【一般TCG理論】論理で直感を補強する

本記事の目的は世界とそれを認識する我々への理解を深め、世界をよりあるがままに捉えよい判断をするための認識を作ることである。

結論から言えば、真に優れた判断は論理と直感のハイブリッドであり、論理的考察の目的は直感の補強である。

論理だけではなく直感が必要な理由、論理的であることや言語化能力が高いことが実力と相関する理由を考察する。

論理の限界

ゲームのルールや使うことができるカードのテキストは論理的に記述されている。これを前提に論理の手法により結論を導くことができる。決定的でないことも確率を用いて示すことができる。

ある程度の基本的な事柄や頻出場面について、論理と数字で詰めることは重要である一方で、これを続けたとしても、常に最善の構築やプレイを見つけられるということはない。囲碁や将棋のルールが論理的記述が可能な一方で、論理的に最適手が示されていないのはパターン数がある程度以上多いとそれができないことを示している。あるいは、もしあるとしたら、勝利から逆算して最適手が既に全て求まっていることになる。多分これができないからあなたはこんな記事を読んでいるのだろう。もしできていたとすればそれはゲームの設計ミスである。

論理的に全てを記述できない以上、どこかで直感を使う必要が出る。論理的であるために超えるべき壁の一つとして、完全に論理的でないと認める必要がある。

言語の限界

言語化は時に論理的に物事を考えるという文脈で使われる。感覚に比べると文法等の制約により論理に近寄る。一方で感覚ほどの豊かさはない。感覚や認識が先だってあり、その中で他者に伝える機会の多いものに名前を与えて構成されたのが言語だからである。感じることができることとそれに対応する言葉があるかは別である。


ある人物Aの世界

また具体化は言葉の選択の仮定であり、選ばなかったものをそぎ落とす過程でもある。「言語化しよう」と言われて「Xというカードが強い」というのはおそらく想定されていない。例えばなぜそれが強いのかという理由を代表的なものから順に書くという具体化のプロセスが期待されていると思われる。その仮定で書かれなかった部分の情報はそぎ落とされる。

豊かさと厳密さ

感覚と言語の表現範囲の関係性は言語と論理についても同じ。単語にはぼんやりとした意味の広がりがある。「今はテンポが大切な環境」これを論理的厳密性のある記述に換えようとすると「(機能A)のカードはマナコストa以下のもののみを採用するべきである」というのが一つ考えられるかもしれない。この記述は厳密さが増した代わりに、表現対象の事象の幅はぐんと狭くなっている。

厳密さを増すことは表現可能な対象の豊かさを削ることであり、トレードオフ関係にあると言ってよい。

冒頭で述べたように、論理だけで記述することはできない。しかし、言語の曖昧な豊かさは「今の環境は遅くてアド取るカードが大事で~」というような記述により複雑な対象を簡潔に表すことができる。

言語化と論理はTCGの実力と関連するか

トレードオフ関係にあるのだから、論理的な形式に落とし込めないことこそ言語により表現するべきだし、うまく言葉にできないぼんやりとした考えは大事にするべきだ。それはその形式によってしか表せないものなのだから。

どれもそれぞれの良さがあるにも関わらず、一般的に論理的思考力が高いこと、言語化能力が高いことは一定以上の実力があることに相関関係があるように言われる。筆者個人の感覚としても相関があるように感じる。なぜか。

豊かさが大きければ質のブレも大きい

豊かさは自由度でもあるからだ。感覚は誰でも持っている。その質の幅は大きい。逆に豊かさがなければ自由度もないので、論理はある程度のその内容の有用性を保証する。言語もよくない言語化はよくない感覚だけよりはマシなことが多い。

厳密さが一番高いところから順に考え、カバーできないところに豊かさの高い形式を対応させることで各型式を有効に使える。

理論派と直感派は相反概念でない

論理と似て非なる理論というものがある。

個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また、実践に対応する純粋な論理的知識。

デジタル大辞泉

理論というのは物事を論理的に推論する枠組みである一方で、直感的に始まり、実用段階では直感を補強するためのものである。

統一的説明のために組み立てられた体系として、誰もが認める有名なものにニュートン力学がある。これは$${F=G\frac{m_1m_2}{r^2}}$$という式が論理的な手続きにより現れたわけではない。リンゴが落ちるのを見て万有引力の発見のきっかけとなったというあまりにも有名な逸話(脚色かもしれないが)のように何かがあり、こういう式を立てれば統一的な説明ができるだろうという直感から始まっているはずである。

そしてできた理論は現実を完璧に説明するかと言えばそんなことはなく、ニュートンの死から300年以上経った第二次世界大戦中に人類はミサイルの弾道計算のために電子計算機の開発に躍起になっていたのである。ニュートンの力学体系ができた後も人は直感とトライアンドエラーの過程を持っている。それは今も同じのはずだ。

ここで、理論は物の動きを完全に説明してはくれないから無駄かというとそんなことはなく、ある程度の指針を与えてくれる。あまり遠回りをしないように導いてくれる。投げたものがどこに落ちるかは完全にはわからなくても、だいたいの場所をニュートン力学は教えてくれるだろう。

TCGにおいても、理論をどう組み立てるかは直感から始まり、組み立てた理論により補強された直感で判断するものである。

感覚を数字でブーストする

具体的にどう数字で感覚を補強するか、一例を紹介して終わる。

相手が初手に特定のカードAとBを持っている確率を考えたい場面になったとする。この確率は計算すれば出るが、突然暗算するのは難しい。

具体的には、60枚のデッキにAとBがそれぞれ4枚入っているとするとどれぐらいか。最大の枚数を入れているから、それなりに高い確率、例えば30%程度を予想する人も多い。

実際に計算してみると、$${1-\frac{{}_{56} \mathrm{C}_7 }{{}_{60} \mathrm{C}_7}\times 2+\frac{{}_{52} \mathrm{C}_7}{{}_{60} \mathrm{C}_7}=0.145…}$$が正解である。

別の求め方として(カードAを引いている確率)×(カードAを引いている条件下でカードBを引いている確率)というやり方もある。AとBは逆でもよい。ここでBを引く確率がAを引く確率に影響を受ける(7枚のうちAが少なくとも1枚あるとその分Bは引きにくくなる)が、その影響は小さいので一旦無視して見積もりのために計算してみる。

つまり、$${(1-\frac{{}_{56} \mathrm{C}_7 }{{}_{60} \mathrm{C}_7})^2=0.159…}$$で、正解の14.5%にそれなりに近い値が出る。そしてこの$${1-\frac{{}_{56} \mathrm{C}_7 }{{}_{60}\mathrm{C}_7}}$$は60枚のデッキに4枚入れたカードを初手に1枚以上引く確率であり、ほぼすべてのプレイヤーがデッキに最大枚数入れたカードを初手に引く確率は計算したり調べたことがあるはずだ。$${1-\frac{{}_{56} \mathrm{C}_7 }{{}_{60}\mathrm{C}_7}\fallingdotseq 0.4}$$からこれを二乗して0.16は暗算できる。こうして、特定のカードABを初手に引く確率を過大評価することは少なくとも、初手に特定のカードを持っている確率を知っていれば回避できる。

このように初歩的な頻出の数字をいくつか知っておけば基準となるような値を出して実戦でのトレードオフの判断に役立つものである。このやり方は拮抗度の高い選択には答えをくれないことがあるが、20%以上の大きな確率のミスは少なくともしなくなる。

頻出の数字に親しむことで、未知の場合にもよい直感的判断が下るものである。英語で直感gut feelingのgutは元々胃腸の意味である。事実ベースで物事を消化して吸収することがよりよい直感を持つことに繋がる。

おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう