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独断と偏見による私のHERMESの歴史

今から20年くらい前になるが私はHERMESフリークだった。 

とにかくHERMESだと思ったら手当たり次第買った。 

私のまさにゴールデンエイジである。 

確かに何もかも高かったが今のような法外な値段ではなかった。 

そして、
その当時まだHERMESにはホームページがなかった。 

当時私はWeb デザイナーをしていた。 

そこで自分の好きなHERMESのサイトを立ち上げたのだった。
自分のドメインも取得し、情報発信サイトとしてスタートした。 

今から20数年前のことである。 

当時はHERMES自体、まだ限られた一部の方のものだった。私のサイトにその当時世界に散らばっていたHERMES好きのHERMESフリークのセレブの方々が私のサイトに出入りするようになり、かなり反響をよんだ。 

当時の私のサイト名。
それは『比呂林(ひろりん)の部屋』
hirolin.com
だった。 

覚えてくれている人がいたら、ありがたい。 

当時、たとえば、今パリでは来週からソルド(セール)が始まるとか、ロンドンでは今こういうものが流行っているとか、ニューヨーク🗽でも来週からセールとか様々な都市に住む現地の日本人セレブたちが挙って情報提供してくれた。 

そこで私は、その方々の情報をわたくしの所だけで留めておくのは勿体ないと思い、自身のサイト内に本人たちの了解をとり『Readers Square/読者の広場』と題し、世界のHERMESショップの情報をみなさんに紹介した。 

その後HERMESページはどんどん拡大し、皮素材のお見本と題してわたくしの独断と偏見に満ちた説明や年二回東京と大阪のホテルで開かれる春夏コレクションや秋冬物コレクションの紹介を私なりに分析し評論、レポートとして読者に紹介した。 

するとたちまちHERMESフリークやファッション雑誌の編集者も覗いてくれるようになり、サロンと題した会員制の掲示板をも作った。 

たちまち、サロンでは色々なHERMES情報が飛び交い、どのファッション雑誌よりもわたくしの運営するサイトのHERMES情報が早かった。 

時折、ありがたいことに公式サイトですか?などと言われ、嬉しかったことを思い出す。 

そのご縁でVOGUE JAPANよりオファーがあり、私のためにページ見開き2枚で掲載というお話も頂いたが、明日あさって東京に行くという段になって突然のキャンセル。 

その前に私の持っているバッグや靴、小物に至るものまで全部東京に送っていたのだが、おそらくそれらは絵にならなかったからとりさげられたのだろうと今は推測している。 

その後編集長から自筆の手紙と花束が送られてきた。 

そして、私の代わりにページを飾ったのがその当時のモックンの奥さん内田 也哉子にとって代わった。 

今思えば、それでよかったと思う。 

ただその時、私が学習したことは別に都会に住んでいなくても、地方に住んでいようと一生懸命やったら、認められるんだということ。 

それまで自身に全く自信のなかった私だったが、少しだけ自分を認められるようになったということ。 

その当時私のサイトはページ数100ページを越えていて、昔の某パソコン雑誌で比呂林(当時私が使っていたハンドル名)さんのサイトは迷宮サイトと言われていた。 

企画、構成、画像その他の編集を全て一人で制作していたため、たまたまHERMESのファッションショーで出会った当時大阪TAKASHIMAYAのホームページを制作している会社の社長に一体『比呂林』さんのサイトは何人でつくられているんですか?と聞かれて一人ですと答えるとあなたの作るページのツリー(構成)がいいと言われて嬉しかった記憶が今も残る。 

さて、閑話休題。 

年二回のファッションショーは関西では梅田ヒルトンか中之島のロイヤルホテルかのいずれかで催され、その当時は今から30年前のことはだが、大ホールのフロアーには6~8人が座れる円卓が用意され、ショーが始まる前にクッキーやお菓子、珈琲、紅茶が振る舞われ、歓談を楽しんだ後ショーが始まり、ヒルトンやロイヤルホテルの中にHERMESショップが併設してあったので下のお店でお買い物というだんどりだった。
その後、また形態が変わり会場で予約販売ということもあり、ゆっくり観賞できたのは遠い昔のこと。 

それから今から20年ほど前に空前のHERMESブームが始まり、猫もひゃくしもHERMES、HERMES時代が到来。 

バッグもその昔なら予約したら半年で入ったものがいつしか半年から5年待ち。10年待ち。当たり前になり、悲しいかな、皮見本で素材すら選べない時代がやってきて、HERMESの魅力は半減した。 

その後ショーも各デパートの外商客や顧客の数が何百単位になり、ショーの品格もなくなってしまった。 

円卓からテーブルすら消え、出てきたのは何百の折り畳み椅子。 

確かに商売だから売れれば売るしかないのだが、そこにはHERMESの品格も格式、伝統すら霞んでしまった……。 

最後に思うこと。

それはいくらバッグを沢山もっていようと手は2本しかない。

だったら、限られた手で持つバッグは本当のお気に入り1個でいいということ。

それがたとえHERMESのバッグであっても……。

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