共有して、問題の解決にあたるのと、
事実か否かではなく、感情的に情報の内容を受け取り、怒りの感情に任せて言動をとるのは違います。

後者は全く何の役にも立たないばかりか、有害ですらあります。


怒りの感情を煽るような事件やニュース、情報が溢れている今の時代だからこそ、そこに巻き込まれ無いようにする為に
「平常心・公平さ・中立/中庸」が大事なのではないでしょうか。


情報ソースももはや新聞やテレビ・ラジオに頼れる時代では無くなっています。(ただし地域によっては、まだローカル局が本来の報道力を発揮できている場所もあります。)


(問題の対象の)国が違うから…は言い訳になりませんね。
イエス・キリストが説いたという
「汝の隣人を愛せよ」の言葉。

口語訳では
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛しなさい」
になるのだそうですが、この隣人という言葉、実は敵対しあっている相手のことを指しているのだ、と言う話を聞いたことがあります。

仏教では、(キリスト教のこのような)“博愛・無償の愛”は理想ではあるけれど、現実的に実践するのは難しいと考えて「施し▶︎慈悲の心を持って相手に施す」と言う概念が生まれた、と言うこともその時に知りました。)

ジョン・レノンとオノ・ヨーコが発信していた
“Love & peace ”のメッセージは、ある意味ファッション的に使い古され、単なる「反戦運動」ではなく、左翼活動家に政治的に利用されてしまった側面もあるのかも知れないけれど、
この標語自体は、案外深い所で本質を突いたキャッチフレーズだったのかも知れませんね。



最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

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経過報告②

経過報告③

経過報告④

英国王室と日本の政権②


【ひろゆきさんの動画】

【切り抜き(上の動画の当該部分を10分程度の長さで幾つかに分けた)動画】になります。

① https://youtu.be/LPSKBJqDPnw

② https://youtu.be/ucjCf4is67w

③ https://youtu.be/ucjCf4is67w

④   https://youtu.be/gRaswcMfA_M

⑤   https://youtu.be/nE48a6jyifM

⑥  https://youtu.be/zt7gcbASxPE

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