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血肉しか勝たん。


私は、「努力非推奨派」の人間です。

まず、「努力」という言葉を使っている時点で負け。そんな言葉を使わなくても、日常的にやっているやつが必ずいるからである。

じゃあ、何が積み重ねになるのか?

『血肉』だけである。

ネット世界ではなく、
自ら体験して、積み上げたものでしか、本当の意味での実力とは言えない。

仮に、ネットの世界で成功したとしても、
ネットに依存しなければならなくなるという、キックバックがあることを忘れてはならない。

日常的に、ご飯を作って食べている人がいる。
もしかしたら、料理人レベルではないかもしれないけれども、これも『血肉』である。

「ご飯を作って食べる」ことには、色んな要素がある。

まず、栄養面で良くなる場合が多い。
自分で食事のバランスを考えられるようになると体調が良くなり、ほぼほぼの人生を有利に生きることができるようになる。

次に、節約。
基本的に、自分で作ることは節約となる。
スーパーで買い物をすれば、ほぼ間違いなく市場で回っている最安値で食べ物を購入することができる。外食を避けられることも良い点である。

最後に、経験。
まさに、「生きる=食べる」であるが、
その真の喜びを感じることができることが良い。
料理を作って食べる時、
「こんな味の方がええよな。」
「これ、失敗したわ。」
というてる時点で、食べることを楽しんでいる。

『血肉』は、人生にめんどくささと、喜びを同時に与えてくれる。だからこそ、「仕事をする」という動作自体は結構重要だったりもする。

私、個人の話にはなってしまうが、
人を見るときに、
『血肉』がある。ない。
で無意識に判断してしまう癖がある。

それは、分別しているわけではなく、そのまま感じ取ることに近い。

極端だが、「金持ち」に『血肉』を感じることがない時もあるし、「貧乏人」に『血肉』を感じることもある。

大体は、「金持ち」であれば、経済的な競争に勝っているので、『血肉』を感じるかと思えば、意外と『血欲』に近いものを感じる場合が多い。

しかしながら、大体の「貧乏人」には、『血肉』を感じることはほぼない。
積み重ねているものが、貧しいのである。

職業上、ギャンブルを扱う仕事をしているが、ギャンブルを積み上げている人間には、『血肉』というものがない。
ギャンブルが強い人もいるが、『血欲』に近い。

じゃあ、どう言った人に『血肉』を感じるのか?と言えば、簡単だ。

『周りの目線を気にせず、与えられた仕事や役割をこなし続ける人』である。

私が精神病棟にいた時、統合失調症で入院している男性がいた。

その方は、ひょろ長い方で、何回も病気を発症して入院されている方でした。

しかし、彼のかける言葉にはいつも強い意味が込められていたように感じました。

私が「好きな人には、自分が何かをしてあげることが良いんじゃないか?」
という、恋バナになったときに、彼は、
「君に何ができるの?」
と言われて、「いやー確かに何ができんのやろ。」と思ったことがありました。

私が病院を卒業する前には、

「もうここには戻ってはいけないよ。」

と言って、彼は病院に残り続けました。

今思えば、すごく不思議な人で、同じ病気で共感できる!と思いきや、はたまた本当に刺してくる勢いのツッコミを入れてくれる方でした。

彼の言葉が、今の私を支えてくれています。

「ああ、今辛いなぁ。けど、病院にいるときの方がもっと辛かったよな。まあ、大丈夫やろ。」

彼の言葉がいつも、こんな気持ちにさせてくれます。

『言霊』といいますか、、
こういうものは、世の中にはあると思われます。

ああ、なるほど。そういうことか。

『血肉』がある人ってもんは、
『自分の魂』がとっても強いんだな。

今日も一つ解決しました。

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